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ソニーとアップルの違い ~洗濯機の故障から思いを巡らせたことをつらつらと

洗濯機が壊れた

洗濯機が壊れた。日立のやつ。日立だから死ぬまで使えるかなと思ったのだが、そうはいかなかった。
電源は入るが、全部のランプが点滅して、注水もできない。
修理依頼をしようと取説を見てみたが、7年以上経過したものは経年劣化で発火や怪我の恐れがあるとか、修理部品は製造終了後6年しか保持しないと書いてある。

↑↓取説より

11年使ったので、修理より買い換えか……と、ネットで同じようなものを探してみた。
家電のブランドといえば、ナショナル、東芝、日立、三菱が4大ブランドで、新興勢力としてサンヨー、シャープ、NEC、ゼネラルあたりがあった、というのが我々高齢者世代のイメージだけれど、今やもう、どれもただの札(ふだ)にすぎなくて、品質や耐久性はどこも未知数。
ハイセンス、なんていう中国の巨大企業が東芝のテレビの実体だし、アイリスオーヤマなんていうホームセンターでしか見なかったようなブランドがいつのまにかビッグネームと肩を並べていっぱい製品を出している。これも含めて作っているのは全部中国工場じゃないかな。
メーカーの姿勢が、「いいものを作る」ではなく「いかにしてつぶれないように企業を維持するか」で精一杯になっている感じ。しかも、その判断(上層部の)がことごとく間違っている。東芝の没落、シャープの失敗あたりがそれを如実に物語っている。

ちなみに上記4大メーカーのうち、ナショナル(パナソニック)以外の3社はいずれも原発に大きく関与していった。東芝の崩壊はまさにそれが最大の原因だったし、日立、三菱も、国の援助がなければとっくに破綻していただろう。三菱は戦前からずっと軍事産業にも深く絡んできた。
パナソニックだけが企業の経営方針としてそうした製造業からは距離を置いていたと思う。
我が家では電動アシスト自転車や洗浄便座がパナソニック製だが、どちらも不具合が出たときは無料で修理や交換をしてくれた。
先日、洗浄便座(9年前に購入したいちばん安い価格の製品)の蓋がダンパーが効かなくなり、バタンと閉じるようになってしまったのでメーカーの修理窓口に蓋だけを買えるかと電話で問い合わせたところ、翌日に宇都宮からサービスマンが来て、無料で新しい蓋と交換していった。
販売後数年で同様の事例が多く報告されるようになり、メーカーが蓋の取り付け部分の強度が足りなかったことを理解しているので、新品に無料交換しているのだという。出張費も取らず、完全に無料だった。
2万円台の安い洗浄便座、しかも製造後9年も経っている製品なのにこれだけのアフターケアをすることに驚愕した。
こういうことの積み重ねで、メーカーブランドへの信頼は築かれ、維持されるのだなあ。

ソニーとアップルの違い

このことはマイルド・サバイバーにも書いた。

マイルド・サバイバー』P42-43

私のような高齢世代は、ソニーのウォークマンが世界中でヒットし、家庭用ビデオデッキの標準規格(VHSとベータ)が日本から生まれた時代を生きていましたから、日本は世界最先端の技術開発力のある工業国だと信じてきました。しかし、今の若い世代は、物心ついたときからアップル、マイクロソフト、インテルといったメーカーがIT世界を支配していたので、日本の凋落ぶりがピンとこないかもしれません。
要するに今の日本は、
●実質の労働単価が世界最低レベルであり、庶民の購買力が低い貧乏国である
●食料危機、エネルギー危機をのりきって国力を盛り返すだけの技術力や戦略がない
ということです。悲しいことですが、リセット時代を生き抜くには、この現実を受けとめることから始めなければなりません。
『マイルド・サバイバー』 p43より)

