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ニッポンのアイデンティティ(その3)~森と水と武士道と~

私たち日本人が無意識のレベルで備えている価値観や信念、行動原理や生活様式はいったいどこから来るのか?

海外の人が「Why Japanese People!?」と思わず言いたくなるような日本人特有の”なにか”の正体を暴く「ニッポンのアイデンティティ」シリーズの第三弾です。

第一弾と第二弾はコチラ👇

今回のお題は「武士道」です。

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ブシドー!これぞ、ザ・日本人の精神性って感じがします😀

武士道とは

そもそも武士道とは何か。

ものすごーく、端的に、一言でいえば、

武士(階級)の倫理観

です。

「武士道」の何たるかについては、新渡戸稲造の「武士道」や鍋島藩の「葉隠」など有名な書物でも述べられていますが、ここでは「武士道」の詳細は深く掘りません。機会があれば別の記事で😎

ここで言及したいポイントは、

武士はいつどのように生まれたのか?

という点です。

日本史上において武士はいつ現れたのか?

諸説あるようですが、最も有力な説は平安時代後期~鎌倉時代と言われています。

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平安~鎌倉っていうと、平清盛とか源氏とかの時代で、たしかに源平合戦の辺りで私たちが想像するようなイワユル武士がモリモリ活躍する絵巻がこのあたりから出るような気がします。

武士の原型:坂東武者

源氏の総大将・源頼朝が平氏を滅ぼしたことで鎌倉幕府は成立したわけですが、このとき頼朝側に加勢し、鎌倉幕府成立の立役者となったのが「坂東武者」と呼ばれる関東の武士集団でした。

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坂東」とは関東地方の古名で、箱根の峠より東にある関東一帯を指します。

今でこそ日本の中心は関東にありますが、古来より日本の中心は飛鳥・奈良・平安とずっと西日本(近畿地方)にあったので、当時の関東地方はザ・未開の地でした。

未開の地」ということは、言い換えれば「自分で開拓すればそれは自分の土地になる」ということなので、よい土地は奪い合いになります。そうなると、武力をもって自分の土地を守らざるを得なくなります。そこから「坂東武者」という武装集団が誕生します。

この「坂東武者」たちが生きた社会は

より武力の強いものが、よりよい土地を得る。

という極めてリアルな社会です。

当時、奈良や京都は大昔から続いている貴族や公家などの朝廷勢力によって住みやすい土地はすべて抑えられていたため、庶民は先祖から子々孫々まで余った土地に住むしかありませんでした。その理不尽な格差と比べれば、武力次第で何とでもなる坂東武者たちの世界がいかにフェアかわかるというものです。

そんな坂東武者たちの世界のフェアさを表す言葉として

「名こそ惜しけれ」

というものがあります。

坂東武者たちは武力で土地の奪い合いこそしますが、いったんお互いの領域を侵さぬと取り決めたなら、互いにそれを絶対に守るというある種の「潔さ」がありました。もしその取り決めに反してずる賢い方法で土地を奪ったりしようものなら、一斉に「恥を知れ!」と非難され、その家の名を名乗っただけで軽蔑されるほど徹底していました。

この未開の土地を奪い合う中で生まれた「名こそ惜しけれ」という坂東武者の精神が結実したものが、北条氏の三代執権・北条泰時が制定した「御成敗式目」です。

御成敗式目
武家社会での慣習や道徳をもとに制定された、武士政権のための法令(式目)である (wikipedia)

御成敗式目」こそが公式に「武士の倫理観」を規定した起点であり、いわゆる「武士道」のスタート地点と言えます。

坂東武者が武士道の始まりに関わっていたのはわかったけど、坂東武者たちが持ってた「潔さ」っていったいどこから来たの?という疑問が残ります。

坂東武者の精神性の源泉は「水」にあり

先に述べたように、武力で土地を奪い合う中にも坂東武者にはある種の「潔さ」がありました。その「潔さ」の根っこにあったのは「」です。

すっかり都市開発が進んだ奈良や京都と違い、当時の関東平野はまったくの未開拓地でした。そんな場所で「条件のよい土地」とは、すなわち「水源に近い土地」でした。

インフラが整備されてない地では、水の確保は生死にかかわります。せっかく水源のある土地を奪っても、相手に恨まれて水源を台無しにされり、水田を破壊されたりしては元も子もありません。「強いものが得る」というフェアなリアリティは存在しつつも「水源を守らねばならない」こともまた事実でした。

坂東武者間での領域の取り決めとは水の配分契約にほかならず、一度取り決めたことは双方が遵守しないと互いの生死に関わるものでした。そして卑怯にもその契約を反故にすることは、坂東の地においては「社会秩序の崩壊」だったわけです。

これに加えて、日本には「水そのものが潔さの象徴」という特徴があり、これが坂東武者の精神性に大きく影響を与えていると考えられます。

「日本の水事情」は世界的に見ても異常

日本には、その地理的特性から世界に類をみない水事情が存在します。

それは

・水の量がめっちゃ多い!
・水の流れがめっちゃ早い!
・水質がめっちゃキレイ!

