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新しいチーム

みなさんこんにちは。
普段からKEIMASA CYCLEをご覧いただきありがとうございます。
今日は…書こう書こうと思っていながら書くのをすっかり忘れてしまい4ヶ月が経ってしまった話のことを書きます。

今回はサッカーのお話なので自転車関係のお話はしません。
お時間あれば最後までご覧ください。

それと、今回は写真がありません。
文だけです。
かなり退屈な内容になってしまうかもしれませんが最後までお付き合いください。

でもいつものようにKEIMASA CYCLEのリンクは貼っておきます。


ご存知の方の方が多いとは思いますが私のメインはサッカーです。
普段はKEIMASA CYCLEに参加させていただいているので自転車関係の方とのつながりが多いですが本来はサッカーをするためにこの国に来ています。
昨シーズンのお話をちょろっと書いた記事があるので興味持たれた方はそちらも併せてご覧ください。

私が昨シーズンまでプレーしていたリーグは11部

ドイツブンデスリーガのほぼ最下層に当たるカテゴリーでプレーしています。
ほぼ不可能な話ではありますが、やろうと思えば最短11年でブンデスリーガまで上がることも可能です。
日本のJリーグ及びJFL、とドイツサッカーリーグはかなり似たリーグ構成となっています。

Jリーグ
日本プロサッカーリーグの最高峰で1993年に現在のJ1に当たるリーグが当時10チームでスタート。
1999年までに少しずつチームを増やしていき現在18チームで構成されている。
1999年に2部リーグにあたるJ2が、2014年には3部リーグにあたるJ3がスタートした。
全てのカテゴリーを合わせて現在は58チームがリーグに登録されている。
J1は18チーム、J2は22チーム、J3は18チーム。
J1には近年VAR(ビデオにて細部までプレーの確認が可能になった)が導入されたことにより難しいプレーに対しての精度を高める取り組みが行われている。
J2、J3にはまだ導入されていない事から試合運びがかなり難しい問題を抱えているが肉弾戦が多い世界の2部リーグに比べると圧倒的に戦術理解度が高いリーグとしても知られている。
J2までは解説者が2人体制。
J3は1人で解説を行う為、解説者にとってもかなり厳しいリーグとなっている。
JFL(Japan Football League)
1998年までは同名のリーグとして開催されていたが1999年度から新たにリーグがスタートした。
あくまでアマチュアチームとしての位置付けてあったが近年はJ3が発足された事により4部リーグと言う位置付けに変わってきている(J4というわけではない)
年間運営費、観客動員数、年間順位、そしてスタジアムの設備等の課題を全てクリアする事でプロリーグであるJリーグに加入することができる。
長年J1やJ2でバリバリプレーしていた選手も「プレーできるならカテゴリーは気にしない」と言う面からこのリーグにも有力な選手が多々集まっている。
2022年シーズンにはキングカズこと三浦和良選手がプレーして話題性を高めた。

話を戻しまして、昨シーズンは当時所属していたチームのクラブハウスが遠すぎるのと監督との相性があまりにも悪かったため今シーズンからチームを変更することにしました。

日本の最下層リーグの場合は知り合いや友達等で作られているチームが大半な為に簡単にチームを変えることはできませんがこちらでは頻繁に選手の移動が行われているのでチームを変えることに対しては全く支障がありません。
しかしチームの登録期限を守らなかったり登録されていない選手を出場させた場合などの禁止事項がサッカー協会にバレた場合は出場停止、チームの勝ち点剥奪などプロ顔負けのペナルティーが課せられます。

新チーム

新しいチームは自宅から自転車で6分ほどで行けるKTSV  Preussen 1855 Krefeldというチームです。
カテゴリーは11部です。

まさかの同じリーグです

しかし同じリーグであっても前所属のチームとは何故か対戦することはありません。
というのも11部リーグでもグループA,B,Cと更にブロック分けがされているのでリーグが違うそうです。

昨シーズンの終盤に今回所属することになったチームと対戦し、クラブハウスがあまりにも自宅から近かったために試合中に対戦選手に話を聞いて試合後に監督に話をして練習参加をさせてもらうことになりました。
基本的にはドイツでのサッカーチームの練習等に参加したい場合はホームページから監督の電話番号やメールアドレスを調べて直接やりとりしますが言語がまともに話せない私にとっては苦行でしかありません。
ですので基本的には毎回チームに出向いて直談判します。
今回は後々出向くのが面倒だったのでそれを試合中に行いました。

