『人ったらし』

私は友達が多い訳ではない。
しかし、知り合いや顔見知りは多いほうだと思う。

電話が苦手なので毎日電話する相手もいないし、飽き性の面倒くさがりなのでラインが毎日毎回続く事はほとんどない。

その中でも、長く続いている親友とも呼べる仲間がいる。

毎日連絡している訳ではないが、何かあればすぐ連絡するし、少々気持ちが堕ちていても、くだらない内容でもリアクションしてくれる。

かくして、私の学生時代。
1番楽しかったのは中学時代だった。

小さな複式学級の僻地小学校から私ともうひとりの男の子のふたりは、ほぼ転校生のような扱いで市内の中学校に通い始めた。

友達など一人もいない状況でバス通学の為部活にも入れず、通学に慣れるため毎日その男の子とふたりでバス停留所まで歩き帰宅する姿に、理由を何も知らない同級生達からは恋愛関係なんじゃないかとあらぬ噂を立てられる日々が続いた。

しかし、そんな私にも友達が出来た。

クラスの中では現代の学校と同じ様なスクールカースト制度の様なランクが自然に出来上がっていた。

目立つグループがいて。
ヤンキーちっくなグループがいて。
どちらにも属さないようなグループがいて。

私は地味グループ。
カースト的には底辺だった。

しかし、同じクラスや他のクラスには地味な子が複数いた。
私はその子達全てに声を掛け友達の輪を作った。
ネットワークビジネス。

2年生の時にはクラス替えもあったが、他のグループよりも多い6人のグループになった。

アニメが好きだったり、漫画が好きだったり、ゲーム・声優・同人誌等ヲタク系の趣味を持つグループは学校の休み時間や放課後、6人で集まっては時間を忘れ盛り上がった。

盛り上がりすぎて、バスの時間に間に合わず母に迎えに来てもらったり、友達の親に遠い道のりを送ってもらったりしていた。

もちろん、母には怒られたけど。

私が属したグループ以外にも他クラスの地味グループを集めてうちに呼びお泊り会をした時もあった。

私の家族は穏和なので、家の中でやる分には構わない。学校にバレなきゃOK。学校ではこの事は言わない。という条件で、皆さんが思う様な学生の悪い事をやりたい放題やっていた日もあった。

楽しい日々は中学時代までで、暗黒の高校時代は何ひとつ面白くなく卑屈になっていたり世界がこのまま滅亡すりゃいいのに、どうしたら早く卒業出来るのか…中退したいという考えが巡っていた。

授業中には片方の耳にイヤホンをしながら授業を受けていたし、テストは赤点でもなんでもなんとかなるやと思って過ごしていた。

ここまでの話をまとめると、私は根っからの人好きなのだ。

ひとりでなんて生きていけないし、判断も出来ない。

高校時代は学校より中退した仲間との放課後のカラオケに時間を費やしていたし、高校2年生から始めた演劇部だって後輩がたくさん入ってきてくれたからそれなりに過ごせていただけなのだ。

家族・仲間がいなければ生きていけない人間。
結局、寂しがり屋のウサギちゃんだ。(まぁ、干支はうさぎだけども…)

仕事をする様になり、それなりに同期がいて先輩がいて後輩が出来て…

後輩にトイレに行くふりをして会計を済ませるという奢り方をしてみたり、同期とパチンコに行って勝ったほうが奢るゲームをしてみたり、色々な試行錯誤を繰り返した…

いや。ただ単に人間との繋がりが面白かったのかもしれない。

だからこそ、一人暮らしは満喫出来なかった。
一人でいることは、私にとってかなり苦痛だった。

疲れている時は時間を忘れるように寝た。
夜勤明けには必ず実家に帰郷。
たまに札幌に行き映画を観たり友達に会ったりした。

そう。
一人暮らしの家で一人暮らしを満喫する事が出来ない性格なのだ。私は。

だって、それは季節関係なく人が恋しいから。

もしも今、私に結婚歴がなく子供ももちろんいなくて独身だったら…

きっと休日や仕事終わりには友達と遊び、実家でゆっくり暮らし、親のスネを少〜しばかし齧って過ごしまくっていただろう。


だから今日も私は息子を抱いて寝る。
蹴飛ばされながら寝るのも悪くないだろう。

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