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すずめと青サギで見つめ直す今の自分と両者の比較について。

中3で「君の名は。」高3で「天気の子」大3で「すずめの戸締まり」と、僕の若き日々の記憶は、常に新海誠作品が隣り合わせにあった。

また同じように、子どもの頃の記憶には、何度も見たトトロやポニョ、千と千尋、平成たぬき合戦ぽんぽこ、耳をすませばなどなど、ジブリ作品の記憶が編み込まれている。

ライフステージの成長と共に、このような作品に囲まれて育った今の自分に、このところ連続して公開された新海誠作品「すずめの戸締まり」と宮﨑駿作品「君たちはどう生きるか」の2作品は極めてクリティカルに僕の心を抉った。

両作品を鑑賞することは、まるで子どもの頃にどこかに埋めたタイムカプセルを掘り起こされるかのようで、玉手箱を開けてモクモクと煙に包まれるかのような浮遊感を与えてくれる。

ここでは、この夢心地のような感覚を、改めて文字に残しておくことに試みる。これに付随して、あくまでも個人的な映画体験に基づく、宮﨑駿と新海誠という2人のアニメーション監督の比較をしてみたい。


「すずめの戸締まり」を見て

昨年の7月ごろ、映画「すずめの戸締まり」の予告編が公開された時、「もう3年経ったのかぁ」という感慨と同時に、忘れかけていた新海誠作品への熱が思い出された。

思えば3年前。2019年夏。僕が高校3年生で受験勉強真っ只中の時、前作の「天気の子」が公開された。あらゆる娯楽をシャットアウトして勉強していた(つもり)の自分へのご褒美と思って、8月頭に受けた模試が終わった日の夜に、友達と見に行った。

当時はまだ新海作品への理解も浅く、2016年に公開された「君の名は。」を作った監督の作品の一つとして見に行った気がする。
(そういえば「君の名は。」を見た時も、それなりの衝撃だった。「明らかに震災を意識したアニメーション映画が、こんなにもヒットしていいのか」と。)

そして、この「天気の子」を見た時も、予想だにしなかった物語展開に「こんな映画があっていいのか?」と愕然とし、あまりにも強烈に自分の中に刻み込まれた。家に帰る途中で買った「小説 天気の子」を、その日の晩に徹夜して読了しては、途方に暮れた記憶がある。
(新海誠は、「『君の名は。』を見て『災害を無かったことにする映画なんて酷い』と怒った観客をさらに怒らせる映画を作りたい」と思って「天気の子」という映画を作ったという。観客との対話を通して次なる映画が作られるという姿勢が見られるのも新海作品の特徴だとも思う。)


災害三部作の集大成として

そんな新海誠の最新作「すずめの戸締まり」。

災害三部作の集大成と言われるこの作品では、隕石災害、豪雨災害と来て、本格的に東日本大震災を扱っており、この映画にかける監督の並々ならぬ思いの丈が窺える。

災害三部作といえば、新海誠作品は、2011年を境に大きくその作風を変えている。言うまでもなく、これは3.11が作用しており、日本人は誰しもがあの日以降、「もし自分があの場所にいたら、被災者だったら」と頭を働かせるようになったのではないかという仮説が、「私たちもしかして入れ替わってる!?」という男女入れ替わり物語「君の名は。」の構想を生んだとも言われている。

2013年公開の「言の葉の庭」もそうだ。揺れ動く大地の上で、それでも力強く生きていく「足」の物語を作りたい、という思いから、靴職人を目指す高校生の繊細で嫋やかな恋物語が展開された。このように、3.11以降の映画作りは被災地・被災者に馳せる思いが重なり合い、生み出される作風に厚みが出ていると言える。

「すずめの戸締まり」(以下「すずめ」)に話を戻す。

公開初日のレイトショーを六本木で見た。映画館を出た23時頃の港区の夜景がいつも以上に輝いて見えた。冗談ではなく。

パンフレットには「観客の何かを変えてしまう力が映画にあるのなら、美しいことや正しいことにその力を使いたい」という監督の言葉が載っている。

「美しいこと」「正しいこと」か、なるほど。そういえば、いつも新海作品の登場人物は、この世界の真理のような大事なことをぽろっとぼやく。「大事な仕事は人から見えない方がいいんだ」と草太。「まぁ気にすんなよ少年、世界なんて元々狂ってるんだからさ」と須賀さん。「今はもうない街の風景に、なぜこれほど心を締め付けられるのだろう」と瀧くん。

あらゆる映画の批評の前に、少なくともこれらのようなセリフは、いつでもその声が脳内再生できるほど、深く自分に染み付いている。もちろん鵜呑みにしてはいけないし、人によって感じ方は違うだろうけど。

