終着点の行方
病院と言ったらどういう所だとみなが思うだろうか。一番に思い浮かぶのは病気を治す所だろう。手術などの治療が成功して病気が治る、それが病院の役割だと皆思っているのではないだろうか。でも、病院はそれだけではない。この場所は生と死が交わる交差点。生きる命もあれば死んでいく命もある。そんな場所ではないだろうか。
周りを木々で囲まれた静かな所にある病院にて。朝、八時。いつもの時間に職場の鍵を開ける。ドアの上には『検体検査室』のプレート。ここは二百床ほどの小さな病院の検査室。主に慢性期の患者を受け入れている所だ。検査室の鍵を開けたのはここで働く臨床検査技師の鳴海技師だ。鳴海は技師になって二年目である。まだまだ学ぶことが多くて忙しくしている。朝の機械の立ち上げが終わる頃に上司が検査室に入ってきた。挨拶をして今日の予定など軽くミーティングをして、九時から本格的に検査が始まる。検査の件数はそんなに多い方ではない。一日大体二十件から三十件ほどの検査だ。白血球、赤血球、血小板の数から炎症、貧血はないだろうか?肝機能、腎機能に異常は無いか?電解質のバランスから脱水はないか?栄養状態はどうか?一件一件隅々まで検査値に眼を通して異常が無いかどうか確認する。何か検査値に異常があれば医師に報告している。パソコンの画面で次から次に出てくる結果を確認していた鳴海は、ある患者の検査値で眼を止めた。その患者は長期で入院している患者で、炎症を示す白血球などの数値が上がっていた。カルテを確認すると肺炎を起こしているようだった。上司に相談した所、緊急性は高くないとのことなのでその時はそのまま鳴海は検査値を臨床に返した。
その二日後だった。肺炎を起こしていた患者の血液検査が再度あった。朝一番の九時に検体が病棟から来てすぐに検査を行った。身体の状態を表す検査値は悪化していたため、至急主治医に連絡をした。翌日には主治医から、電話で迅速な報告に対するお礼の言葉を頂き、その日のうちに患者は近くのより高度な治療を受けられる施設に転院となった事を教えてもらった。
また、別の日。鳴海が同じく流れてくる検査値の確認を次々にしていた時だった。臨床検査技師の鳴海達は検査値で身体の状態を把握する。だから命の危機が迫ってきていることも検査値を見れば分かることもあった。その患者の結果を見た鳴海はドキリとした。その患者の腎機能は低下して、炎症の数値は高くなり、血液検査の結果は異常を示していた。鳴海はすぐに至急データを確認して頂くよう主治医に報告した。
報告したらそこからは鳴海達、臨床検査技師の手を離れて後は医師の仕事である。忙しい朝の仕事を終えて、次の日の用意をしていたお昼過ぎ。鳴海が検査値を報告した医師が検査室に来た。
「朝はありがとうございました。迅速な報告のおかげですぐに対応できました」
そう言う医師にその後のことを聞いた。医師もこの患者に命の危機が迫ってきていると判断して、報告のすぐ後にご家族に連絡して面会の時間を取ったと言うことだった。その患者は必要以上の蘇生をせずにこの病院でできる限りのことを、と言うことだったらしい。
その患者は夕方に亡くなったと、翌日に鳴海は医師から聞いた。
それを聞いた鳴海は、昔の事を思い出した。同じように長期入院していた祖母の事。その祖母は今回の患者のように肺炎を起こして、あっという間に亡くなってしまった。急な知らせで看取ることは出来なかった。夜中に母から電話がかかってきたのだ『おばあちゃんが死んだよ』と。祖母は一人で逝ってしまったのだ。鳴海は最期に祖母と一緒にいたかったという心残りがある。医師を初めとした医療従事者は全力を尽くしてくれた。誰が悪いわけでもない、ただ心の奥底にポツリとある引っかかり。いつまで経っても残っている。
誰もが、心残り無く死に逝く訳ではないだろう。あれがしたかった、これがしたかった。残していく人が心配だ。必ず何かしらあるだろう。それとは逆に、残されていく人にも心残りはある。もっと一緒に過ごせなかったのだろうか、なにか出来なかったのだろうかなどだ。全てをかなえることは出来ない。でもできる限り悔いを残すことのないようにする事は出来るかもしれない。
鳴海は検査に使う機械のメンテナンスの作業をしながら考えていた。今回は患者が亡くなるという残念な結果になってしまったけれど、医師の迅速な行動で最期に家族とともに過ごせる時間が取れたのは良かった事ではないだろうか。それは検査値をまず一番最初に確認する自分達に責任が重くのしかかる事になるとも思った。今回の件でも報告が遅れていたら、ご家族が患者と過ごせる時間が取れなかったかもしれない。そうなっていたら、どうにもならない。
死に直面するのはとても悲しいことだ。でも一人で逝くより家族に見守られての方が、悔いを残さないで逝く方が、突然の訃報を聞かされるよりも最期を見守ることが出来た方が、患者やその家族にとって少しでも救いになるのではないだろうか。鳴海の心の奥底にあるしこりの様なものを残さずに済むのではないだろうか。
確かに病気が治って良かったと言うのも大事だろうけれど、避けられない最期をどう迎えるかも大事なことなのでは無いだろうか。
家族にとっても本人にとっても後悔の無い最期を迎えられたら良い。
その為に自分達がいるんだ、そう鳴海は思った。
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