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快の守備範囲理論

快を受け取る守備範囲の狭距離化が社会全体に起きている。そう世の中を理解してみる。
どういうことか。

Post-Truthと2016年の諸ニュースたち

まず、昨年のトランプ氏の当選やBrexit、キュレーションメディアの文脈の中で語られたPost-Truth(ポスト真実)という言葉。「客観的な事実や真実が重視されない状況」を指すこの端的な言葉は、仮に眼下の事象に対して「明白な事実関係」があったとしても「自分にとって都合と心地が良い」言説を信じるという態度が社会に広がってきていることを示していると思う。
(ナショナリストたちには真実よりも彼らが喜ぶ情報を与えたほうが良いという態度自体が酷いと僕は思うけど。)
Alternative factsなんて言葉が政治家から放たれたりもした。真実性の価値は下がっている。
そして、今の日本の政治もさもありなんだと思う。

映画ラ・ラ・ランドのエネルギー

別の切り口から。昨今諸々で話題になった映画ラ・ラ・ランドについて。確か菊地成孔氏あたりが書いていた記憶があるけれど(彼の批判は面白すぎたが、読み終わった後何が書いてあったかよく思い出せなかった上に、なぜかもう読み返したくないので、右記はもしかしたら自分の創作かもしれない)、ラ・ラ・ランドは「これまで映画の物語を進行するエネルギーとなっていた刺激と考察のうち、前者を極端に推し進めた形式」として語り得るという。
ここで言う刺激も考察も、ある種の快感を与えるための方法だ。(本定義上の)刺激はより反応が即時的反射的で、考察には時間がかかる。もっと平易に言えば、この刺激的な快とはわかりやすいもの。脳みそを通さずに快を得られる。一方で、考察的な快は人によっては快にすることが出来ないかもしれない。多かれ少なかれ、より時間(と労力)がかかるからだ。

距離の問題としての整理

これらは、要は距離の問題ではないかと僕は理解した。すなわち、自分と距離が近い=考えずとも快がある情報 の優位性が高くなり、自分と距離が遠い=信じたくない情報や、理解するのに時間や手間、知識を前提とした情報、客観的な事実が劣位な位置に下がっている。下げてしまう人たちが増えている。社会的に増えているじゃないか。カロリーがかかる情報処理、考察や真実はAIにでも任せる、そんな感じか。

得る快の距離が近くなっているこの状況を「快の守備範囲の狭距離化」と名付けてみる。
遠くの快を得るためには、時間や労力、あるいは知力が必要だ。(この距離の概念は何というかFamiliarという言葉が近いように思う)

それは、情報の伝播と受信がこれだけイージーになったとともに、欲しい情報だけを蛸壺的に選択できる環境が整ったことの影響が大きいだろう。
(例:インフラとデバイスの進化、機能としてのリアクションボタン(いいね)やRT、短文、1日で消えてしまう短い動画、あるいはフォロー、フォロワー、フレンドといった情報選定、など)

(さらに、本来はこれは格差の話を避けて通ることが出来ない話だろうと思う。経済格差が(子どもの)知力格差を誘発するというのはよく聞く話だが、守備範囲の概念の大部分を知力という要素が占めているように考えるで、経済格差は守備範囲に大きく関わると言っても良いんじゃないかと思う。これだけでもう少し書くべきことはあるはずだけれど、今回はここへの深入りは恥ずかしながらしない)

野球における外野手の守備範囲

自分の守備範囲を広げるにはどうしたら良いか。多くの人が守備範囲という言葉を聞いて思うかべるであろう?野球から考えてみたい。
高校球児時代、僕は外野を守っていた。そこでは、守備範囲を拡大するために必要なのは次の2つだと言われていた①足を速くする、②打球の判断を早く正確にする。
1つ目の足を速くするというのはそのまま、スピードが早ければ打球に早く追いつくということ。
②は打球が飛んだ瞬間にどれだけ落下地点を早く正確に判断が出来るか。もう少し補足。外野手は遠くの飛球(フライ)の落下地点までずっとボールを追いながら移動するのではない。そんなことをしていると遠くに落ちていくボールを捕球することは出来ない。いちいちボールを見ていると走るのが遅くなる。バットがボールに当ったらできるだけ早くどこにボールが飛ぶかを予測して、目線を前に走らねばならない。ボールを見るのは落下地点近くの微調整。イチローの動きをYouTubeなどで見てみて欲しい。
①足を速くするのは、個人のもともと生まれ持った能力に起因する面が大きく、訓練で伸ばすことは容易ではない(もちろん伸ばすことは出来るし、人によってはグッと伸びるが)。それに比べて、②は訓練次第で大きく伸ばせる。もちろん生まれ持ったセンスに因る部分も予測能力の中にはあるが、足の速さに比べれば、訓練量での伸び代が圧倒的に大きい。ほとんど誰にとっても伸び代がある。死ぬほど外野ノックを受けたのは、このためだったと思う。

快の守備範囲の広げ方

この野球の守備範囲を広げる2つを、本件の快の守備範囲で考えると、①頭の回転を速くする ことは、個人のもともと能力が要因として大きいが、②その快がどんなものであるか早く正確に当たりをつけるということは、大きく伸ばすことが出来ると言えるんじゃないだろうか。そのために必要なのは、訓練(=経験)の量を増やすこと。それは、本を読んだりして勉強をすることや、旅をしたり、様々なコミュニケーションによって鍛えられるということだと思う。
だまって年を重ねると狭まってくる守備範囲を広げ続けるために、僕らは学び経験を続けなくてはいけない。

(ここまで書き終わって思ったけど、こんなことは既にみんな書いていることかもしれない。ありきたりな結論で、今更僕が何を書く必要があっただろうかと思えてきた。。でも、少なくとも書いたことは自分にとっては無意味ではなかったとは感じる。)


最後にこれを書く自分へのおまけ。この世界平均守備範囲が狭まっていく時代に、自分がどうしていくべきと思っているか。

1) 自分の守備範囲を広くする努力を絶やさないこと。それはすなわち、本を読み、(広い意味で)冒険に出ること、(定義が難しいけど)建設的で新しいコミュニケーションをすることだと思う。
少し惚気になるけれど、僕の妻は、全然僕の守備範囲じゃないところに、ボールをいきなり投げてきたりするので、とっても助かると思っている。

2) マーケッター(会社員)としては社会の状況を客観的に整理して、的確なコミュニケーションの設計を考える。例えば、上記の距離の概念での、情報の伝わり方を考えてみる。マスにとって伝わりにくい情報を広げるためには、どういう手段を使って、一度近いところにボールを落とせるか。

3) 世の中をどうしたいか、会社員かつ私人として考察し、公私の中で出来ることを考え続ける。わからなくても続ける。会社員としても、企業、ブランドとして世の中に与えられる影響がどうありたいかを考えて、実行できることを実行する。全く出来ないのなら、自分の在り方を問い直す。

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