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エッセイを書くポイント

 松浦弥太郎さんの著書『エッセイストのように生きる』を読んで、エッセイストのように生きてみたいと思った。だから、今、実践中。

 昔から書くことが好きだった。

 noteでは、いろいろと書いていたし中には自分なりに好きな記事もある。でもどうも、ライターやWebメディアの編集の仕事をするようになってから心から自然と湧きあがることを形にするのが昔と比べて困難になっていた。どうゆうことかというと、下心がある文章が多かったように思う。

 何者かになりたいという下心。うまく書こうという下心。いつか仕事につながらないかな? という下心。

 このような邪念が入っていたので、自分の内面にピントが合ってないなかった。内面にピントが合っていないので、ネタも外から探そうとして、余計に視点が外に向く。それらが書けなくなった要因だと思う。『エッセイストのように生きる』を読んで、気がついた。

 松浦さんはいう。

 エッセイとは、ただ起きた出来事を書くのではなく、「心の動き」を記すことである、と。よって、書く行為よりも、考えることや内面を見つめる時間のほうがウェイトが大きい。また、日々の中で、自分を見つめ自分の視点を探し続け、自分の心の動きを明確にする、それがエッセイストとしての生き方だと。

 内面にぴたりとピントを合わせるために自分を見つめ、考え、ときには自分なりの答えができるまで、それを続けなければいけない。これができていなかった。

「うーん、何書いたらいいかネタないな〜。だいたい一般人の私のエッセイなんて求められてないしお金にならないし」なんて言い訳をつくり、考えることを放棄していた気がする。

 でも、エッセイを書くことで一番重要なのは書くことではなくて、考えることなのだった。「書けないから考えない」ではなくて「書けるまで考え続ける」ことが必要なのだ。ときには書けなくても、考えることや自分を見つめることをやめなければ、それは制作過程の一部なのである。

 もうひとつ、エッセイを書くうえでの最強の秘訣が書いてあった。

 エッセイとは「秘密の告白」である。
 まだ多くの人が見つけていない「秘密」をさぐり、気づき、見つけ、言葉にしたものが僕か考えるエッセイなのです。
(中略)
 エッセイにおける「秘密」とは、自分が発見した、ものやことに隠されている本質。
 ほかの人から借りた感性や意見ではなく、自分の内側から生まれた自分の言葉です。

『エッセイストのように生きる』

 わかる。それだ。秘密、発見、自分の内側から生まれるもの。過去に、手応えを感じていたとき、書くのが楽しかったときに書いたものを思い返してみると、すべてそれらを満たしている。

 というわけで、「考える・内面にピントを合わせる・秘密(=自分なりの発見)を教える」をポイントととして、文章を書いてみたら、自分が納得するするものが次々に書けたのである。

 思い出した。エッセイの書き方を、私はやっと思い出した!

 というわけで、エッセイストのように生きてみてる最中だ。エッセイストのように生きてみる前と後で、生活が変わったかといえば、頭の中は完全に変わった。ほとんどいつもどこかでエッセイのことを考えているようなフシがある。

 なぜなら、エッセイのネタは、机に向かってじっとしていて思いつくことは稀。リラックスしているようなときじゃないと思い浮かばない。だから日常生活で、ふと何かを思ったたことや、これ書けるかも? というときにはすぐにメモするようにしている。そして、ちょっとでも時間があったら、そのメモを見て、自分の考えを深掘りしたり、文章にするにはどうすればいいのだろうか? ということを考えている。そして、ある程度まとまった時間がとれるときに、書く。そんな一連のリズムを覚えてきた気がする(まだ2週間くらいなので、身についているとまではいいづらい)。

 生活にハリが出て、書くのが楽しくなって、とてもうれしい。

 ちなみにこの本、エッセイに興味がある人は絶対に読んだ方がいい。



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