「すずめ」は、これまで4回見たうち、3回目は聖地巡礼も兼ねて仙台で見た。毎回涙ぐむシーンが異なるので自分でも驚くのだが、シリアスでありつつもコミカルで鮮やかなアニメーション映画として、あの震災の記憶を扱えるのは、日本人の中で新海誠しかいないのだろうと思う。

あの日から12年。

忘却の淵に追いやられていた記憶を呼び戻すかのように公開された「すずめ」は、賛否両論に溢れるも、複数ヶ国での海外動員も含め、12年前この国であったことを、当時はまだ物心持たない子どもたちや世界の裏側で暮らす人々へと伝承する役割を果たしたと言える。

常に災害が隣り合わせであるこの国だからこそ生まれたアニメーションだとも言えるし、映画の舞台にもなる各地の廃墟のように、これからこの国に増えるだろうそういった悲しい場所を思いやって生まれたアニメーションだとも言える。被災地を聖地化してしまう背徳感や、記憶を塗り替えてしまうことの罪悪感を乗り越えた先に生み出された作品だからこそ、紛れもなく「すずめ」は災害三部作の集大成と言えるのだと思う。


直感と言葉から始まる映画作り

また、新海作品には、主人公のモノローグのシーンが非常に多い。何気ない風景描写や静止画の連続に、主人公のモノローグが、そよ風のように過ぎ去っていく。文学部の畑から育った監督であることは、宮﨑駿と比較する際の重要な点になりそうな気がしている。

その真髄は、新海誠自らが自身の作品を文章にした小説版に現れる。特に個人的には、風景に関する描写が好きである。

例えば、「小説 君の名は。」にて、瀧くんが糸守町を訪れるシーン。

 助手席の窓からは、新糸守湖の縁が見下ろせた。半壊した民家や途切れたアスファルトが水に浸かっている。湖のかなり沖合にも、電柱や鉄骨が突き出ているのが見える。異常な風景のはずなのに、テレビや写真で見慣れているせいか、ここは最初からこういう場所だったという気がしてくる。だから眼前にあるこの風景に何を思えばいいのかー怒ればいいのか、悲しめばいいのか、怖がればいいのか、あるいは自分の無力を嘆けばいいのか、よく分からなくなってくる。一つの町が失われるというのは、たぶん普通の人間の理解を超えた現象なのだ。俺は風景に意味を探すのをあきらめ、空を見る。灰色の雲が、神さまが置いた巨大な蓋のように頭上にかかっている。

第四章 探訪 p137

他にも、「小説 すずめの戸締まり」にて、鈴芽が新幹線乗車中のシーン。

 山が見え、海が見え、いろいろな形をしたビルと住宅と工場とお店があり、誰もいない真っすぐな畦道があり、遠くをゆっくりと移動する軽トラックがあった。運転席には小さな人影が見えた。黄緑色に波打つ田んぼのわきにはまるで時代劇みたいな木造の小屋があり、山の斜面には日差しを反射する墓地があり、川沿いには犬を散歩させるカップルの姿が見えた。私はそんな景色を眺めながら、あの場所に自分が立つことはきっと一生ないんだろうなと、奇妙な驚きとともにそう思った。あのコンビニに入ることも、あのファミレスで注文することも、あの窓からこちらを眺めることも、私の人生ではほぼ確実にないのだ。私の体はあまりにもちっぽけで、人生の時間は限られていて、一瞬で通り過ぎていく風景のほとんどすべての場所に、実際に立つことは出来ないのだ。そしてほぼすべての人間が、私には関わることのできないそういう風景の中で毎日を送っているのだ。それは私にとって驚きと寂しさの入り混じった、どこか胸を打つ発見だった。

四日目 見えるけど、関われない風景たち p167

ああ、何度でも声に出して読み返したいほど好きである。やはり、言葉を大切にするということが、モノローグの多いアニメ―ション映画を特徴づけているし、そのようにして捻り出された線や絵がスクリーンに映し出されているのだと思う。

このように、新海作品の出発点には、監督自身が感じるこの世界の通底を流れるものへの直感や、そこから紡ぎ出される言葉があると考えられる。

以上、前半では自分が新海誠を好きな理由と、直感と言葉がモチベーションとなる映画作りに関して考察してみた。

これらを明らかにすることが、今の自分を成り立たせているパズルのピースを探すこととなり、特に中高大と思春期を過ごしてきた時間について振り返ることに繋がったと考えている。


(他にも3.11以前の作品「星を追う子ども」「秒速5センチメートル」「雲のむこう、約束の場所」などについても書きたいことが止まらないが、長くなるのでまた別の機会にする。)


