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【随筆】令和四年・宮中歌会始の鑑賞

 歌会始うたかいはじめは毎年、新年一月におこなわれる宮中行事である。宮内庁の資料によれば、歌会始の起源は明らかではないそうだが、題詠に沿って詠みあう歌会自体は、奈良時代、万葉集の頃からおこなわれていたと考えられている。

 歌会始では、皇族のみならず一般の方々も歌を詠進えいしんする。詠進とは、自身の歌を宮中へ贈ることである。私自身は詠進した経験はないのだが、毎年、どのような歌が発表されるのか楽しみにしている。今年も美しい歌ばかりであった。今年の題詠だいえいは「窓」である。歌のなかに「窓」の一語をいれるのが条件だ。

 歌会始の歌一覧は宮内庁ウェブページよりPDFデータで入手することができる。昭和二十二年から過去のものすべてが公開されている。ご興味ある方は一度ご覧になってみてはいかがだろうか。https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html

長い歴史を有する宮中の歌会始は,明治と戦後の改革によって世界に類のない国民参加の文化行事となりました。短歌は,日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれています。この短歌が日本全国のみならず海外からも寄せられ,これを披講する宮中の年中行事が皇室と国民の心を親しく結ぶものとなっていることは,誠に喜ばしいことであります。

宮内庁ウェブページより(https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai.html

 以下に今年の歌の一部をご紹介し、私の感想を加えた。あくまで私個人の感想であるため、ご参考程度にお読みくだされば幸いである。

世界との往き来がたかる世はつづき窓開く日を偏に願ふ 御製

宮内庁公開資料『令和四年歌会始御製御歌及び詠進歌』

 世界との往き来の難しい時代が続いている。世界への窓の開く日を一途に願っている。
 我々国民にも同様な思いがあるだろうか。新型コロナウイルスの収束とその後の世界との行き来の実現を願う歌である。平成も天災の多い厳しい時代であったが、令和も同じく受難のはじまりであった。
 幸か不幸か、いいことも悪いことも長くは続かないが世の常だろうか。世界への窓はいつか開く日が来るはずだが、そこへ至るまでの犠牲は、この時代に生きた人間としてしっかり記憶しておこうと思う。コロナに関する歌は過去にも多く詠まれてきた。”時代の記憶”という意味でも和歌の役割は大きい。

新しき住まひとなれる吹上の窓から望む大樹のみどり 皇后陛下御歌

宮内庁公開資料『令和四年歌会始御製御歌及び詠進歌』

 同資料によれば「天皇皇后両陛下並びに愛子内親王殿下ご一家には、昨年の九月、それまで長くお住まいになりました赤坂御所から、上皇上皇后両陛下が一昨年まで長年お住まいになりました吹上御所に御移居になりました」とのことである。そのときに窓からみえる大きな樹の緑に心を動かされたのだ。その緑には、新たな生活の希望をも見出せようか。大樹のある窓の向こう側を明るい未来と考えれば、先に紹介した天皇陛下御製と通じあうといえるだろう。

英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓 愛子内親王殿下

宮内庁公開資料『令和四年歌会始御製御歌及び詠進歌』

 同資料によれば、学習院女子高等科の夏休みに、文化体験学習としてイギリスへ留学したときのことを詠まれているそうだ。はじめての留学を機に、世界への窓が開かれ、自身の可能性が飛躍する期待や喜びが伝わってくるようだ。
 私は留学経験はないが、やはり日本という箱庭の中だけの経験よりも、世界を体感することが大切だと思う。時に外交の窓に立つ皇室の方々は猶更なのだろう。
 周知の事実だが、愛子様は文学部日本語日本文学科へ進まれたそうである。世界の文化を学び、日本文化の創造に大いなる力を発揮されるに違いない。

廃校の窓の下にもこの春の花あり土地の人が植ゑにき 今野寿美

宮内庁公開資料『令和四年歌会始御製御歌及び詠進歌』

 今野寿美氏は現役の歌人であり、毎年この歌会始の選者として活躍されている。選者も一首を詠進する。
 廃校の窓の下にも、今春の花が咲いている。それはこの土地の人々が植えた花である。
 廃校は、もともと学校という場所が子どもの賑わいを感じさせる分、余計に寂しさを感じさせる。しかし、地元の人々の植えた花があるように、その廃校は決して打ち捨てられているわけではないのだ。本歌は、人と人のつながりや温かさを改めて感じさせてくれる。

剱岳三ノ窓より朝日さし富山平野に田植はじまる 西村忠

宮内庁公開資料『令和四年歌会始御製御歌及び詠進歌』

 本歌は、一般の方々からの詠進である。
 剱岳つるぎだけの三ノ窓より朝日は射し、富山平野の田植えがはじまる。
 三ノ窓とは、剱岳の稜線ルートのひとつである。稜線の谷、へこんでいるところを窓という。他にも「大窓」など命名されている場所もあるそうだ。富山県の東に位置する剱岳。太陽はその窓から顔をのぞかせる。山の神々の働きを感じさせる神聖で美しい光景だ。
 その剱岳の天高く位置する三ノ窓から朝日が射し、富山平野に住む人々の営みを照らす。天から地への壮大な景である。

窓の外見たつて答へはわからない少し心が自由になれる 難波來士

宮内庁公開資料『令和四年歌会始御製御歌及び詠進歌』

 窓の外をみても答えはわからない。けれど、少し心が自由になれる。
 世の中、白黒はっきりと定義されることは多いが、真実、およそどのようなこともグレーなのだ。世界の多数がこうだと決めたことが”答え”であっても、個々人にとっては、それが答えとは限らない。”個人の真実”と”社会の事実”の対立とでもいえようか。
 たとえば、コロナ感染症の対策も何が正解かわからない。けれど、政治家たちはデータをもとに客観的な判断、対応を下す。世の指導者たちも感情で動いているわけではないだろうが、国民が真に幸せになる対策なのかどうかはやはり曖昧、グレーなのだ。
 どうであれ、筆者は窓の外を眺めながらつぶやく。「少し心が自由になれる」とは、諦念ではなく、共感、優しさであり、その思いのもと助け合う限り未来への道はあると信じたい。和歌に偽りはなく、この時代に刻まれた真実なのだ。


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