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ダメ出しされて怒る人は自分が完璧な存在だと思っているらしい

こんにちは、田岡です。

最近の葛藤を乗り越えて(今も毎日戦ってるけど)、ひたすらにYoutubeを攻略しようと没頭しているわけですが、その中で変わった自分の変化としては、誰かにダメ出しをされてもそんなに怒らなくなれました。

正直、僕は昔からダメ出しというのが超嫌いでして、他者(特に自分が認めてない相手)に何かを言われると、

「うるせぇよ、お前俺のことなんにも分かってねーくせに人の気分を害する発言をしてるんじゃねぇ、こっちはなんにも悪い事してねーだろうがボケが!!」

と見事に怒りを感じまくるタイプでした。

実際問題、世間でもよく「言われる内が花」とか「自分の駄目なところを見ないやつに成長はない」とか「ダメ出しされるのは喜ぶべきことだよ」とかそういう話は多いです。

それも確かに間違いはないし、異論はないんだけども「特に何か悪いことをしてないのに、そもそもとして相手の気分を害する行為自体が良くないだろ!」と僕自身はずーっと考えていたんですよね。

だから何かを言われた時、基本的にはその怒りはめっちゃ感じたまま、だけども言われたこと自体で悪いところがあったらそこは改善する。という。

怒りを感じて不機嫌になりながらも、改善されたところは治そうとする。みたいなよくわからないことをしていました。コミュ障の典型的なやつですね。(直接的に怒りをぶつけたりはしないですが、まぁ相手には何かしら伝わってるものです)

現実を見たくない自分に気づき、「現実を見る」と決めたら気が楽になった。

とまぁ、そんな僕だったのですが、最近はダメ出しを素直に聞けるようになったなーと思った出来事としては、毎月行ってるカウンセリングがありまして。

いつものカウンセリングの終わりに、「現実を改めて見て認識したほうがいいよ」と言われたんですよね。

それはアタリマエのことだろーと以前だったら考えていたんですが、まぁ確かに人というのは現状が上手くいってないと現実逃避をしたくなるものでして。

僕自身の今の現状(挑戦してるけどもなかなかうまく行ってない)を考えると現実に目を向けてない部分はあるよなーとなんとなくは分かっていたわけです。

で、こういうときには頭で考えるというより、心に聞いてみるんですよね。

「現実を見ろってことだけど、どうなん?現実をちゃんと見たい?」と。

んで、不思議なことに心からの返答としては「嫌だ、見たくない」と言ってるわけです。あ、これは僕の頭の中の話ですからね笑

それで確かに現実を見たくないって部分があるとわかったら話は簡単で「じゃあ現実を見ないともっと良くない形に行くのはわかるよね?それでも現実を見たくない?」と聞くと

「わかった、見たくないけど見るよ」とそういう風に答えてくれたわけです。

多分この瞬間からですかね。いわゆるダメ出しとかを受け入れる体制が出来たのは。

ダメ出しされて傷つく必要も怒りを感じる必要もそもそもなかったと30歳で腑に落ちた

で、そういう脳内会話を終えてみたら、見事に自分の中で否定を避ける気持ちはなくなりました。というより、あーなんか思いっきり間違ってたなぁ俺。という感覚がようやく腑に落ちました。

僕「なんかダメ出しとかを認めると、自分の全てを1回否定しないといけない感じがあったんですよね」

先生「自己否定につながると思ってたんでしょ。そんなことないよ。それは自分のことを完璧だと過信しすぎている、おごりがあるってことなんだと思うよ」

僕「へー」

と、そんな感じでカウンセリングを終えました。

自分がなんかそういう否定から逃げていた。ダメ出しってのはあくまで周りから見える自分の姿の事実を伝えてるだけだから、それはそれで「主観」の怒りを入れる必要はなく、「そう見えてるという事実」を知ったと考えればいいと。

今思えば当たり前すぎることなんですけど、僕はそれが出来てなかったわけです。何故出来なかったかはわからないけど(多分器不足か、思考の癖が強かった?)変に傷つく必要性がそもそもなかったなぁと。

「全部受け入れる」とか「感情を飲み込む」とかそういう話じゃなくて、そもそも一つの事実を知った。という「客観」とその後に感じる「主観」をごちゃまぜにしてたのがアカンかったのだなと30歳にして腑に落ちました。

ダメ出しされて怒る人は自分を完璧だと思っているらしい

ただ、「自分を完璧だと思ってる、過信しすぎてる」って部分だけがイマイチ理解は出来てなかったんですよね。流石に自分が完璧とかそんな思考はなかったはずだぞーと考えてました。

で、家に帰ってから、奥さんと話してて

僕「ダメ出しされたら「受け止めるためには一度自己否定をしないといけない」と思ってたんだよね、何故か知らんけど」

奥さん「んー、それは正也は自分のことを完璧だと思っているんだね。」

と言われまして。

ええ、他人から見たらやっぱそういう感想になるのか!笑 と。

んで、翌々考えて「んー、なんでそう思ったんだろう?」と思ったので、奥さんに再度聞いてみたんです。「なんで駄目だしされて自己否定しないといけないと考えていることが、自分を完璧だと思っているってことにつながると思ったの?」と普通に疑問だったので。それで出てきた回答が

奥さん「んー、思ったことだからうまくいえないんだけど、自分は出来てる!と思うから自己否定したくないってことでしょ?駄目だと分かったならば素直にありがたいと思えるはずなんだけどね。」とのこと。

その場ではよくわからなかったけど、後々考えてみたらそれも分かってきて。

つまるところ、なにか一つダメ出しされたら、「その部分が良くないから変えるー。」とすればいいのに「今までのすべてを変えないといけない!」みたいになるのは、逆にどれだけ自身を完璧に調和が取れた存在だと思ってるのか。ということなのかなーと思います。

ダメ出しされたら嬉しいかどうか

昔友人が「ダメだしされるのって嬉しいじゃん!」と話していて、「うわぁなんだこいつ意味わかんねぇ」と思っていたことが記憶に残ってます。

冒頭にも話したけども、「言われる内が花」とか、そういう意見が僕には正直全くわからなかった。ダメ出しなんて絶対にされないほうがいいし、相手が嫌な気分になることとか言われないほうがいいじゃん。そう思ってました。

実際問題、相手の気分を害さないほうがいいというのは事実であり、そこに配慮が必要なのは変わりないんですが、今までは「ダメ出し=マイナスの行動」だったのが「ダメ出し=事実を伝えてるだけ(プラスもマイナスもない)」と認識が切り替わったのがデカイです。

今さらになって、30になってようやく、自分のダメ出しを事実として素直に受け取れるようになったような気がしてます。

もちろん今までの思考の癖はあるだろうから、言われて即すんなり受け取れるか?というとわからないけども。少なくとも今は純粋にダメな部分を言われたら、そっかぁ、そう見えるってことかぁと受け止められると思ってます。

(アンチコメとかも、なんかすんなり見れるようになったし、ビジネス系の発信も何も考えずにさらっと見れるようになりました→最近拒んでた。)

ダメ出しされて、全ての自己否定につなげてしまう人は、是非「主観的」な感情と「客観的な事実」を切り分けて考えてみるといいのかもしれないです。

別に自分を捨てたり曲げる必要もなく、客観的に見て足りないところなら補えばいいってだけですからね。

こんな一つの事実を腑に落とすのにこれだけ時間がかかるあたり、まぁ我ながら不器用なやつだなーと思いましたね笑


ではでは、こんなところで。



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