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少数派をないものにしないで #239

「ギフテッド」と呼ばれる突出した才能を持つ子供が円滑な学校生活を送れるよう、文部科学省は来年度から支援に乗り出す。

というニュースを、テレビ番組「ワイドナショー」が取り上げていた。

その中で、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが、

「ギフテッド」の当事者が、枠組みを考えた方がいい~文部科学省のフツーの人が考える枠組みでは、きっと「ギフテッド」の人にとっては、窮屈なものになってしまうから…

のようなことを言っていた。本当にそうだと思う。

「ヤングケアラー」という言葉ができて、支援する動きがみるみるうちに
始まったが、私には的を得ていないように思えてならない。

 それはフツーの人が支援しようと、考えた策としか思えないから。

 大人に手を差し伸べてもらいたかったが、「いい子」としか見られずに
育った我が子。
 
 大人になって、自分がそばにいて欲しかった存在でいたいと、ずっと
子どもたちと関わることを、仕事にしている。

 問題児扱いされる子どもが、受けとめてもらえる大人と出逢い、変わっていく様子を私は耳にしている。

 関わり方の違いは、経験したものとそうでない者との違いでもあり、理解されないことも多い苦労も耳にしている。

 先日書いた『たとえ少数派であったとしても』の中に取り上げた
新聞記事の言葉。

 こうした文化を「見る族」の多くは知らない。多数派(見る族)は少数派(見ない族)を支援対象と考え、彼らの文化は気に留めてこなかった。見ていないのはむしろ、「見る族」だった。

毎日新聞・豊かな「見ない族」文化 より

  少数派には、経験し培ってきたものがある。
 それを認め、活用して、少数派を「ないもの」にしないで欲しい。

 そのためになる行動を、私はしていきたいと思っている。


最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。

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