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芥川龍之介俳句をよむ

「余技は発句の外には何もない」(『芥川竜之介俳句集』加藤郁乎編より)
芸術の鑑賞は芸術家と鑑賞家との協力である。いわば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名声を失わない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具えている。しかし、種々の鑑賞を可能にするという意味はアナトオル・フランスのいうように、どこか曖昧に出来ているため、どういう解釈を加えるもたやすい意味ではあるまい。むしろ廬山の峰々のように、種々の立場から鑑賞され得る多面性を具えているのであろう。(『侏儒の言葉』芥川龍之介より)

 芥川龍之介は短編小説作家として知られているのみならず、俳人としての一面も併せ持つ。三十半ばのその短い生涯に、千百余句をのこしている。去る七月二十四日は氏の命日であり、河童忌、我鬼忌と夏の季語に分類されている。我鬼は、氏の俳号であり、大辞泉によれば、芥川の書斎の扁額『我鬼窟(がきくつ)』にちなむそうである。仏教でいわれる餓鬼道ではなく、我は鬼なりの意が込められているという話も聞く。ただし、氏の散文の作風は仏教の影響を明らかに受けている点において、餓鬼も匂わせているかもしれず『地獄変』等を思い出せば、より一層そのように思えてくるのである。また、好男子の外見に、痩せこけた影が感じられ―しかし、どうであれそのような邪推は失礼に値するため、俳句に話を戻す。
 句風は破調を避ける有季定型の正統派という印象である一方「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」のように主季語を活かす詠み(暑さとそれを支える蝶。ゼンマイは植物ではなく機械につかうバネのこと)はしばしばみられ、主情、観念に傾くものも少なくない。同時代、交友のあった詩人、萩原朔太郎は親愛の情をこめてジレッタンチズムと酷評しているが(萩原朔太郎著『小説家の俳句俳人としての芥川竜之介と室生犀星』)、その点が芥川俳句の良さのひとつであると私は考えている。
 今回は、『芥川竜之介俳句集』加藤郁乎編より、俳句をいくつか紹介したい。本稿冒頭に芸術鑑賞における芥川龍之介の言葉を引用したが、鑑賞する側にいる私としては襟を正す思いである。解釈は私個人の感想であるため参考程度にお読みくだされば幸いである。


 沢蟹の吐く泡消えて明け易き 

 山間の谷はまだ暗い。すぐ脇にある小さな清流のせせらぎのみが聞こえる。ふと足元をみれば、小さな沢蟹が、ぷくぷくと泡を吐いている。先に生まれた泡は、押し出されるように次々と弾け、消えてゆく。気づけば、はやくも夜が明けようとしている。
 蟹と泡より、宮沢賢治『やまなし』を思い出してしまうのは私だけだろうか。私の時代では、国語の教科書に掲載されており、「クラムボンは笑ったよ」のクラムボンとは何かと考えたものである。その話は、本句とは何の関わりもないのだが、蟹の泡に何らかの詩情がある点は詩人・宮沢賢治と共通した洞察だろうか。その泡の消えていく瞬間を、「明け易」という季語と取り合わせて、短い夜を惜しむ気持ち―飛躍すれば、芥川自身が何かを惜しむ気持ちを表現したのではないかと感じる。沢でただひとり、夜眠れずに思案している氏の姿までもが立ち上がってはこないだろうか。


 町行けば思わぬ空に花火かな

 日が落ちてから、涼しさのある町へ出向いてみると、意外な空(場所)に花火が上がっている。
 本句の要諦は、中七の「思わぬ」である。主観を直接に表現しているのだが、普遍性を備えている。花火は一般的に河川敷といったように、上がる場所のステレオタイプがあるだろう。それを活かすことで、思わぬ空が立ち現れるのである。勿論、市中で花火をあげているわけではなく、見る場所により花火の空も変わるということである。つまり、本句の空は、町と溶け合った―浴衣や和服を着ている人々の往来が、木造の家並みまでもみえてくる「空」なのである。そのなかに紛れ込んでいる氏の姿も立ち上がるだろう。おそらく、花火の音は聞こえず、賑わっている河川敷と「私」のいる町中の「差」にわずかな感傷が漂い、下五の切れ字「かな」の静かな余韻が効いている。


