【小説】花は今年も
「社長、一瞬いいっすか?」
「どうぞ」
「あのですね」
「はい、終わり」
話を遮られた横山は苦笑いを浮かべた。
「一瞬なんだろ?」
「いやあ社長、意地が悪いなあ」
「言葉は正しく使おう。で、何かな?」
「あのですね」
口癖のような切り出しに続けて、横山は娘のことを尋ねてきた。昨日偶然、駅の改札口で見掛けたらしい。
「心配になったんで呼び止めたんです。そしたら、一人で静岡まで行くって言うからびっくりして」
「もう五年生だからね。しっかりしてきたよ」
「いや、まだ五年生っすよ。一人じゃ危ないと思います」
「気に掛けてくれて有難う。でもね、仕方がないんだよ。妻も忙しくてね」
世間は黄金週間に入ったが、僕と一部の社員に休みはない。
振り返ると、二年前から突如として自社に対する需要が膨らんだ。その原因は不明と言わざるを得ない。思い当たるのは、或る助言に基づいて挨拶と掃除を徹底したことくらいである。のんびりしていた社内の風景は、ぴりっと様変わりした。
同じ頃、細々とモデル業をやっていた妻に転機が訪れた。ひょんなことで脚光が当たり、次々に仕事が舞い込んできた。夢が叶ったと喜ぶ妻を僕は娘と共に祝福した。誇らしく思った。まさに人生の絶頂期である。
だが、次第に妻の浮気を疑うようになった。より美しく、より忙しくなることに不安が募った。自分の方が劣っている気がした。
故に、会社を大きくしようとした。欲を滾らせてほぼ休みなく働いた。連休になると手持ち無沙汰で困る社員を巻き込んだ。見栄っ張りのくせに有意義な休みにできない者たちは、日焼けサロンでバカンスを捏造する代わりに、社長のせいで休みがなかったなどと不平を垂れたい。僕はその気持ちを利用して金を稼いだ。
そして、今年は娘を一人で故郷に向かわせた。到着する駅には親父が迎えにゆき、無事に落ち合ったようだ。多少の冒険は必要だと考えている。箱入り娘にするつもりはない。
「社長、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「お、いいね」
横山は仕事の進め方について確認を取ってきた。何事も優先順位は極めて重要である。
「合点承知っす。そのように進めます」
「頼んだよ」
「ところで娘さんは、その後元気っすか?」
「元気じゃないかな。帰ってくるまであと三日だね」
「電話しないんすか?」
「妻がしたよ。最初の日かな」
横山は何か言い掛かって顔を曇らせた。
「僕があれこれ心配すると鬱陶しがられるだけなんだ。女の子は成長が早いね。僕が五年生だった頃とは比べものにならない」
「本当にそうなんすかね?」
一瞬むかっとしたが、ふと頭をよぎったのは、かつて横山が語っていた彼の生い立ちである。寂しい思いをして育ったと聞いた。
「今日は電話をしてみるよ。早めに上がってもいいかな?」
「勿論です」
横山は頼もしい笑顔を見せた。
帰宅すると、当然妻は帰っていなかった。出掛ける際に散らかっていた家の中は、雇っている家政婦さんのお陰ですっかり片付き、テーブルの上に薄紫色のメルヘンチックな封筒が置いてあった。
表の宛先には夫婦連名があり、丸っこい小さな字で書いた差出人は娘である。消印に驚いた。摩訶不思議に今日付けである。丁寧に開封すると、便箋三枚の手紙に加えて、インスタントカメラで撮ったと思しき写真が出てきた。
爛漫たる藤棚の前で笑う娘。
良い写真だが、何か違和感を覚えた。その何かを探して手紙を読み進めると、最後の一文が切なかった。
手紙なら時間があるときに読んでもらえると思って書いたよ。
そして、娘の成長記録とも言えるアルバムを探し出した。一冊目から見返すと、毎年同じ藤棚を背景に家族三人が写真に収まっていた。
だが、一昨年は僕と娘の二人であった。その頃の写真から枚数が極端に減り、途絶えた三冊目のページに写真の入った封筒が挟まっていた。親父が送ってくれたのであろう。見た瞬間、それは去年の写真だと分かった。妻が娘に寄り添っていた。咲き揃った藤棚の前で、またも家族は揃っていなかった。
妻は写真をきちんとアルバムに収める手間を惜しみ、恐らくそのことを忘れた。
僕は写真が届いていることすら知らなかった。確証のない妻の浮気を気に掛けるくせに、部下に指摘されても高を括り、娘は元気だと決めつけていた。無事に帰郷すれば良いと思っていた。
娘は寂しいと口にしたことがなく、手紙にも書いていなかったが、一人ぼっちの写真にメッセージが込められていた。言いたくても言えない気持ちを・・・
おじいちゃん、写真に撮って。
そんな光景がありありと目に浮かんだ。
実家に電話を掛けると、娘と一時間ほど話をして、明日そちらに行くと伝えた。
「横山君、少々お時間をいただいてもよろしいかな?」
「はい、どうぞです」
「先ほどお伝えした通り、今日は昼前に上がらせてもらうが、昨日の件は大丈夫だろうか?」
横山は肩をすくめて笑った。
「社員のことをあれこれ心配すると、鬱陶しがられるだけっすよ」
※以上、本文2000字
【あとがき】
noteで様々な企画を展開されるピリカ様との貴重なご縁により、「連休」をテーマに2000字(ルビを除く)で執筆いたしました。筆者の願いは、来たる黄金週間に大事な方を気遣うきっかけとして、どなたかの心の隅に残ることです。
ピリカ様はもとより、お読みいただいた皆々様に、感謝申し上げます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?