うすだいだいが見つからなくて

当時 mixi に書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。
※ユースケ8才のころのお話

=2009.08.24の日記=
「うすだいだいが見つからなくて」

ユースケの新学期準備で、クレパスの足りない色を買いにいくおつかいを頼まれました。大きな文房具屋だったら、バラ売りもしてるそうです。あお色、みず色、ちゃ色、うすだいだい色を買ってくるように頼まれました。ほいっ、お安いご用だ!

ところがいざ文房具屋について探してみると うすだいだい色が見つかりません。確かにバラ売りはしてました。他の色はちゃんとあります。でも うすだいだい色だけがないんです。

ユースケのクレパスは16色。棚に並んでいるのは24色。

おかしい、どう考えてもおかしい。16色以上あるのに、うすだいだいが見つからないなんて!

16色セットの商品を手に取って、棚に書いてある色とひとつずつ見比べてみることにしました。

しろ、はいいろ、くろ、こげちゃ、ちゃいろ、おうどいろ、うすだいだい・・・、あっ!そうかこの色は!

棚に書いてあったのは 「はだ色」。

そうか今は うすだいだい色なんだ。見つからないわけだ。

棚に書いてあったのは、昔の色の名前。それが訂正されないままになっていたから、気がつかなかったのでした。

肌の色は人それぞれ違って、決まった色はありません。「はだ色」よりは「うすだいだい色」のほうがふさわしいかも。これからは私も新しい色の名前で呼ぶことになるでしょう。

でも思ってしまうんです。やっぱりこの色は「はだ色」のほうがしっくりくるって・・。いけない、それじゃダメだ!頭では分かっていても、心のどこかでそう思ってる自分がいます。なぜなんでしょう?

そう思うと子どもの教育って大切なんだとあらためて感じました。なんの疑問もなく教え込まれたものは、潜在意識に刷り込まれてしまって自分の心に根づいてしまうようです。その意識を変えるには、自覚的な努力を必要とします。

差別や偏見のない社会をつくるにはまず子どもの教育から。

そんなことを「うすだいだい色」から考えてしまいました。

(終わり)

* * *

* 11年ぶりに日記の続きを書きます *

こんな記事を見つけました。

とても興味深い考察です。ぜひ読んでみてください。

その中で私が一番興味を覚えたのが、はだ色ばかりを集めた12色の色鉛筆セットがあるという話。

「はだ色」とは差別的な言葉だったのだろうか?
11年の時を経て、そんな疑問が浮かびました。

特定の色を「はだ色」と呼ぶのはふさわしくありません。でもだからといって「はだ色」という言葉を排除する必要はなかったのではないか?はだ色鉛筆のセットは、私にそう教えてくれました。

「はだ色」は誰にだってあります。人それぞれその色が違うだけ。いまなら肌の色はこだわりを持って語れる時代です。2000年代に差別的だと批判されて消えた「はだ色」という色の名前は、2020年代のいま多様性の象徴になり得ます。

はだ色ばかりを集めた12色の色鉛筆セットは面白いアイデアです。

でも私だったら・・、

12本を1本にまとめます。

いや、別に12色にこだわらないけど。

1本の色鉛筆にいろんな「はだ色」が入ってたらどうでしょうか?

描いてるうちに「はだ色」が次々に変わる色鉛筆、クレヨン、クレパスetc。肌の色について考えるきっかけにもなるし、色の変わる画材はそれだけで子どもが喜びそう。あったらほしいな。

差別や偏見のない社会をつくるにはまず子どもの教育から。

1本の色鉛筆がその一歩になるかもしれません。

メーカー様各位
SDGs時代にふさわしい多様性のある「はだ色」商品。
開発してはいかがでしょうか?


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