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【謹賀新年】名詩を添えたご挨拶
さあ、初日の出と共に航海です。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。よろこびを表す漢字には、喜、歓、悦、慶、と様々ですが、元旦の慶事には、やはり慶の字が相応しく感じられます。
この字は、筆者にとって特別です。自身の名前、即ち本名に用いられているからです。慶びを刻むような母の命名が示す通り、四十二年前の誕生は、まさに一族の慶事であったことでしょう。深い愛情に支えられ、本年まで恙なく生きてこられたことに、しみじみと感謝している次第です。
この始まりの朝に、改めて読みたい、そして皆様と “わかちあいたい” 文章があります。下記に引用するそれは、谷川俊太郎の「朝」という詩です。初見の方も、ご存じの方も、どうかゆっくりお読みください。
また朝が来てぼくは生きていた
夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
柿の木の裸の枝が風にゆれ
首輪のない犬が陽だまりに寝そべってるのを
百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
あたり前なところのようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ
いつだったか子宮の中で
ぼくは小さな小さな卵だった
それから小さな小さな魚になって
それから小さな小さな鳥になって
それからやっとぼくは人間になった
十ヶ月を何千億年もかかって生きて
そんなこともぼくら復習しなきゃ
今まで予習ばっかりしすぎたから
今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
ぼくに人間とは何かを教える
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい
作者の谷川俊太郎は、昨年の十一月に九十二歳で亡くなりました。訃報に接した筆者は、故人の偉大な足跡を振り返り、翻訳家としても活躍されたことを思い出しました。
その翻訳作品の一つが、絵本の『スイミー』です。筆者の通った小学校の教科書にも掲載されていました。当時の筆者は、外遊びに夢中で読書が大嫌いでしたが、一体どうしたことか、スイミーという小さな小さな魚の冒険譚を繰り返し読みました。やがて全文をまるまる記憶して、家族や友達の前で諳んじていました。
斯くも惚れ込んだのは、物語の魅力はもとより、後世に残る名翻訳のお陰でしょう。
本年も、この地上を誰かが去り、誰かが来ます。新たに来る人間は――
前述の詩に話を戻すと、“十ヶ月を何千億年もかかって生きて” 漸く人間になるのです。
筆者は、旧年中に読み返してはっとしました。先ばかりを見て、来年こそはと意気込むばかりで、ここに至るまでの長旅をちっとも復習していなかったことに。
だからこそ、抱負を列挙して前のめりになりがちな元旦に、また読み返そうと、本稿を数日前に用意しました。そして、清らかな “初水” の冷たさを感じて、人間として生きる今をわかちあいたいと考えました。
人間らしさの一つは、ただの水を初水と、ただの雨を御降りと、文化的に捉える感性です。
本年は、昭和改元(1926年) から九十九年後の為、元号が変わっていなければ昭和百年です。皆様の中に、百年前の元旦を生きていた方は、恐らくいらっしゃらないでしょう。大正十四年生まれの三島由紀夫は、生きていれば百歳を迎える年です。
昭和と平成、そして令和の七年を加えた百年間に、我が国はありとあらゆる面で大きく変わりました。六千人程から倍以上に膨れ上がった人口は、十年前から減少に転ずる慌ただしさです。今後は、加速度的に人口減少、且つ高齢化率が高まり、かつての凄まじい経済成長を望むべくもありません。労働人口を補う為の移民政策は、欧州各国の事例を参考にしつつ、盛んに議論すべき国の最重要課題です。
日本人とは、一体何でしょうか。
元来の一般的な日本人は、争いごとを好まず、四季折々の自然と謙虚に向き合い、今よりもゆったりとした生活を営んでいたはずです。
日本は、諸説によれば世界で最も古い国です。万世一系の皇統を含む綿々たる継続は、穏やかな国民性に基づく、戦火の少ない平和を象徴していると言えます。
それに比して、戦前の富国強兵と戦後の経済成長の時代は、国も人々もやけに陽気な躁状態と言うか、些か正気を失っていたようにも捉えられます。その契機について考えると、明治維新よりも前、黒船来航という外的要因まで遡らなければなりません。
近代文明とは、一種の輸入品です。輸出した当時の列強にとって都合のいいように形作られ、物によっては悪意が埋め込まれていたはずですが、近代文明の眩いばかりの恩恵に、日本人も欣喜雀躍して狂乱染みたのです。
今は一転、大半が軽い鬱状態でしょうか。狂乱の亡霊を懸命に追いかける程、その症状は酷くなるに違いありません。
因って三が日の、せめてどこか一日ぐらいは、ただ静かに、“興奮した文明から背を向けて” 過ごしたいものです。
興奮した文明――
この言葉は、山尾三省の「いろり焚き」という詩から借用しました。本文の結びとしてご紹介します。
正月三が日は
いろりを焚いて 過ごした
賑やかなことは 何もせず
とろとろと佳い火を燃して 過ごした
湯が沸くのをめで
黒豆を煮かえしたり
煮しめを煮かえしたりもしたが
のんびりと ただ火を眺めているのが
僕の正月
めぐりきた新しい年への
僕のことほぎであり たたかいであった
興奮によってでなく
静かに 生の充実を実感したい と
あるとき老師は言われた
ほんとうにそうだ
どこもかしこも 世界にあるのは
興奮ばかり
興奮した文明ばかり
きっぱりとそれに背を向けて
正月三が日はいろりに向かい
とろとろと佳い火を燃やして 過ごすのだ
以上、新年のご挨拶に代えて。
今後も拙作をご愛読いただければ幸いに存じます。
令和七年元旦