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【短歌・俳句】梅見月によむ

 山梨県は葡萄や桃の産地だ。春を実感する日の多くなる最近では、桃や桜に先んじて、梅の花が満開である。桃や桜はまだ蕾、葡萄はまだ冬眠といわんばかりに、沈黙している。

 探梅は冬の季語であり、梅見は春の季語であり、そして梅見月とは陰暦二月の異称である。

 泣き叫ぶ赤子を乳母車にのせて散歩へ出かけると、梅の花の咲く辺りで泣き止む。寝たのかと思って母衣(ほろ)を覗き込むと、どうやら梅の花を見ているようである。まだ生後九ヶ月だから、確かな意思をもって眺めているわけではないかもしれないが、何かを感じているのだろう。

 令和の時代に生まれ落ちた我が子は、将来、IT等の最先端の道に影響されながらも、古式ゆかしい文学の世界に特別な思いをもつのだろうか。梅の和歌で飯は食えないのかもしれないが、理解のある人になってほしいと願っている。父親である私も、叔父である私の兄も、文学という何ら物質的な豊かさをもたらさない娯楽に、人生をつかっているが、後悔は全くない。文学の海を航海しても、後悔はしない。しかし、食うに困ったことのない贅沢者の甘い考えとご叱責されて当然である点は、肝に銘じておきたい。

 梅の木にもいろいろな種類があるようで、ゆったりと枝を構える、いわゆる普通の梅もあれば、天へ向かって垂直に立つように、まるで空に磁石があって引っ張られているような梅もある。
 私は俳人のひとりとして、調べなくては、と思うものの、知識として知ってしまうと、それはそれで木と純粋な気持ちで接することができないのではないか。今しばらくは子どもの頃の目線で梅を愛でていきたいと思っている。

 梅は古い時代より季節の景物として多く詠まれ続けてきた。そのなかの一部をご紹介して本稿の終わりとしたい。尚、歌の選は私の独断であるため、個人の好みによる点が大きい。ご参考程度にお読みくだされば幸いである。
 

 梅は春を告げる花。早春の冷たい空気のなかで香り高い五弁の花を開く。ほかの春の花にさきがけて咲くところから古くは「花の兄」とよばれた。
(『角川俳句大歳時記・春』俳人・長谷川櫂、執筆箇所より引用)
 『万葉集』の花の歌では梅がいちばん多く118首。桜は三分の一の40首。ところが、平安時代の『古今集』になると、形勢は逆転し、春歌134首のうち100首以上が桜の歌で占められ、梅の歌はわずか十数首しかない。
 梅が桜にまさるのは香り。ことに夜の闇に漂う清々しい香りが歌に詠まれ、もてはやされた。
(『角川俳句大歳時記・春』俳人・長谷川櫂、執筆箇所より引用)

 梅若菜鞠子の宿のとろろ汁 芭蕉
 
(鞠子:まりこ、東海道五十三次の宿場のこと。主役はとろろ汁であるが、梅若菜の光る一句。)

 梅が香にのつと日の出る山路かな 芭蕉
 (のっと出てくる日が、梅の香りと響きあう。下五の「かな」が活きている。)

 梅一輪一輪ほどの暖かさ 嵐雪
(一輪の梅にみる暖かさとは。じっとみていると感得できる静かな体感である。)

 山川のとどろく梅を手折るかな 飯田蛇笏
 
(前の嵐雪の句とは異なり、河岸の高みに生え並ぶ梅の木々を豪快に詠み、手折るという平安時代を思い出させる雅な息づかいを立ち上げる。)

 母の死や枝の先まで梅の花 永田耕衣
 
(人の死と梅の花。梅の開花が親の鎮魂でもあるのだろう。枝の先まで力の限り咲く様子は、親の生き様、親と子の関係性を暗示させる。)

 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ 石田波郷
 
(上五の字余りが利いているのだろう。一音「も」に込められた思いが、万物の生死を文学たらしめている。死してなお美しいとはそのうちに秘める精神の気高さだろう。)

 勇気こそ地の塩なれや梅真白 中村草田男
 
(概念的、抽象的な言葉は俳句にむかないことが多いのだが、本句の場合、不思議と感銘してしまう。梅の真白が地の塩を通じて、勇気へと結ぶ。明日への活力が湧いてくる中村草田男らしい人間賛歌である。)

 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそみえね香やは隠るる 凡河内躬恒 
 
(闇を擬人化している。その闇はすべてのものを隠すが、梅の香りは隠せてはいないということによって、梅の香りを讃えているのである。「やは」は反語の係助詞。)

 梅の花まだ散らねども行水の底にうつれる影ぞ見えけり 紀貫之
 (うつれる影ぞ:映れる影を移れる影とかけている。梅の花はまだ散っていない満開の時であるが、水に映る梅の花の影から、まるで散ってしまったかのようにみえたのである。)

 梅の花うす紅にひろがりしその中心にてもの栄ゆるらし 斎藤茂吉
 
(梅の花を大景としてみるのではなく、小さな花弁をみつめている。生類の繁栄の予祝ともいえる歌である。)

 梅の花さやかに白く空蒼くつちはしめりて園しづかなり 伊藤左千夫
 (梅の白と空の青が清々しい写生である。しめった土の園の静けさは、天の清明を受ける景として揺るぎないだろう。)

 さむしとてこもるべしやは枝くちし老木のうめも花さきにけり 明治天皇御製
 (梅の咲く頃は、まだまだ寒い日もある。そのような日でも、老木の梅が花を咲かせているように、我々も部屋に籠っているべきではないと自己を鼓舞している。)

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