シーズンが終わり1ヶ月後の7月9日から早速チーム練習に参加しました。
1度しか名乗っていないのに監督や何人かの選手が私の名前を覚えてくれるというのは毎回のことではありますが驚きます。

そしてチームとしては初めての日本人選手なので皆興味津々でした。

チームの練習に参加して最初に驚いたのは選手がとにかく若いと言う事です。
下部リーグになるとビール腹の太った人やもう40歳は過ぎているであろう選手が多々所属しているリーグではありますが新しいチームの年齢層は平均が25歳とかなり若いチームでした。

調べてみたら私より年上は2人しかいません。
そしてその2人は基本的に練習にはきません。

と言うこといきなり私が最年長です。

そして今シーズンは下部組織から大量に選手が昇格してきた事もありチームの半数が10台でした。
若い選手は皆華奢な体型ではありますが技術が高く仲が良いため連携面で非常に良いサッカーをします。
『これ昇格狙えるね』
これが初日のチーム練習後の感想でした。

そこから何回か練習を挟んで早速練習試合です。
用事で行けなかった1試合(ニュルブルクリンク24時間耐久レースに参加していた)以外は4試合全てに出場しました。

練習試合

練習で調子が良かった事もあり監督の印象は良かったそうです。
シーズン最初の試合会場である隣町へ高速道路を時速170kmでぶっ飛ばしている最中に監督から「お前のポジションどこだ?」と聞かれたので「守備ポジション全部、できればサイドバック」とあまりの速度に震えながら答えていました。
日本の草サッカーでもよくある話ですが試合の日だけ来る選手もいるのでそこで初対面の選手も何人かいました。
ユニフォームを渡され早速メンバー発表です。
基本的には1番後ろのGKから呼ばれるので私は2番目(右サイドバック)か5番目(左サイドバック)に呼ばれます。
しかし4番目に呼ばれました。
どう言う事でしょうね?
お前にはセンターバック(守備中央)でプレーしてもらう」と言われました。
私の身長は165cmです。
日本ではこの身長でプレーしても皆同じくらいの身長なのでそこまで弊害はありませんでしたがでっかい奴しかいないこの国では弊害しかありません。
まさかのリーグで最も小さいセンターバックが爆誕しました。

試合ですが対戦相手がデカすぎて守備が大変でした。
更にペアを組んだもう1人のセンターバックの選手(監督の弟)と相性が全く合わなかった事です。
相手の前線の2人の選手が大きい選手と小さい選手なのに私が大きい方、相方が小さい方と全くマーカーの受け渡しがされず終始大変でした(監督の弟は186cm)
私のマーカーは188cmあったそうです。
そして下部リーグは基本的に1審制なので少しでも怪しいプレーはバンバンファールが取られます。
大きい選手に勝つには手を使うしかないのにそれが全てファールにされてしまいもはやお手上げでした。
結局この試合はフル出場しましたが2~3で負けてしまいました。
試合の後半は守備にしっかり対応できたのである程度手応えはありました。

2試合目はセンターハーフ(中央)での出場でした。
1試合目から試合に出ているベトナム系ドイツ人(27歳)の選手とトルコ系ドイツ人(19歳)の3人で中央を固めてゲームの流れを作っていく戦法でしたが仕事後の試合だったため身体が試合前から疲れており殆ど頭が回りませんでした。
本当はベンチスタートの方が得策だとは思っていましたが『試合に出るためにチームを変えたのだから多少の疲れは気合いで乗り切ろう』と無理やりプレーすることにしました。
前半は身体が全く動かず守備位置にてプレーしていたものの、走れなさすぎて私より前線でプレーしていたベトナム系の選手とプレー位置を交換して凌ぎました。
全く気合いで乗り切れませんでした。
『流石に後半は変えられるだろう』と思いながらプレーしましたが結局この試合もフル出場。
前回の試合同様に最後の最後で点を取られてしまいこの試合も2~3で負けてしまいました。
試合後は疲れ果ててロッカーに戻る事ができず対戦選手に助けられながらロッカーへ向かいました。
その後はビールで回復しました。