「君たちはどう生きるか」を見て

「すずめ」の鑑賞を経て、新海誠に関して論考されている本を何冊か読んでみた。やはり、その中で度々言及されるのが宮﨑駿である。

新海誠自身は「ポスト宮﨑駿」と称されることを厭っているらしいが、幼少期にジブリ作品の影響を受けたことは否定していない。

僕自身も子どもの頃は、ジブリ作品に囲まれて育ってきたことを、「君たちはどう生きるか」を見て、ふと、思い出した。

日本人なら誰しもが一度は交わしたことのある話題「ジブリで1番何が好き?」という質問に対する僕の答えは「耳をすませば」であろう。小さい頃、家にDVDがあったからか何度も見ていた「耳をすませば」は、聖蹟桜ヶ丘周辺のニュータウンを舞台にしているらしいことを、実は最近知った。でも、そこで一つ納得がいったことがある。

東京の23区内に暮らしていた当時の自分にとって、年に1度か2度、東京の西のほうの、あきる野にあるお墓参りに行くことは、遠くへ行くことだった。中央道を下って、鉄塔や山が見えてくるようになると、どこか知らない世界に来てしまったかのようで、今でも西東京を訪れると、そのような郷愁を覚える。

この郷愁を育ませたのは「耳をすませば」で描かれるニュータウンの風景だったのかもしれないと、自分の中で何かが繋がった気がした。

公開当時に相次いだニュータウン開発で出来上がった街を舞台に育つ少年少女の「すこやかさ」を皮肉的に捉えている宮﨑駿は、「耳をすませば」の監督ではなくプロデューサーとして立ち回っている。

つまり、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」に見られる宮﨑駿にとっての自然観が時代によって捻じ曲げられてきてしまっており、ついには「ふるさと」がどこかわからなくなってしまう世代を描くことになってしまったことを間接的に嘆いているように見えるのだ。

少し話が逸れたので、話を戻すと、里山神話を作り上げた「となりのトトロ」や戦争を描く「火垂るの墓」、ニュータウン開発を取り巻く「平成たぬき合戦ぽんぽこ」もそうだが、日本人はジブリ作品を見ることで、戦時中、昭和、平成と移りゆく日本を眺め直すことができるからこそ、「懐かしさ」の伴った映画体験ができるのが特徴の一つだと思う。

そして、度重なる引退詐欺を経て10年ぶりに公開された「君たちはどう生きるか」(以下「君たち」)には、映画監督人生の集大成と言わざるを得ない迫真が盛り込まれていた。


感謝を伝える集大成として

7月14日、公開初日の朝8時過ぎの上映で見た感想としては、「何もわからない」だった。おそらく誰もがそのような感覚を抱くが、5回の鑑賞を通して下した結論は「そんなものわかろうとしなくていい」であると思う。

ここでは「君たち」の内容には詳しく踏み込まない。そこに片足を踏み入れることは、底なし沼に入り込むことと等しい。なので、新海誠と同様、宮﨑駿の映画作りのモチベーションにクローズアップする。

宮﨑駿の映画作りのモチベーションは、端的に言うと「大人への怒り」らしい。特に4歳の時、疎開先の宇都宮で経験した空襲の体験は鮮烈に記憶されているらしく、今作でもそのオマージュとも読み取れる描写がある。

黙って座らせて文字を覚えさせること。九九を覚えさせること。誰が子どもたちに教える権利を与えたのか。宮﨑駿はたびたび初等教育を批判視してきたらしい。子どもには、子どもにしか見えない世界が見えている。子どもの時の5分は、大人の1年に等しい。とにかく子どもたちのためのアニメーションを、というのが宮﨑作品の追求するところなのだと思う。

そして、宮﨑駿を語る上で欠かせないのが、高畑勲や鈴木敏夫などスタジオジブリの創成期から携わってきた周りの人たちである。

SWITCH9月号「ジブリをめぐる冒険」や5回の映画鑑賞を通じて発見したことは、「君たち」に込められた感謝の想いである。それは、宮﨑駿から鈴木敏夫への「ありがとう」、鈴木敏夫から宮崎駿への「ありがとう」、宮崎駿からこれまでジブリ作品に携わった今は亡き同志たちへの「ありがとう」など双方的な「ありがとう」が含まれていると見える。

スタジオジブリがスタジオジブリであり続けるために、汗を流して働いたプロデューサー鈴木敏夫は、これまでの映画作りが制約の多い中でやってきたことだから、今回は時間もお金も無制限に使って宮﨑駿に映画を作ってもらおう、と企てたらしい。

そこで、宮﨑駿は映画の中にこれまで携わってきたスタジオジブリの同志たちを登場させることで、彼らへの「ありがとう」を伝えたかったのではないかと考えた。

様々な見方があるが、SWITCHに載っている鈴木敏夫と池澤夏樹との対談では、眞人=宮﨑駿が望む宮﨑駿、インコ大王=実際の宮﨑駿、サギ男=鈴木敏夫、大叔父=高畑勲という見立てが予想されていた。この論には終わりはないので、一旦やめにしておく。


