【小説】蝶に宿りて
愛とは、見捨てないことだと、誰かが言ったそうです。けれど、見捨てるべき人を見捨てられない場合は、愛と呼べるのでしょうか。
結局、私は何度裏切られようとも、母を見捨てられませんでした。
六年ぶりの再会は、歌舞伎町で働いていた頃です。
桜が咲き始めた三月の夜、どこで噂を嗅ぎつけたのか、母は客として現れました。金回りの良さそうな身なりで、目立つ黄色いジャケットを着ていましたが、瞬時に誰か分からないほど年老いて、まだ六十前のはずが、七十くらいに見えました。顔に出る強欲さが、皺と共に深く刻み込まれ、にたっと薄笑いを浮かべると、悪の権化のようでした。
「あんたが、夜の蝶とはね。稼いでるそうじゃない」
相変わらずの嗄れ声で、そう言われました。言われなくても、母が訪ねてきた目的は、十分に分かっていました。
その日は、色んな酒をさんざん飲んでから、財布をどこかに落としたなどと、ふてぶてしい嘘を吐きました。
それから、母は頻繁に来店するようになり、怪しげな若い男を引き連れてくることもありました。毎度、次に纏めて払う、と豪語して、びた一文も出しませんでした。そんな口約束が、やすやすと許されたのは、私が母と認めたからです。ツケ払いが滞れば、店は私の給料から・・・恐らく少し多めに、天引きすればいいのです。
二ヶ月半ほどで、ツケは六十万円を超えていると聞きました。
耐えかねた私が、支払いを強く迫ると、母の態度はころっと変わりました。しょぼしょぼと泣いて哀れを誘い、自暴自棄になっていたなどと、途切れ途切れに語りました。一緒に暮らしていた男に騙されたそうです。
「家賃も払えないんだ。住んでる家から追い出されちまう。あんた、頼むよ。あんたしか頼る人がいないんだ。金は必ず返すから」
私は、突き放すように返事をしませんでした。
「あたしが、野垂れ死んでもいいのかい?」
いいと思った・・・はずでした。唇をきつく結びました。
「あんたがね、こうやって泡銭を稼げるのは、私が奇麗に生んでやったからだよ」
急に表情を変え、毒づいてくる母を見た時、とても悲しくなりました。こんな狂った人の寄生を宿主として受け入れられるのは、母が言うとおり、私しかいないと思ったからです。
マンションの七階にある私の住まいは、無駄に広いので、母の居候を容易に受け入れることが出来ました。しかも、持ち逃げされるほどの金はなく、そのような心配は不要でした。宝飾品などの、売れる物はありましたが、たかが知れています。
私には、貯蓄の考えがありません。父が破産して、自ら命を絶った後、未来を信じられなくなりましたから。いくら稼いでも、真面目に頑張っても、すべて一瞬で消え去るのです。夢も、金も、命も。
母は、殊勝に働き口を探しました。そして、料理や洗濯、掃除など、私の身の回りの世話をして、親らしい一面を見せました。
しばらくすると、ホテルの掃除婦として働き始め・・・
給料日に十万円ずつ、黄色い財布から私に返金しました。昔から、必ず黄色を身につけるのは、金運が上昇するという、意地汚い迷信を鵜吞みにしているからです。
生活費は、私が適当に渡していました。どうやら使い切らずに溜め込み、贅沢をしている様子はなく、服装も地味になりました。
日課は、一緒に夕ご飯を食べることでした。私は、不思議と満たされる、温かい心持ちになり、仕事前のそのひと時を大切にしました。
特に、十二月五日の、私の誕生日を祝う食卓は、子供の頃にタイムスリップしたような光景でした。母が三日がかりで、手塩にかけて作ったビーフシチューは、私の大好物でした。
もちろん、穏やかな時ばかりではなく・・・
母は、本性を剥き出して罵ってくることがありました。言い争いにもなりましたが、怒りが収まった後で、肯定的に振り返ると、私の散財する生活を注意されたような、親心を感じました。
「あんた、貯金もしねえで遊び回って、いつか地獄を見るからな。周りがチヤホヤするのも若いうちだけだ。世の中、あんたが考えるほど甘くないよ」
聞き流したふりをして、次の給料日までに三十万円ほどを残しました。それを引き出しに仕舞い、銀行に預けなかったのは、目に見える物事というか、現物しか信じていないからです。通帳に印字された金額は、当てになりません。引き落としに使っている口座は、必要な分を入れてあるだけでした。