3試合目は用事ですっ飛ばしで4試合目は人数が集まりすぎたのでスタメン組とサブ組で前後半で総とっかえ。
私はスタメン組で左サイドバックとしてプレーしました。
対戦したチームがあまり強くなかったためそこまでの見せ場はありませんでしたがこぼれ球を1年ぶりにシュートしたりと攻撃面での見せ場はできた気がします(シュートはホームランしました)
しかしセンターバックと息が合わないので間にパスを通されて失点に絡んでしまいました。
それでも監督の評価はかなり高かったようです。
この試合は後半にサブ組が3失点してしまい4-4の引き分けでした。

5試合目も左サイドバックでのプレーでした。
しかしこの試合の12分で相手との接触で右足の指を2本折ってしまいました。
全くファールを取らない審判だったのでそのままプレーは続行しました。
足の痛みがかなり激しかったのですぐに『これ折れたな』と分かりましたが変えられたくないのでそのまま前半はプレーしました。
私のプレースタイルは基本的には相手の後ろには走り込まず後ろでカバーに入るタイプです。
現代のサッカーでは絶滅危惧種ですね。
しかしこう言う試合に限って後ろに走れるような状況が多発し何度も走り込むことになりました。
後半からはセンターバックとしてプレーをしましたがあまりにも足が痛いのでGKに「足が痛すぎておそらく走れない。後ろにボールが来たら全部頼んだ」とお願いして後半をプレーしました。
案の定10分で8本も後ろにボールが飛んできて全部相手に裏を取られてしまいました。
流石にまずいと思ったのか監督にすぐに選手交代させられます。
交代させられるのは残念でしたが明らかに危ない状態だったので今回だけは助かりました。
靴下を脱いだら指2本が見事な紫色をしていてパンパンに腫れていました。
相手のベンチを通って自軍のベンチに戻るので歩いて戻る際に「え…お前その状態でプレーしてたの😨」と言われてしまいました。
幸いにもこの試合は勝つことができました。


おそらく折れているだろうと言うことで試合の次の日に病院にて検査を受けたところ案の定指が骨折していたそうです。
2本のうち1本はかなり危ない折れ方をしていると言われました。

先生「何か事故でもあったのか?」
私「いいえ、サッカーの試合でこうなりました」
先生「何をどうしたらこんなに豪快に折れんだよ。お前アホか

言われたい放題です。

その後、監督に経緯を伝えてしばらくチームから離脱することになってしまいました。


当初は1ヶ月程で治るとの事でしたが、思った以上に治りが遅く未だに1本はしっかりと曲がらない状態です。
おそらく安静にせずに仕事を再開したのが原因でしょう。
9月には走ることができる状態まで回復したのでその1ヶ月後の10月から練習に復帰しました。
しかしここで少し不幸があり練習場が1ヶ月間だけかなり遠い場所のグランドになってしまいました。
試しに1回だけ行ったもののあまりの遠さに仕事後に行くのは難しいと判断して治療に専念しました。
ようやく本格的に合流できたのは11月、練習に参加した際には走る事も強いボールを蹴る事もできる状態になったのでここから本格的に身体を追い込んでいきます。

リーグ戦は既に始まってから13試合が経過しており現在チームは15チーム中7位です。
若い選手が多いから勝てる試合はボロ勝ちするのに負ける試合にはボコボコにされているそうです。
チームに加入してから監督に「常に指示を出し周りを動かせる選手が欲しかった。お前はそれができる」と評価をしてもらっているので試合に出れた際には期待通りにプレーするつもりではありますがメンバーがある程度固まってきているのでしばらくの間は試合に絡むのは難しそうです。
シーズン後半から出場できるようにもう少し身体を絞ってチャンスを待つとしましょう。


今回は久々にサッカーの話を書きました。
本当は自転車のお話も書きたいのですがヨーロッパでは自転車のシーズンは終わってしまい気候的な面で乗るのが大変な時期になってしまいました。
それでも天気が良い日があればいつでも乗れる準備はできているので何回かは乗りたいです。
そのお話が書けるのであれば次回はまた自転車のお話を書きます。

寒くなってきて外に出るのも大変だとは思いますが残り2ヶ月間を楽しんでお過ごしください。
ここまで読んでくださりありがとうございます。

ではでは👋

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