空想と絵から始まる映画作り

悶々と「君たち」に考えを巡らせていた8月のある日、Youtubeで見つけたある動画をきっかけとして、僕は「君たち」についてこれ以上詮索するのを諦めるようになったと言ったら噓になるが、「やっぱり宮﨑駿ってすごいな」といい意味で呆れるようになった。

それがこの動画である。

目を疑った。こうやってキャラクターが生まれてくるのか、と。

想像力という漢字3文字に落とし込んでしまっては恐れ多い、頭の中のアイデアの源泉からこんこんと湧き上がる豊かな発想は、到底自分たちには追い付くことのできない理解を上回った領域に生きる宮﨑駿しか見ることのできない世界の話なのだと思った。

おそらく、宮﨑駿作品は、新海誠作品が直感と言葉を出発点にしているのに対して、空想を出発点としていると見ることができる。

眼を閉じれば、ありありと浮かび上がってくる空想上の風景や造形を、目の前に紙とペンさえあれば、躍動する線に表現することができる力。これこそが宮﨑作品を特徴づける鍵となっていて、だからこそ観客の理解を上回る物語展開が連続し、観た者の頭の中を?で埋め尽くすのだと思う。

SWITCHでも鈴木敏夫が述べていたが、宮﨑駿はよく「どうやって映画作るんだっけ?」とか「何の映画作ってるんだっけ?」と口にするらしい。他にも、昨日と今日で言っていることが180度違ったり、聞くたびに昔のエピソードが変わったりと、とにかくおどろおどろしい幸せ者らしい。

なおさら理解が追い付かないのも納得であるが、そうやって匙を投げてしまっては、もったいないと感じてしまうのが、ジブリワールドの抱える魅力である。

おそらく、宮崎駿にとっては、この世界を生きていくためのマニュアルのようなものも、頭の動かし方の説明書などもなく、そういった呪縛を優に凌駕した環世界を生きているのだと思う。

しかし、この映画を観た観客ひとりひとりにもそれぞれの環世界があり、解釈も感想も観客の数だけ受け取り方が異なる。そうやって私たち観客は、この映画について考えを巡らせることで、自分と世界を結び付け、生を実感するように仕向けられているとすれば、映画のタイトルにもなっている「君たちはどう生きるか」という問いに対する答えはここにあるのだと思う。

以上、後半では、ジブリ作品に漂う「懐かしさ」の正体と、空想と絵をモチベーションとする映画作りについて考察してみた。相対的に見て、新海誠より宮﨑駿への理解や解釈は、まだまだ自分に足りていないと感じているので、これからもジブリワールドの冒険を楽しませてもらおうと思っている。


浮遊感の正体

ここまで長々と論じたように、新海誠と宮﨑駿の2人の映画の作り方は驚くほどに異なっていると捉えられる。

「書くか、死ぬかなんです。。」といった謙虚な新海誠の姿勢とは対照的に、「世界を変えるつもりで作らなきゃダメだよ映画は。ま、何も変わらないんだけどね!」といった高飛車な宮﨑駿の姿勢にも見られるように、映画作りにおける両者の姿勢が根本的に異なっているという見方もできると思う。

しかし、両者に共通して、アニメーション映画を生み出すこと、それに伴う命を吹き込む行為がどれだけ尊いかということに関しては、貫かれる想いがあると思う。

もちろん僕は映画も何も作ったこともないので、ただの戯言として読み流してもらって構わないし、やがてこの文章も、世の中に星の数ほどある、新海誠・宮﨑駿の総論のような文章の一つと成り果てるのだろう。

まあいずれにせよ、この二人が映画を作ってくれている時代に生まれてきてよかった。これからさらに大人になっても、新海作品と宮﨑作品に立ち帰れば、若き日々の記憶を辿ることができるのだから。

でも、いつまでもノスタルジーに浸かってしまっては、成長はないと思う。

これは2001年生まれの自分だからこそ、たまたま辿ってこれた道筋であるのだし、もし自分が2023年生まれであるとして、辿ることになる今のこの世界におけるそういう道筋と出逢う努力を日々継続しなければならないと思う。

つまり、いつまでも少年の心を忘れずに、盛んに新しいことを取り入れ、何事も多くを学び経験せよ、ということだ。


災害について考えること。風景について考えること。自然について考えること。教育について考えること。これまで22年間生きてきて、今の自分を成り立たせている両者の作品について言語化して振り返ることができてよかったと思う。

(こういう話を友達としていると「お前は22歳にして老害の風格がある」と罵倒されることが、悪いことだと思わないので嬉々として聞き入れたいと思う。)

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