箪笥貯金は、一度きりで終わりました。ですが、その思いつきの行動に母が気づいたようです。もしかすると、端から貯金をさせるように仕向けて、持ち逃げするつもりだったのかもしれません。見込み外れは、貯金が続かなかったことでしょうか。
再会から一年が経った三月、母はふいっといなくなりました。言い訳がましい置手紙には、金を借りる、必ず返すと、読みにくい字で繰り返し記されていました。なくなったのは、例の箪笥貯金に加え、ほったらかしの預金通帳とキャッシュカードです。二つ持っている口座の片方で、銀行員の客に頼まれて作ったものです。使っていないそれに、いくら入っていたのか、全く記憶にありませんでしたが、暗証番号の控えを通帳に挟んであったような、不用心に思い当たりました。
もう、どうでもいい。
正気を保つために、母のことを考えるのは、やめました。
翌月から、働く店を変えました。
そして、彼氏に持ちかけたのは、同棲です。私の住まいで新しい生活が始まりました。部屋の中は、彼好みの落ち着いた色合いに、だんだんと変わっていきました。
数か月が経っても別れることはなく・・・
結婚という約束事に関心はありませんでしたが、確かな今が幸せで、母がいなくなって良かったと、心の底から思いました。
けれど、その年の十一月に、母はまた現れました。どうやって六本木の店を探し当てたのか謎でしたが、寝食を共にした住まいではなく、店に来ました。黄色いスカーフを首に巻き、派手な格好をしていました。
「久しぶりだね」
薄気味悪く笑い、悪びれる様子はありませんでした。
「何? ツケで飲ませないよ」
刺し抜くように睨みつけました。
「水臭いねえ。あんた、前の店より稼いでるんだろ?」
「金がないなら帰って」
「ないよ。ないからここに来たんだ。金貸してくれよ。借りてる分と合わせて、近いうちに返すから、頼むよ」
私は、無言で席を立ちました。
しばらくすると・・・
居座る母が悪態をつき、店に迷惑をかけていたので、その場で店長に二十万円を借り、母を強引に外へ連れ出しました。
「これあげるから、帰って」
「おお、悪いねえ。でもあんた、こうして親孝行しなけりゃ、ろくでもないことに使うんだろ? あたしのお陰でいいことが出来た。あんたも感謝すべきだよ」
黙れ、糞ババア!
心の内を口に出さず、店の中へさっと引き返しました。
翌月も、母は金の無心に来ました。すでに他の店で飲んだのか、顔が少し赤らみ、酒の匂いがしました。もうじき私の誕生日でしたが、そんなことなど忘れているようでした。
もはや、怒りも悲しみもなく、ただ面倒事を避けるために、前回と同じ二十万円を渡して追い返しました。
すると、味を占めたようで・・・
たかりは、毎月続きました。決まって月の頭でした。二十万円を渡せば、それ以上を要求されなかったので、はした金とばかりに、くれてやりました。正直に言えば、給料の浮き沈みがある中で、捨てるように出せる金額ではありませんでしたが、早くも落ちぶれてきたなどと思われては、癪に障ります。
私の生き様は、行きづまったら死ぬだけです。それまでは、見栄を張って豪快に生きるつもりでした。
母がたかりに来なくなったのは、突然でした。間断なく十回、つまり十ヶ月続いていましたが、まだ蒸し暑い九月に途切れました。
そして、翌月も・・・
気にかかる自分が嫌でした。あんな親は死んでいればいい、と思いながらも、相反する不安がもやもやと残っていました。
加えて、原因不明の頭痛に苛まれるようになり、十月下旬から、仕事を不本意に休むことがありました。出勤すれば、今まで通り接客しているつもりでしたが、なんか変わったね、などと言われ、私を指名する客が減りました。もちろん、給料はガタ落ちです。店長は、手の平を返して冷たくなりました。
苛立ちをぶつけた先は、同棲している彼氏です。
「つつましく生きればいいじゃないか」
私は、なぜその言葉に激昂して、母のような暴言を吐いたのでしょうか。終いには、私の誕生日の直前に、彼を追い出すことになりました。
