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【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜30代編帰郷②〜

突然すぎてまさか本当に父が。
その頃の記憶は家事育児仕事に追われて
ほとんど思い出せない。
あとから聞くとたまたま甥っ子が一緒に作業を
していて、救急車を呼んでくれていたとのこと。
命拾いをした、いとこに感謝した。

それから何度か忙しい合間をぬって病院へ見舞い
に行って、不自由な生活を強いられイライラ
する父だけ覚えている。
私は必死にまた孫の相手になり遊んで=元気
になって早く退院してほしいと願い見舞いに
訪れていた。

一度は退院したものの、自身の不摂生を顧みることなく、まさかの二度の入院。
呆れてしまうけど、やっぱり父の見舞いに訪れると病院の空気や父の頼りない元気がない感がとても苦手で長らくそこにいれなかった。

それから父は無事退院し、仕事をリタイア。
退院後は健康第一とし酒タバコから卒業、通院とのんびりした生活を送ることとなる。
昔からものづくりが好きで得意な父は自宅でDIYしたりしばらく趣味や暇つぶしをしていたように思う。何より体力回復し健康的な生活を目指した。
それから思い出したかのように釣りをはじめ、私が小学生の頃、ごく稀に連れて行ってくれた釣りをこの環境下で、何十年ぶりに再開した。

私と息子と父=ジジと3代に渡り、日曜船着場の一角で。
満潮や干潮を前日から調べたら、翌日何時に集合ねと。それまでに父は餌を調達し、釣竿や道具を準備。私は餌を触れないのでつけるのは父。私は竿を適当に投げ見張り役。そんな私たちをみながら息子はお菓子を食べたり、餌が飛ばされないよう見てくれたり。近所の海で2、3時間程度。
釣れたらバケツに入れ息子はそれを眺めてる。ボウズの日もあるが。
帰って母に捌いてもらい素揚げで頂く、この繰り返し。暑い日も寒い日も時間を見つけては父と息子と三人で釣りを楽しんだ。

なんでもない日常。私は最高に楽しかったし幸福感に満たされていたと今思う。
父とのこのなんでもない時間は私が子供の頃に一緒に過ごしたかった時間だったのかもしれない。

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