見出し画像

いま日本人が知っておくべき「儒教」のハナシ①

こんにちは!

最近、おうち時間が増えてコンテンツの消費(主に本とゲームとNetflixですが)に費やす時間が増えたことで「家にいるとアウトプットの機会が減ってしまうんだよなぁ🤔」とか自己弁護してたのですが、よく考えたらおうち時間が増える方がアウトプットはしやすいはずで、単に自分がサボっていただけということに気づきました😋

今年は「論語」が注目される?かも

この2月から2021年の大河ドラマ「青天を衝け」が始まりましたね!

近代日本経済の基礎を作り上げた渋沢栄一が主人公で、渋沢栄一の代表的著作である「論語と算盤」にもいま注目が集まっています。

第1回目の放映を見て、私もこんな記事を書いてみました。

青天を衝け」については、今後も書ける範囲で細々と書いていこうと思います。


さて、ご存知の通り「論語と算盤」とはすなわち「道徳と経済」の両立を説いたものです。渋沢栄一の大河ドラマが始まったことだし、これを機に「論語」を学び直そうという人も増えるものと思います。多くの人は、高校の古文の授業で少し習う程度ですもんね。

ところで「論語」は「儒教」という宗教(考え方・世界観)における筆頭書物なのですが、私の周りには『「論語」は知ってるけど「儒教」はよく知らない』という人が結構多いです。皆さんの周りはどうでしょうか?🤔

で、「儒教」についてはっきりと主張しておきたいことがあります。

私たち日本人はもっと「儒教」のことを正しく学ぶべき!!

これはもう、心からそう思います。いやホントマジで。

日本人として生まれていながら、この希少な知的資源を知らずにいるのは、あまりに勿体なすぎると思うのです。別にアカデミックな勉強しようって言ってるわけじゃなく、「水は水素と酸素からできてるんだよ」とか「税金の仕組みってこうなってるんだよ」っていう一般常識のレベルとして、です。

最近はとくにそう思います。この本👇読んでからは特に。

本の主張(マルクスに立ち戻るべし)については賛否両論あると思いますが、少なくともこれから数十年~百年のスパンで考えれば、世界の潮流というか関心は間違いなく「脱成長」そして「コミュニズム」による「持続可能な社会の構築」に集まっていくと思います。
※「コミュニズム」についてはいずれどこかで触れます

健全な社会を長期に渡り維持していくためには、産業革命以降これまで世界をリードしてきた「西洋の知」だけでは足りないため、いま盛んに「東洋の知」が求められているのですが、私はその中でも「儒教」が説く考え方が次の社会のOSとして必要不可欠だと考えています。同じ「東洋の知」である「仏教や禅」ではどうしてもカバーしきれない領域があり、社会のOSとして機能する「儒教」を世界に発信できるのは、世界広しと言えどもう日本人しかいないからです。

そんな感じで、この記事(のシリーズ)では、なぜ「儒教」の考え方が次の社会のOSとして必要だと思うのか?「古臭い」と思われがちな儒教の世界観が「コミュニズム」にどう関係するのか、について自分なりの考え方を整理していこうと思います。

といっても、今の時点で論旨の全体像が見えているわけではなく、これまでの断片的な学びを統合しながら試行錯誤で書いていくので、ときには回りくどい&冗長なところが度々出てくるかと思います。回りくどい話が出てきたら適当に流してくださいw

ここから本題です。(今回はサワリだけですが)

そもそも「儒教」=「論語」ではない

「サワリだけ」とか言いつついきなり過激な事を言うようですが

「儒教」=「論語」はウソです。

・・・あ、いや。さすがにウソというのはちょっと語弊がありました😅

確かに「儒教」では、その教義が記された経典として「四書五経」という九つの書物が定義されており、その中に「論語」が含まれているのは事実です。(下表参照)

画像1

しかし、2021年のいま現在、「儒教」発祥の地である中国や「儒教」を国教としている韓国において「これが儒教です」とされているものと「論語」に書かれているものは決して同じではない、ということです。

これはつまり、幕末から明治という激動の時代にあって、渋沢栄一が心の拠り所とした考え方は、現代の中国や韓国における「儒教」のそれとは別モノだということでもあります。

現代の令和日本で「儒教」のイメージというと「可もなく不可もなく」という感じではないでしょうか。仏教や禅、神道と比べると私たちが「これって儒教だよね」と強く認識できるような風習や儀礼的なものは少ないからです。(私たちに自覚がないだけで本当はたくさんあるのですが)

もしかしたら「可もなく不可もなく」どころか、むしろ「儒教」=「目上の人には絶対服従」とか「男尊女卑」とか、昭和の香りが漂う「時代錯誤な過去の遺物」というネガティブなイメージを持っている方もいるかもしれません。

でも「論語」をいくら読んでも「目上の人には絶対服従」とか「男尊女卑」なんてことは一言も書いてありません。これは「論語」だけでなく、他の「四書五経」でも同様です。儒教が「時代錯誤な過去の遺物」だなんて、とんだ言いがかりってもんです。

それなら「四書五経」には何が書いてあるのか?

