見出し画像

奇説 今昔物語集 vol.001 -大化の改新-篇

 この物語は平安時代末期に成立したらしい、ということ以外は、作者もタイトルも明らかになっていない説話集である。『今昔物語集』と呼ばれているのも、その殆どの書き出しが「今は昔」から始まるからという理由で便宜的に名付けられた通称である。
 執筆者不明の書物、と侮るなかれ、その内容は貴族、武士、庶民、そして僧侶と身分・階級の別に依らず、現実にたゆたう苦悩に煩悶する人々が、いかに智慧を振り絞って生きてきたかの記録でもある。

1.皇極天皇と蘇我一族

 『今昔物語集』の「本朝世俗部」は、皇極(こうぎょく)天皇の表記から始まる。この皇極天皇が、少しややこしい。舒明(じょめい)天皇の皇后であり、後の天智天皇、天武天皇の母であり、そして後に重祚して斉明天皇にもなる。
 この頃、大臣として政権を握っていたのは蘇我氏の頭領である蘇我 蝦夷(えみし)である。蘇我氏は元々、百済で首相をしていた木満致(もくまんち)が、渡来人として海を渡ってきて蘇我 満智となり起こした家である。蘇我 満智の子が蘇我 韓子(からこ)、その子が蘇我 高麗(こま)と、名前が分かりやすい。三代を経て土着したらしく、その後は稲目、馬子と続き聖徳太子とタッグを組んで、有力貴族であった物部氏を滅ぼし、権力を掌握した蘇我 馬子の継承者が蝦夷である。

 皇極天皇の時代には、蝦夷はもはや老齢で体力も衰え、子の蘇我 入鹿(いるか)にいつも参内させて政務を取り仕切っていた。父親を媒介してとはいえ、国中を思い通りに動かせるポジションにいることから、必然的に入鹿の権勢は絶大となり、その振る舞いは傍若無人なものとなっていった。

2.中大兄皇子と大中臣鎌子

 この時の皇太子は、後に天智天皇となる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)である。あるとき、皇太子が蹴鞠の会を主催したが、そこに蘇我 入鹿がやってきて蹴鞠に加わった。ふとした拍子に、皇太子が鞠を蹴ったと同時に、靴が脱げて鞠と共に宙に飛び上がった。入鹿は高慢な態度で皇太子を見下げ、その鞠ではなく皇太子の靴を蹴り、外に飛ばしてしまったという。

「おのれ、家臣の分際でなんたる態度!」

ここから先は

3,072字

Podcast「チノアソビ」では語れなかったことをつらつらと。リベラル・アーツを中心に置くことを意識しつつも、政治・経済・その他時事ニュー…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?