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忘却と沈殿――2つの記憶

私たちはこの人生において数え切れないほどの人々と関係を持つ。
そしてその記憶のほとんどは、時間が経つにつれて忘れ去られていく――ちょうどアルコールが揮発していくように、あるいは炭酸飲料から炭酸が抜けていくように。

記憶にとどまらない無数の関係がある一方で、いつまでも記憶にとどまってほしいと願うような特別な関係もある――家族や恋人といった親しい関係から、ほんの一瞬時間を共有しただけなのに忘れられない人まで、その内容は様々であるが。

しかしながら、終わりのない関係はこの世に存在しない。
あらゆる出会いはその内に別れを含んでいる。

ではこのような特別な関係の記憶も、やがては時に押し流され、揮発していくアルコールのように忘却されてしまうのだろうか?

答えは否である。

ここに記憶にまつわるもう一つの形態が見出される。沈殿である。

どれだけ大切にしたい記憶も、いつもいつも頭に、心に留めておくことは難しい。私達には日々の生活があるからだ。

しかし表面的には揮発して忘却されたように見えても、心の奥深くに沈殿し、ふとした瞬間に記憶が顔をのぞかせることがある。

それは必ずしも良い記憶ばかりではないかもしれない。

しかし揮発性の忘却と違って、沈殿する記憶は存在の奥深くから、その人のその人らしさを構成している。


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