ソニーの創業は敗戦の翌年、1946年5月。従業員20名の東京通信工業としてスタート。
その30年後、Appleは1976年4月に3人の若者がガレージでスタート。
ソニーの栄華はウォークマンあたりがピークで、「世界のソニー」「工業国日本のシンボル」という認識は今は跡形もない。
Appleも、ジョブズの死後はだいぶ迷走している感じはあるけれど、未だにMac神話やiOS製品への信頼度は揺らがない。
詐欺師としての才能がずば抜けていたゲイツは世界を自分の手でコントロールできると思いこみ、実行に移している。
さて、日本には一体何が残るのか?
省エネルギーとか脱硫とか、そういう技術に磨きをかけて世界に売る、とか、今からでもTronに代わるようなものすごいOSを作ってIT世界をひっくり返すとか、UNIXベースで動く完全互換のソフトウェア産業帝国を築くとか、そういうのができない。
簡単に瞞され、いいように金と労働力を搾り取られて利用されるだけ。
残念ながら、もう諦めてる。この国が持ち直すとしたら、とことん壊れた後だろう。そういう時代がまた来るのかどうかは分からない。見届けることもできない。

結局、洗濯機はパナソニックの7kgのやつを注文したのだが、「在庫あり」という表示ながら、配達は1週間後。それまでは手洗いか。
ちなみに洗濯機や冷蔵庫は廃棄するのも相当なお金がかかる。買い換えのときはその費用も上乗せして計算する必要があって、店によって対応が違うのね。
弱小店舗は「玄関先までしか運べません」「マンションの上階などは別料金になります」とか書いてあって、古い製品の回収などはまったく対応せず。
大型店は一応回収も対応しているところが多いけれど、料金がまちまち。リサイクル券の費用は決まっているけれど、回収手数料がバラバラ。どちらも現場で現金払い。
……と、それはまあ、仕方がないと思うけれど、じゃあ、今や住宅街の中にもじゃんじゃん設置されているソーラーパネルとか山の上の巨大ウィンドタービンとかの廃棄はどうするんだろうと思う。
設置業者はとっくに倒産していて、結局は行政が後片づけするしかなく、税金としてのしかかってくるんだろうな、と。
今でも再エネ賦課金というのが電気料金に上乗せされているわけで、なんと高額な電気を作っているのか。

今の日本は、終戦後に頑張って獲得した技術や資産を怖ろしいスピードで投げ捨てている。
いつまでもつのかなあ。
それを見届けることはできないし、いい方向に向かう兆しを感じながら死ぬことは無理だろう。

「エリート」候補生たちの悲劇

私自身は全体的に恵まれた時代を生きてきたから運がよかったが、心残りなのは若い世代の人たちのことだ。
これからの時代は、本来はリーダーシップをとるべきエリートとされるような若い人ほど苦労して、短命なんじゃないかと思う。
官僚とか、大企業で出世を狙う人とか、そういう人ほど、どんどん弱体化するこの国ではものすごいストレスを溜め込んで、短命になるんじゃないか。
東大を始めとする一流大学といわれている大学に入ることの技術を習得することで時間やエネルギーを使う子は、「世界」の真相を知るための時間がないから、社会に出た途端に理不尽なシステムの中で自分を殺すことを余儀なくされ、一気に精神を病んでしまうのではないか。

今、勉学に励んでいる真面目な若者たちにどんな言葉をかけられるだろう。
十代は、知能を使う技術や知識を詰め込む時間でもいい。
ただ、二十代からは、それはただの手段にすぎず、使いこなすためには世間の多勢がいう「常識」に絡め取られず、自分の頭で現世の奥底を追求する力を磨け。
……言えるのはその程度のことかな。やりきれない。

では、「非エリート」たちはどうなのか。
学歴はないけれど、ちゃんと自分の頭で考えることを続けている人たちは生き残る確率が上がるのではないか。
いろんなことを考える暇もなく、生きることで精一杯の人たちも、身体が丈夫で、適応力がある強い遺伝子を持っている人たちは生き残るんじゃないか。

全体的に平均寿命はどんどん短くなるだろうが、生き延びる者はいる。人類という生物種は、そうそう簡単には滅びない気がする。
少なくとも、人類の中の少数の「エリート」どもの策略では、計算し尽くされない仕組みを内包しているんじゃないか。

……その結果、どんな人間社会が形成されるのかは分からない。悲惨な世界かもしれない。
でも、所詮「現世」はその程度のものだ。その先にあるかないか分からない、未知の世界を時々感じながら、自分の道を作っていくしかない。

……なんてことを、湯船に浸かりながらぼ~~っと考えていた。

しかし、こんな話、自分が10代、20代のときのことを思い起こせば、到底理解できない話だったし、こんな年寄り臭いことを考えて生きなければならないようでは若い時期のエネルギーが可哀想すぎる。
爺としては、ただ見守るしかない。


こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。