見出し画像

怪物だーれだ

私は脚本家 坂元裕二が好きだ。
以前の記事で書いた通り「花束みたいな恋をした」は劇場に複数回足を運んだし、「カルテット」「最高の離婚」「初恋の悪魔」は再放送含め何回も視聴した。
坂元作品はテンポの良い会話劇にスポットが当たることが多いが、一方で「それでも、生きていく(加害者家族と被害者家族)」「Mother(児童虐待)」「anone(疑似家族)」など、社会問題に一石を投じるような脚本家でもある。
今回は是枝裕和監督とタッグを組むということで、社会問題を取り扱った映画になるのだろうと漠然と期待していた。(私は是枝作品も好きで「奇跡」「海よりもまだ深く」「そして父になる」「万引き家族」などお気に入り。)

だが、いつまで経っても事前情報が出ない。


カンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞したという情報は得た。
予告編を目にする機会はあったが、映画の内容がさっぱり分からない。
「怪物が誰か」を突き止める、ミステリータッチの怖い話なのか!?
とりあえず予告で流れてる、シューベルトの魔王が怖い。
怖いよ、おとーさーん!!

そんな気持ちで映画館へ。

(ここから先ネタバレを含みます。)



結論から言うと、予告はミスリードだった。
怪物を見つける物語ではないし、怖い話ではない。
いや、「生きてる人間が一番怖い」系のホラーとは言えるかもしれない。

本作は、「同じ物語を三者の視点を通じて見る」作りになっている。
だから同じ場面を三度見ることになるのだが、誰の目線で見るかによって、全く違う物語になる。
異なる人物像を映し出し、一見不可解に思った行動にも、その人なりの「理由」「思い」があることを知る。

「これは映画だからそう映しているだけ」ではない。
私達は現実で、いつも自分目線の物語しか見ていないのだ。
しかも今回の映画みたいに答え合わせが出来ないから、「◯◯さんはこう思っていたのか!」と知る機会もない(かもしれない。)

じゃあどうすれば良いのだ(怒)
他人と関わって生きるなんて、疲れるだけではないか。


劇中で湊と依里は「怪物だーれだ」というゲームを幾度となく行う。
掛け声とともに、生き物のイラストを描いた紙をおでこに当てる。
「私は◯◯ですか?」というYES・NOの質問を繰り返し、相手の回答からどんな生き物なのかを突き止める、という遊びだ。

私はこれを「自分がどんな人間かは他者の目を通じてしか分からない」という隠喩だと解釈した。

私はどんな人間か。
「真面目」「大人しい」「マイペース」「八方美人」
他人にそう評されたり、他人と比較したりして気づいた性格だ。
そして「家族」「中高の友人」「大学の友人 」「元バイト仲間」「職場の同僚」、私を取り巻く人の数だけ「私」が存在する。

それが辛くもあり、楽しくもある。
私達は全く違う物語を生きているけど、「理解しよう」「理解してもらおう」とする努力をし続ける意味はあるのだと思う。

「怪物だーれだ」の答えは「みんな誰かにとっての怪物になり得る」なのかもしれない。
でも私は敢えて「あなたにとっては怪物にしか思えないような人でも、血が通った同じ人間である」という言い方をしたいなと思っている。

この記事が参加している募集

映画感想文

いただいたサポートは、好きな小説を買うのに使わせていただきます。購入した小説はnote内で紹介します!