十二月中旬、叔母に電話をかけました。母の三つ年下の妹です。おかしな宗教にのめり込んでいることを除けば、当たり障りのない温厚な人です。親戚で唯一、連絡先を知っていました。
「あらー、ちょうど良かった。私から電話しようと思ってたのよ」
母がわざとらしく上品に喋っているような、そっくりの嗄れ声で、母の入院を知らされました。淡々とした口ぶりから、もうじき死ぬとは思えず、小難しい病名を聞き流して、病院名だけメモを取りました。
「分かりました。今度お見舞いに行ってみます」
「うん、是非そうしてあげてね。待ってるはずだから」
仮に、待ち望んでいるとしたら・・・
私というより、金です。慌てて駆けつけることで、弱みを見せれば、母の思う壺です。憎たらしい顔が目に浮かび、どうせ入院代か、手術代がないのだろうと思いました。
ただでさえ、頭痛が慢性的に続いていたので、母の暴言を受け流す気力はありませんでした。
けれど、三月初旬の肌寒い日に、夕ご飯の支度をしていると、叔母から電話がかかってきました。声を聞いた途端に、胸騒ぎがしました。
「早くお母さんに、会いに行ってあげなさい」
電話を切った後、すっぴんのままタクシーを呼び・・・
車内で母に対する愛憎が渦巻きました。本当に愛と呼べるのか分かりませんが、運転手を黙らせるほど号泣しました。
泣き止むと、病院までの一時間近くの間に、すっきり腹をくくりました。玄関前に降り立った時は、達観した心持ちでした。
母は、大部屋の一角で横になっていました。痩せこけていましたが、腹が立つことに、意外と元気そうな顔でした。
「あんた、来てくれたのかい。有り難いねえ」
思いがけない一言に、虚を突かれました。
「あんたと話したいことがあるんだ。今日は少し時間があるかい?」
「ないよ」
「おお、そうか。忙しいよなあ。でもあんた、一つだけ、どうしても頼みたいことがあってね」
「金がないんでしょ?」
母は、黄ばんだ歯を見せてけたけたと笑いました。
「なんだよ、死に顔を見に来たのに」
「あのな、あたしの家から、持ってきてもらいたい物があるんだ」
「叔母さんに言えばいいよ」
「あいつは駄目だ。信用ならん」
「そんなこと言って。世話になってるくせに」
母は、素直に認めるように、布団で顔を隠しました。
翌日は、春本番の麗らかな日和でした。昼過ぎに、タクシーに乗り込むと、母から聞いた住所を運転手に伝えました。
赤信号で止まった時、歩道に目を引く長身の男が立っていました。その姿が、思い出の中の同棲していた彼氏と重なり、未練はくすぶっていました。
到着すると、眼前のボロアパートに驚きました。取り壊し寸前のような、木造の古い建物でした。母の住まいは、その一階の端にあり、託された鍵が玄関の鍵穴にぴたりと合いました。手狭な部屋の中に入ると、炬燵と石油ストーブ、そして横長の箪笥の他には、目立った物がありませんでした。
自業自得だよ。
自分をそう言い聞かせ、同情を断ち切りました。母の用事を足すために、箪笥の一番下の引き出しを開けました。仕舞われた服の底に、聞いていた通りの茶封筒がありました。触っただけで、中には預金通帳が入っていると分かり・・・
キャッシュカードと共に出てきたそれは、私名義のものでした。残高を見ると、三百万円を超えていました。毎月、二十万円ずつが入金されていたのです。もともと入っていた五十万円ほどは、一旦引き出した後に、同じ金額が戻されていたのです。母が借りると言った金は、信じがたいことに、すべて私の手元に戻ってきました。詳細不明の金も入っていました。
やるせない思いから、怒り狂ったように炬燵をひっくり返した後、色褪せた畳の上で縮こまり、さめざめと泣きました。
ふと窓の外へ顔を向けると、ガラス窓の向こう側で、黄色い蝶がひらひらと飛んでいました。その小刻みに揺れる飛び方は、窓をノックしているように見えました。
迎え入れた蝶は、差し伸べた手の指先に止まりました。そして、今度は箪笥の上の通帳に止まり・・・また、私の指先に舞い戻りました。
「ほんっとに、馬鹿だね」
私が涙声でそう言うと、黄色はふわりと飛び立ちました。春めく日差しを浴びながら、遠く、青い空の彼方へ。
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