四書五経」に書いてあることを、無理やり一言で言うなら

それは「原理・原則」です。

何の「原理・原則」かというと「人の生き方の原理・原則」です。

この世で、この宇宙で、この社会で、あなたという一人の人間が生きていくとはどういうことなのか?その根本にある原理・原則は何か?が書いてあります。

その原理・原則を、時の権威や権利者が都合のいいように解釈して利用した結果「目上の人には絶対服従」とか「男尊女卑」といった、枝葉末節の論理が取り上げられて「これが”礼儀”というものだよキミィ😏」と言わんばかりに振りかざされて来たわけです。

そんな一方的で誰かにとって都合のいい「礼儀」を振りかざす人に

いや、その「礼儀」って、そもそもどこから来たんですか?

と聞いたら、きっと答えられないでしょう。だってその「礼儀」がどこから来たものか知ってたら、そんな所作・振る舞いにはなるわけがないからです。

あるいは韓国の歴史ドラマを観たことがある方だと「儒教」=「儀礼の作法が細かくて厳しい宗教」とか「科挙」のイメージもあるかもしれませんね。これらも「儒教」の表層的な部分を切り取ったもので「儒教」の本質的なところではありません。

「儒教」と「儒家思想」

先ほど「儒教」と「論語」は別モノだ、とちょっと過激な事を言いました。

じゃあ「論語」が「儒教」じゃないって言うなら「論語」って一体何なのよ?という話なんですが、あえて言うなら

儒家思想」です。

そもそも「儒教」の起源は何でしょうか。

儒教」は英語で「Confucianism(コンフューシャニズム)」と書きます。「Confucius」とは孔子のことです。

Confucianism」すなわち「儒教」とは「孔子の教え」ということです。

仏教を英語で「Buddhism(ブッディズム)」というのと同じですね。

孔子」は、紀元前の中国(春秋時代)にいた実在の人物です。

画像2

ご存知のように、春秋戦国時代といえば約550年も続いた紀元前中国におけるスーパー内乱戦争の時代です。漫画「キングダム」の舞台となっている時代でもあります。

画像3

広大な中国を大小さまざまな国々が、覇権を争っていたこの時代には「諸子百家」といって、自分の思想・戦略を説いて各国の王に召し抱えてもらおうとする人達がたくさん出ました。現代で言うと「経営コンサルタント」みたいなもんですね。

「百家」というぐらいなので実に色んな思想があって、代表的なところでいうと以下のような思想がありました。なお、考え方が近い思想は「家」という流派みたいな単位で分類されることが多いです。

・儒家思想 (孔子・孟子)
・法家思想 (管子・韓非子)
・兵家思想 (孫子・呉子)
・道家思想 (老子・荘子)
・墨家思想 (墨子)
…etc

このうち「兵家思想(孫子・呉子)」は現代でも通用する優れた普遍性があり、米国のそれなりの大学には今も「孫子」の兵法を学ぶ授業があるようです。(もちろん戦争の仕方を学ぶのではなく、戦略論・マーケティング論としてですが)

残念ながら、儒家思想は春秋戦国時代という激動の時代においては為政者に受け入れられませんでした。だって、明日にも隣国が攻めて来るかもしれないという日々ヒリヒリした状態の中で、孔子が説く「」だの「」だのと甘っちょろいコト言ってる場合じゃねぇんだよこっちは!そんなんより即効力のある「法家と兵家だろ!」という感じだったからです。まぁ、そうですよねー。衣食足りて礼節を知る。

ちなみに、春秋戦国時代に終止符を打って天下統一を果たした「」という国が取り入れた思想が「法家思想」でした。秦の軍隊は「法家思想」に基づく厳しい規律でガッチガチに統率されていたので、バッキバキに強かったのです。

※そんな「」は天下統一してからたった15年で滅ぶんですが。その辺りについてはコチラをどうぞ👇

孔子の教えは為政者には響かなかったものの、一般人にはめっちゃ響きました。その結果、孔子には弟子が3,000人いたそうです。(さすがに盛ってますよね笑)

その弟子達が孔子の死後、生前の孔子とかわした日々の問答を振り返ったところ

「これって絶対、後世に遺しておくべき内容だよね。マジヤバイもんコレ」

といって、がんばって書物にまとめたのが「論語」です。

「論語」は孔子本人が書いた書物ではなく、孔子の弟子達が師匠との問答を記録したものなんですね。仏教における「経典」と同じ構図です。

弟子と孔子の日々の問答とはすなわち、先ほど書いたように「人の生き方」の「原理・原則」です。そもそもなぜ3000人の弟子達は孔子の下で学んでいたかというと「生き方」に迷っていたからです。ドロドロの内戦の時代に生まれて、いつ死ぬか、いつまで生きられるか全く分からない状態の中、孔子が説く「生き方の原理・原則」に希望を見出したわけです。

・・・ってダラダラ書いてたらどんどん長くなってしまった。

次回は「儒家思想」と「儒学」と「儒教」の関係、あたり?

つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?