の3点に尽きます。

まず、日本列島はものすごい量の水を地表近くに蓄えることができます。

その理由はコレ👇です。

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第1弾の記事にも載せましたが、日本は国土の2/3が森林だからです。

この割合はフィンランドに続いて世界第2位です。

森林は「水がめ」の役割を果たします。温暖湿潤気候に属する日本列島にはそこそこの雨が降りますが、森林がたくさんあるおかげで、降った雨が地表付近に長く留まります。もしこれが砂地や岩地だと地面にしみ込んだ水は地下深くまで流れてしまい利用できません。

では地表に水が豊富にあるとどうなるか?川になります。

日本は世界的に見ても川が多いんですが、日本の川には大きな特徴があります。

👇のグラフを見てもらえればわかる通り…

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『日本の水とダム』(一財)日本ダム協会 1986

世界中の川と比べて、めちゃくちゃなんです。日本の川って。

当たり前っちゃー当たり前なんですが、日本列島は背骨に高い山脈があるので・・・

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山から流れたらすぐ海!

になるわけです。

ではそうやって「豊富な水」が「急流」で流れるとどうなるか?

「清流」になります。

流れる勢いが強く流量が多いので、常にキレイなんですね。水が。

日本三大急流

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残念ながら、現代の都市部を流れる川はそれほどキレイではありませんが、当時、鎌倉時代にあった川はどれも川底まで見通せるような清流で、それがたくさんあったはずです。

昔話で、お婆さんが川で洗濯ができるレベルだったわけですから。

参考までに、海外の川の様子はと言えば…

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中国・長江

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インド・ガンジス川

現代の写真しかなくチョイスもアレなんですが、少なくとも流れの早さと透明度は明らかに違いがあると思います。

このように、地理的な理由により日本の水事情が世界的に見てもいかに特殊かわかるかと思います。

清流が生む独自の精神性

日本列島の特殊な地理的特性により、世界に類を見ないほど「豊富で急流な清流」がそこら中に流れているという環境が日本には古来からありました。

そんな環境下で生まれたのが

「清める」
「水に流す」
「禊ぎ」

という「水に対する独特の発想」です。

日本の河川がもつ、勢いよくものを流していく様があってこそ、物事を洗い流す=なかったことにする=水に流す、という発想が生まれました。

これは長江やガンジス川のような雄大でゆったりした流れから思い浮かぶ発想ではありません。

また、あの勢いがあるからこそ新鮮で清々しい透明な水が常にそこにあるわけで、そこから「水はキレイなものだ」という認識が生まれます。その結果「水で汚れを落とす」という発想が生まれます。

さらに、水が落とす「汚れ」の対象が拡大し、不幸や死などの忌むべきことも汚れの範疇として扱うようになり、その結果、「穢れを清める」=「禊ぎ」も水の役割になりました。

神社に参拝するときは水で手と口を漱ぐと思いますが、これがまさに穢れの清めで。巫女さんも、神事の前には沐浴をするようですが同じ理由ですね。

21世紀になった現代でも、濁った水で日常的に暮らしている人がたくさんいる事を考えると、ホント日本って恵まれているなーと思います。

余談ですが「日本の水事情が恵まれてる」っていう話を聞くと、いつもコレ👇思い出します😅

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ドラゴンボール ©バードスタジオ/集英社

まとめ

日本の地理的特性に由来する「水に流す」「清める」といった精神性は、平安末期~鎌倉時代の開拓地における「水」と「武力」のリアリズムのもとで坂東武者たちの「清々しさ」や「潔さ」として発露し、そこから「名こそ惜しけれ」という武士道の原型となる精神が形作られました。

武士道を支えるのは封建制度だとか高い倫理観だとかノブレスオブリージュだとか色んな見方があり、武士道と西洋の騎士道は似てるとか言われたりするけど、そもそも日本の特異な地理的特性が大元の背景にあることを考えると、「武士道」が海外で発生することはないんだよなーと改めて思います。

おまけ

日本の河川と中国の河川の対比を象徴する一例。

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日本のお酒:清酒。生一本。

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中国のお酒:老酒。熟成。

海外に日本のような清酒ってあるんかな?



※参考にした本

おしまい。

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