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短歌による旅路の目的地

 旅という経験は、身体が目的地へ行くことのみを意味しないと私は考えている。私個人の告白で恐縮ではあるが、幼少期より乗り物が苦手であり、必然的に旅も苦手である。三半規管の機能が未熟であるのか、精神の弱さなのか思い当たる節は多くある。しかし、私は不幸とは感じていない。なぜならば、言葉により世界を旅することができるからである。世界どころか宇宙も―異世界すらも可能である。光ですら到達しえない宇宙の遥か彼方でさえも、言葉は私を「運ぶ」のである。けだし、目的地を「思い出す」という表現が適切かもしれない。(これ以上の言及は意識科学や量子力学の範疇になりうるため、浅学非才の私は黙することにする。)
 どうであれ、かくも私は言葉の秘める力により、旅という経験が可能になると確信している。勿論、言葉や映像によらない一般的な旅を否定しているわけではない。学生時代にふらふらになりながらも、沖縄まで「連行」されたときは、寝付けない夜中に、ホテルのベランダから見下ろせる電照菊の畑に感動して涙したものである。もっとも、その涙の半分以上は郷愁の念である。残りは、昼間にお会いした元ひめゆり部隊の御老体に対するもの―英霊への様々な思いだったと思う。それらの感動は、やはり現地に私の肉体なくては感得できなかったことに違いない。
 テクストはその性質上、情報を並列に述べる。一方、その瞬間の肉体的な体験は、すべてのテクストが重なっていなくてはならない。電照菊の明かり、浮かび上がる黄の花弁、風にゆれる茎葉、吸い込まれるような海の彼方の闇、私のこころに生ずる郷愁、感動、複雑な思いすべてが一気に迫り立ち上がる。瞬間に私の五感を通じて飛び込む情報は、瀑布を怒涛の如く落ちる水塊である。ゆっくりと順序よく流れる小川のような並列の限りではないのである。
 そのように考えると、俳句や短歌の短詩型文学は、その短い音数に様々な情報―もしくは読者により想起され余白に描かれる情報が「圧縮」されているため、生の経験に近いのではないかと思えてくる。
 今回は、昭和に活躍した歌人・佐藤佐太郎氏の吟行の際に詠まれた歌をいくつか紹介したい。三十一文字(みそひともじ)と「私」が溶け合ったとき、時空を超えた体験があることを皆様が知る端緒となれば幸いである。また、解釈はなるべく文学性をもたせたいと考えている(私の主観的な態度が強いだろう)。なぜならば、すでに多くのプロの方々がやられている鑑賞と似たことを私が行ったところで、解釈の上書き(下位互換)にしかならないと考えたからである。どこまで拡大解釈するかとご叱責のお言葉も予想されるが、短歌とその筆者に最大限の敬意を表しつつ、私の感性を全開にして臨む決意である。佐藤佐太郎氏の「私」と鑑賞者である私が混在する複雑さはご容赦願いたい。鑑賞する歌はすべて、岩波文庫の『佐藤佐太郎歌集』より引用した。

ルアーブルより巴里
ようやくに朝たけて空気寒からん靄たちなびくセエヌのながれ

 ようやく朝となり、窓をみる。外は寒いだろう。靄が立ちなびくセーヌ川の流れよ。
 「私」はカーテンのつくりだす僅かばかりの光に床を離れる決意をする。「ようやくに」という言葉より、氏は昨晩、なかなか寝付けなかったのではないかと想像される。旅寝は慣れない環境であるうえに、精神の昂ぶりもあるだろう。疲労感を覚えた体を起こし、洩れる光に指を射し入れカーテンを開ける。旅の新たな一日を祝福するかのように朝日が「私」を照らす。靄はセーヌ川の水面を這うように美しく幻想的な景を創り出している。ふと窓硝子に目をやると、水滴が玉のように結露している。それらは寄り集まり、硝子に一筋の流れをつくってゆく―。パリという街は、美しいの一言では語りきれない歴史がある。私は、かつてバルザック氏の『ペール・ゴリオ(ゴリオ爺さん)』を読み、パリという街の「欲望」をみた。本歌の「空気寒からん」に、その貴族社会の陰を感じるのである。結句の「セエヌの流れ」は街を流れる局所性のみならず、各国の大地を貫く壮大な景にまで発展する。この近景から遠景への転換は本歌に奥行きを生み出している。

