はじめにインターネットあり


あの頃(2000年代半ば)、個人のホームページがあるというのは、自分の城を持つことと同じだった。巨大な掲示板が放つ合戦場の雰囲気とは違い、のんびりとした辺境を思わせる私のスペース。

中学生の私は、無料の小さな領地を賜った。ホームページビルダーで耕し、HTMLコードを埋めて、個人サイトを育てていた。
それから私はただの中学生ではなく、領主となった。自らの領土を見守るがごとく毎日カウンターをチェックし、収穫した作物を市場に並べるかのごとく日記ブログを更新するのが日課となる。人は来ないが、荒らしとの戦いもない。
領地はMBと小さくとも、伸びやかな毎日と、主になった感慨に満たされていた。

当時、ファンタジーのあるジャンルにハマっていた私は、二次創作という概念を手に入れ、駄文を量産していた。マイナーだったと思う。同じジャンルは50サイトくらいしかなかったから。その過程で、自らの領地外にいる他の領主と出会うことになる。

一人は仮にAnorさんとしておく。恐らく、主婦。中学生には難しい言い回しや言葉を使い、呪文のよう。世界観と合っていて、憧れていた。Anorさんは私からコンタクトを取った。もしかしたら無礼にも取られるほど拙い言葉で、メールフォームから感想を送った。返事が、、、来た!
もう一人は、マイティさん(もちろんハンドルネームの仮名)。学校を卒業し、社会人になってすぐのよう。パスで描いたようなオシャレなデジタル絵と、添えられる印象的な文章が目当てで、サイトを日参していた。マイティさんは、自身のブログにて、私の創作の着眼点を褒めてくれた。さっそくお礼のメールを送る。

三者が一国の主人であり、現在のツイッターのように気軽にリプを送り合う、というようなことにはならなかったが、時折、暗号のようなコメントを送り合って、細々とお互いにの存在を確認し合っていた。

インターネットで行う同人活動の初期には、深海を手探りで冒険するような、楽しみがあった。暗い闇の中で、チカチカと文章や絵や感想を携えた光を送るのだ。気の合う相手なら、チカチカを返してくれる。彼らは、私のチカチカ細い光に、応えてくれた人たちだった。

やがて、私は高校生になり、始めたアルバイトや、ついに受験などが忙しくなり、ホームページを閉鎖することになった。大学生になると、別のことに気を取られて、やがて二次創作自体を忘れてしまった。

今では、ホームページサーバーのサービス自体が終了してしまい、過去の痕跡を見ることができなくなった。先日、久しぶりに検索してみたが、そのジャンルの二次創作の同人サイトが登録できるサーチサイトも消え去っていた。直リンではないバナーが、元のサーチサイトが終了した後も、古代の遺跡がその支柱を残しているように、残っていた。現在は二次創作の同人活動をする際、個人サイトよりも、ピクシブやツイッターなどのSNSを利用する人たちが多いそうだ。

そして、同人活動から離れた私は、どうしてあの頃、交流のあったあの人たちと、連絡をもっと取り合わなかったんだろう、と後悔している。中学生の頃からの友人は、今でも同人活動をしている/いた友人とツイッターでリプライを飛ばしあったり、実際に会ったりと交流が続いている。その様子を羨ましく思う。私も、かつては、インターネット上に、同じ趣味の友人がいた。縁を大切にできず、失ってしまったが。

確かにインターネットをはじめた頃は、インターネット上の友情が、リアルな世界と同様に、こんなにキラキラしてみえるようになるなんて、思いもしなかった。世間では事件に巻き込まれるといった負のイメージが先行し、どこか暗い、正道ではないという気持ちが優ってしまっていたからかもしれなかった。

大学を卒業した後、職を何回か変えた。創作活動をしていたより長い期間、働いている。働き出してからは、創作だけではなく、アニメ・マンガなどを鑑賞することも少なくなっていった。
転職する際、ハローワークでカウンセリングをしてもらった。「あなたが人生で一番幸せだったのは、何をしている時?」とカウンセラーに聞かれて、思い出したのが、この記憶だった。そして、遅まきながら、あの頃を慈しみ、肯定するように、似たような仕事をしている。

終わり


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