 ドストエフスキイが罪と罰中ラスコルニコフ、ナタシアを知る段殊に感を惹く
 一痕の月に一羽の雁落ちぬ

 ラスコルニコフとナタシア、両者にはそれぞれの深淵なる闇がある。運命により引き寄せられたふたりは、まるで、一痕の月に一羽の雁が落ちるかの如くである。
 これほどまで前書き(ドストエフスキイ~惹くの一文)の長い句は珍しいのではないだろうか。ドストエフスキイの小説に感化されており、やはり文人俳句という印象である。中七の助詞「に」は極めて限定的で、あらかじめ用意されていた感が強く(一の繰り返しも作為的である)、他の助詞に推敲したいと普通は思うところであるが、ラスコルニコフとナタシアの関係性、罪と罰の本義(私は浅学であるため雰囲気の感想に過ぎないが・・)に思いを巡らせると最適なのではないかと思えてくる。技巧としての美を追求する、小説家、芥川らしい句風であると感じる。
 また、本句の妙は、雁が不穏な点にある。雁が「落ちる」とは、鷹や隼の捕食行動とは異なり、死の暗示ではないだろうか。雁が優雅に空を渡っていく印象とは対極に位置するような負の情趣がある。


 或夜半の炭火かすかにくづれけり

 ある日の夜も更けたころ、暖の炭火がかすかにくづれる音が聞こえた。
 一見、直線的な客観写生ではあるが、上五の「或」が主体を鮮明に立ち上がらせている。氏にとって何かがあったであろう特別な日に感じられ、そして「或」ではない幾多の夜半に人生舞台そのものがみえてくるようである。それは寝付けない日々とその一瞬なのかもしれないが、炭火を起こすという行為は、毎晩の日常である。その連続性のなかの或日の変化が自身にも気づかない心の変化を顕して、景に詩情が宿るのである。暗闇の底に朱が蠢き、炭火が少し崩れるのである。夜半の静けさ、やや不気味な無音のがらんとした空間がみえてくる。


 五月雨や雨の中より海鼠壁

 雨は長い間降り続いている。気づけば、海鼠(なまこ)壁がみえる。雨の向こう側より現れるかのように。
 海鼠壁は、壁に漆喰を海鼠型に盛り、装飾する日本伝統の建築技術であるそうだ。古式ゆかしい家の蔵にみられることが多いだろうか。海鼠の印象が強いのか、何か剽軽な面白さがある。毎日続く雨に気持ちは沈みがちだが、その日々に埋没することなくひょんと海鼠壁が現れるのである。その気付きに感動がある。雨の縦の動きの奥に、格子状の白い文様があるという、幾何学の妙も面白い。雨と壁の実景のみでは海鼠の生を感じられないが、俳句の形になると急に海鼠の生命が躍動してくるようである。
 海鼠といえば、江戸時代の俳人・召波の「憂きことを海月に語る海鼠かな」を思い出す。海鼠は不思議と愛らしい存在ではないだろうか。

 行水の捨湯蛙を殺したり

 一日の疲れを落とすように、一気に湯を流す。気づけば小さな蛙が湯に溺れている。嗚呼、私はこの罪なき蛙を殺してしまった。
 現代の行水はシャワーであるが、誰しも虫等の小さな生き物を湯に巻き込んで殺してしまった経験はあるのではないだろうか。私は子どもの頃、意図して蜘蛛や蚊に湯を浴びせかけ、排水溝に流してしまったことがある。人は、対象が大型になるほど共感性が働き、心が痛むものだが、もし小さいからといってもそれは殺してよいことを意味しないだろう。本句は、悪意なき殺生を道徳として含み、行水の湯量によって流されてしまうような小さな蛙(おそらく日本雨蛙ではないか)の純然たる無垢の否定を嘆いているのである。文学を志す者としての小さき者への愛を感じ取ることができる。
 話は変わり、文法に注目すると、最後が「けり」ではなく「たり」である。短詩型文学の文法は高校で習う古典文法の限りではなく、切れ字という特殊な詠嘆を含み、どちらも先に述べた純然たる無垢の否定に対する嘆きが余韻としてある。本句は時間の設定であり、「たり」にすることで「湯で流されて溺れ死にかけている瞬間」がみえてくるのである。教科書でいうところの、存続の感覚である。勿論、その一瞬間後には仰向けになって絶命している蛙がいるのだが、その終わった後の景のみに限定せず、驚きの焦点を「流されている」「流された」瞬間に絞ったのである。
 また、主語を行水の捨湯とし、まるで傍観者のような冷淡さ、つまり客観性を強めている。ただし、その上位階層に行水をしている人(芥川本人だろう)がいることは明らかであり、その心の働きが詩情を生み出しているのである。俳句において詩情というものは、直接ではなく暗に示されることで成立する。

 最後に、著名俳人による我鬼忌、河童忌を詠んだ句を一部、「角川大歳時記・夏」より引用する。作家芥川龍之介の人となりがしのばれるのではないだろうか。

 病者来て隠れ顔なる我鬼忌かな 石田波郷
 河童忌やあまたの食器石に干す 飯田蛇笏
 蚊を打つて我鬼忌の厠ひびきけり 飴山實


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