ジュネーヴよりミラノ
山嶽のあひだにひくく空みえて昼の横雲にかがやくあはれ


 高く険しい山々の間に低く空がみえる。昼日中、横にたなびく雲の輝きにしみじみとした趣があるよ。
 遥か彼方、北方にみえる荒々しくも美しい稜線の山々は、かの名高いアルプス山脈だろうか。空は僅かしかみえないほどに、山々に雲がたなびく。上句では、山々ではなくその間の「空」をみる。流麗な山々に中心を置くのではなく、その「間」に置くことで一見無視されてしまいそうな「空」が立ち上がり、山々もまたその稜線を明瞭に現すのである。そして、本歌の要諦は、結句の「あはれ」であろう。「空」に導かれるように光り輝く雲に何をみるのだろうか。私は郷愁の念を感じざるをえない。大都市ミラノと大自然アルプス山脈の対比、都市に埋没する「私」という芥子粒のような小さい存在を自覚する。人類の存在意義という哲学的な問まで生まれるような心の深みを感じる。

ローマにて
オリーヴの長き葉白くひるがへり海風のふくソレントのみち


 オリーブの長い葉が翻り白い面をみせている。海風のふくソレントの道よ。
 ナポリ湾に面するソレントの街には眩しいばかりの光が満ち溢れている。オリーブの細い葉が風にゆられて葉裏の白と交互にみえる。海の方へ振り向いたとき「私」はとっさに目を細めた。潮の匂いが顔に満ちては去ってゆく。刹那、記憶に残るオリーブの葉の「緑」と裏面の「白」、今眼前に広がる海の「青」が鮮やかに美しい。色彩の効用もあり、海風はその潮の匂いを打ち消すかのように爽やかである。「風光る」という季語が自然と立ち上がる。これらをすべて含むソレントの道は一体どこまで続いていくのだろうか。何十年、何百年と歩んできたソレントの民たちの往来が迫ってくるようである。

ポンペイにて
傾斜路の轍のあとも井戸桁の摩滅のあとも石の親しさ

 傾斜路の轍の跡も、井桁の摩滅の跡も、石の親しみを感じるようだ。
 ポンペイはかつて火山噴火により灰に埋もれた街である。現在は、観光地化されているとはいえ、その明るさと反し、石壁、石畳の細部までに悲劇が刻まれている。傾斜路が実際にどのような形状をしているかは私にはわからないが、そこに轍の跡が今でも残っているのだろう。馬の足音と車輪の音が聞こえてくるようである。井桁は生活者の日常を想起させる。井戸の湛える水は、人々の生命を支えるのみならず精神的な安定をもたらす。子どもが紐を一生懸命に引っ張り、その様子を母親が優しい眼差しで見守っている。強靭な体躯の男たちが仕事の話をしながら往来する。石畳の轍の跡や井桁が長い年月を経て摩耗した丸みに人々の謹厳実直な生き様が立ち上がる。そして「石の親しさ」があり、傾斜路と井桁に共通する「石」を結びとして、人類と石工技術つまり工業技術の歩みがみえてくるのである。

ナポリにて
夕光あまねきときに見るかぎり無塵無音の朱き砂のみ

 夕日があまねく大地を照らすとき、見渡す限り、塵も音もなく、赤い砂のみが広がっている。
 本句の要諦は「無塵無音」であろう。塵もなく、音もない、只々赤い砂のみが広がる荒涼とした世界である。風もなく、眼前の景に動的な変化は一切ないのである。まるで時間が停止してしまったかのようである。夕日は朝日と異なり、うら淋しい情趣がある。その夕日が砂をより赤く染めていく。振り返れば、赤熱した鉄のような太陽が、大気を歪ませながら沈みゆく。これらの不思議な体験は、「見るかぎり」の夕日があまねく照らしている、この短い時間のみなのである。短歌は一期一会の貴重な経験を言語化するのである。

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