続:書き先=時間の投資先をnoteにしたこと。

まだ3つしか記事を書いていないのだけど、はじめてから1週間程度でnoteを触る機会が増えた。思ったこと。
※一番最初に、noteをはじめるきっかけを書いたこの記事の追記です。

まず、集客や課金のあり方のイメージがついて、肌感化としてなるほどな、と思えた。よく出来ている。簡単だ。やはりユーザーたらんというか、自分で触ってみないとわからない。近々メルカリもやってみないと。

もう1つ、他の人のnoteを読む機会も増えて思ったのだが、なぜか他のブログサービスより(またはニュース記事より)すっきりしていて読みやすいことに気がついた。特にスマホで読んでいる時に快適さを感じる。どうしてこんなに読みやすいのか。答えは非常にシンプルで、広告の有無だろう。最近記事を読んでいるとニュイーンと出て来る動画やインフィード型の広告がないのだ。これだけで、ストレスがだいぶ違う。
(これ、提案される時は「ユーザーに自然に馴染んで見える広告です」とか言われるんだけど、、)

これは実はブランドで広告の出稿をしている自分の身からすると、あらためて耳というか目の痛い話で、本当に無駄な広告を削らねばと思った。例え、自社(Owned)メディアや第三者(Earned)発のコミュニケーションのリーチを補完するという役割での活用だったとしても、広告を実施するということは、常にお客様(=ユーザー)へのストレスを与える存在になり得るということを肝に銘じた方が良い。ユーザー体験(UX)こそが企業の資産≒ブランディング(=期待)につながっていくはずなので、Ownedの外でもユーザー体験の阻害はブランド広告主のブランディングにもマイナス要因になり得るのじゃないかと思う。(これは今思った仮説で。いったんは、メディアのUXが広告によって悪いことは、広告主というより、そのままメディアのブランド資産として返ってくることは間違いない。特にこのnoteのようなストレスのない比較対象があると。)
※ずいぶん()が多い

こういうこともユーザーじゃないと感覚として落ちてこないから、インターネットあまりやらない人相手(…)だと、効率やボリュームの話でしか評価されない会話がけっこう多い。
CTRやVTRを再評価するとか、メディア/フォーマット手法別のimp価値の定義付けとか、そういう整理も出来るけど、まず前提として脳みそに感覚をインストールしておいた方が結局良いなあと思う。少なくとも現場は当たり前のこととして。結局やはりユーザーたらんという話だ。

一方でこの観点の裏返しでネイティブADやEarnedコンテンツばっかりになると、今のあり方だとそれも地獄だから、そっちのルールが最近のアメリカみたいにぐいぐい進むとユーザーフレンドリーだよね、とも思う。

ブランドの言いたいことが多すぎるんだろうな。「伝える」と「言う」の違いに常に気をつけていかないと(上位レイヤーの目的意識がブレると)、簡単そうな方に流れてしまう。

優しい善意を考え抜いて、そこに単に期待してるだけじゃなくて、コミットする、というか。
目先の数字じゃなくて、倫理を信じると言うか。

なんだか、仕事のmemoっぽい文章になってしまった。

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