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第五十四回蛇笏賞にみる鎮魂歌

 蛇笏賞は、俳句における数ある賞のなかで最も名誉ある賞といわれている。甲斐国の俳人、飯田蛇笏氏の名前を由来にもつ。令和二年の今年は「柿本多映俳句集成」が受賞した。選考委員、満場一致の受賞であった。作者の柿本多映氏は一九二八年滋賀県大津市に生まれ、四十代後半から句作を開始し、桂信子賞、現代俳句大賞、俳句四季大賞、詩歌文学館賞と輝かしい経歴をもつ。

 今回は、その「柿本多映俳句集成」より、いくつかの句を紹介したい。選句と解釈は、私の主観であり、いわゆる独断と偏見がみられるかもしれないが、そのことでかえって新しい視点をもたらすという僥倖もあり得るのではないかと思い執筆した。皆様のご参考になれば幸いである。

 かたつむり死して肉より離れゆく

 日の当たらない湿った土の上に、死して間もないかたつむりの亡骸が横たわっている。身体の肉は崩れかけ、硬い甲殻から離れてゆく。いずれ、肉はなくなり、甲殻はそのままの形で残るのだろう。
 かたつむりの身体の状態のみに焦点を絞った客観写生ではあるが、その物質的な次元に留まらず、死生観をも表してはいないだろうか。かたつむりは死を迎えれば、肉体は朽ち、確実に肉と甲殻が離れてゆく。普遍的に換言すれば、肉体と魂の分離である。勿論、かたつむりの肉と甲殻のどちらも物質に違いなく、魂や生命の働きという概念と一致しないが、「かたつむり」というひとつの生命にとっては肉と甲殻は協働してはじめて存在するのである。その点において、本句は小さな命への鎮魂歌であると私は感じている。

 起きよ影かの広島の石段の

 あの日亡くなりし人々よ。どうか起きて、また元気に歩いてほしい。広島の石段に刻まれた影たちよ。
 上句の「起きよ影」の「よ」が魂の慟哭である。作者の死者への思いのすべてがその一字に込められている。原爆はいかなる理由をもってしても許されることのない、人類史上最大の犯罪である。令和の今、その事実を振りかざして特定の国や人々を批難することは間違いであるが、決して忘れないという思いは重要ではないだろうか。石段に浸み込んだ人影に目を背けることなく、まっ直ぐに相対して哀悼の誠を捧げんとする作者の気高き精神に最大限の敬意を表したい。俳句の技術的な点を述べると、倒置法を用いて上句の「影」を強調し、また「おきよかげ」と切れ味のよい響きにしている。

 ポーランド、アウシュビッツ
 靴、遺髪 死からはぐれて涯なし

 靴、髪のみが遺されている。それらは死からはぐれてしまい、「終わり」に到達することは永遠にないのだろうか。
 「涯」は「はたて」と読む。生涯の涯で「果て」と私は解釈している。前書きからも分かる通り、第二次世界大戦中に行われたユダヤ人迫害のホロコーストの悲劇を詠んでいる。俳句は、一般的に句読点や空白を用いることはないのだが、本句ではあえて用いることで眼前の「現代に遺る」悲劇を的確に表現している。上句と中句の間に空白一字分がある。靴と髪は、死者を強烈に意識させ、単なる「もの」「物質」ではない。しかし、現代の展示においては、やはり単なる「もの」として扱われている一面を隠すことはできない。それは、人類のホロコーストという悲劇への意識が薄らいできたことの証明であり、一文字分の空白がそれを代弁しているのではないだろうか。

 天地の間ぺんぺん草咲いて

 見上げれば、一点の曇りなき青空が広がっている。その吸い込まれそうな深淵なる青き世界は、日の光の満ち溢れる大地まで覆い尽くさんとする。その両者のわずかな隙間にぺんぺん草が咲いている。
 中句の「間」は「あは(わ)ひ」と読む。天地(あめつち)という壮大な景観から始まり、小さくて弱い存在ともいえるぺんぺん草に視点が移り、また天地に返ってゆく。技術的なことを述べると、大から小への転換と、「咲いて」と終止させない表現がその効果を生んでいる。天地という「強さ」と、ぺんぺん草という「弱さ」の対比も効いている。そのことが返って、ぺんぺん草の生きる力を協調させる。また、植物のみならず、人を含む生類は、天と地の間の何とも曖昧な時空間に存在すると意識させられる。どこまでが天で地なのか、その狭間に咲く小さき草花は神秘とさえ思えてきはしないだろうか。「ぺんぺん」という破裂音の連続する調べが幼稚のままで終わらずに、格調高くまとまっている。
 最後に、句のみをいくつか紹介して終わりとしたい。文学的、神秘的な句は難解なものになりやすいが、氏の場合はそれに反して平明であり、短詩型文学を志す方々のよい手本になるのではないかと考えている。

飯蛸やわが老い先に子の未来
金魚の尾ゆらぐ一日また一日
春の夜の闇から紐が垂れている
鳥辺山ほどに濡れゐるあやめかな
音楽のはじめは月光菩薩かな
茸山より多毛の僧侶降りてくる
青野まで影を曳きずるピアニスト
馬を見よ炎暑の馬の影を見よ
水平に水平に満月の鯨
山河晴れたれば伏せおく白盃

(「柿本多映俳句集成」より)

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