短編小説『ジョンとメアリー』前編
Short Short Story
【恋する20世紀~ジョンとメアリー】
短編小説『ジョンとメアリー』前編
なんでケンカしたんだっけ。ぼくはさっきからずっと考えていた。
でもいくら考えてみてもケンカの原因がわからないのだ。多分ほんの些細なことだったんだ。例えば、待ち合わせにぼくが、いや君だったかもしれない、何分か遅れたとか、ぼくが君の新しく買った服に「ちょっとスカートの丈が短いな」なんてケチをつけたとか、とにかくそんなこと。
だから別段思い出せなくてもいいのかもしれない。けど実際ぼくはひとりぼっちで、つまらないんだな。それでさっきからベッドにひっくりかえって、とりとめもなくケンカの原因を考えつづけている、のかな。
ほんとは多分、君が電話してこないかと思ってどこへも出かけられないんだな。
一度タバコを買いに出たんだけど、タバコ屋さんまで歩いていくうちに、ひょっとしたら君が電話かけてきてるんじゃないかって思えて、で一度そう思ってしまうともうダメで、ぼくは駆け足でタバコ屋さんに行ってセブンスターを買うと、またすごい勢いで駆け出した。なんだか頭の中で電話のベルがリーン、リーンて鳴ってるような気がするんだな。もちろん部屋に駆け戻ってみても、電話のベルなんて鳴ってないんだけどね。だからもうずーっと部屋にいる。
・・・・
大体、ケンカの原因がわかってれば、それにぼくが悪いんだったら、それはそれで手の打ちようもあるんだけど、なんでケンカしたのかさっぱりわからないし、ぼくが悪いのかどうかもわからないのだからどうしようもなかった。
ほんとになんでケンカしたんだっけ。とにかく電話してゴメンネってあやまっちゃおうか。でも、なんでぼくがあやまらなきゃならないのだろう。君にしたって、ほんとにケンカの原因がわかってるのかなあ。ぼくだけわかんないってわけもないだろうに。
ぼくはそれほど鈍い男のコじゃないつもりだし。ひょっとしたら、君もぼくと同じように、なんでケンカしたんだっけなんて思ってて、それで手の打ちようがないのかもしれない。と、したらぼくは電話しなきゃ。でも、なんだかこういうのは楽観的すぎるかなあ。情勢判断に誤りがあるかなあ。
ぼくはそうやってせっかくの土曜の午後を、どこまで行っても終わりにならないぐるぐるまきの考えの中でぼんやりと過ごしていた。部屋の中に差し込む陽射しは長く薄くなって日暮れ近いのを示していた。
ええい、もうあんな奴のことなんか知るもんか。ぼくはむしゃくしゃしてきた。とにかく部屋の中にいるのなんかまっぴらだった。なにもあてなどなかったけれど、このまま部屋の中で電話を待ってるなんてのは、それもかかってくるはずもないような電話をさ、どうにも我慢できなくなって、ぼくは部屋を出た。
・・・・
秋の夕暮れは、もうほとんど冬に近くて、ぼくはアポロキャップをかぶって、紺のUSエアフォースのジャンパーで、両手をポケットに突っ込んでふらりふらりと歩きはじめた。すぐにバスが来たので、何番のバスだかよくわからなかったけど、それに乗った。別にどこへ行くというあてはないのだから、何番のバスでも関係なかったのだ。
ぼくはバスの外を流れてゆく景色をぼんやりと眺めていた。外はもう充分暗くなっていて、車のストップランプが赤くきれいだった。そう思えば、道の真ん中の並木を照らす青白い水銀灯のひかりもきれいだったし、いつもはひどく不粋な歩道橋でさえ、どこか船の乗り場でも思い出させるようなロマンチックなムードをもっていた。
すっかり日の暮れた街は、人工の灯りの中で人工的な美をもっているのだった。そしてそれを美と感じるのは、結局それらすべて、街路樹や舗道のフラワーポットでさえ、すべて人間がその智恵をふりしぼって考え作りあげたものだから、そしてそのことを心のどこかで微妙に感じ取っているからに違いなかった。
ぼくがぼんやりそんなことを考えていると、ぼくの側に立っていた小さな男の子が「ね、ママ。このおにいちゃん、パイロットなの?」と言うのが聞こえた。
え、ぼくのことかな。声のする方を見ると、その男の子と目が合った。彼は、なんだか照れたみたいにぼくから目をそらすと、助けを求めるようにママの顔を見上げた。アポロキャップに空軍のジャンパー、おまけに階級章のようなワッペンまでついていたから、彼が誤解したとしても無理はなかった。
パイロットか。
そういえばぼくだって小さい頃にはあこがれたこともあったのだろうな。電車の運転手だとか、船長さんだとか、パイロットだとか、そういえば子供があこがれるのはみんな乗り物に関係してて、おまけに制服を着てる。乗り物にあこがれるというのはわかるような気がするけれども、制服にもあこがれるのだろうか。それとも制服というのは偶然の一致に過ぎないのかな。
それにしてもぼくがパイロットねえ。窓に映るぼくを見ていると、なんだか口元がほころんできそうだった。まあ、精一杯好意的に見れば、アンカレジの街を歩いている、勤務あけの爆撃機乗りに見えないこともなかった、と言ってしまうとやっぱり言い過ぎかなと思った。
・・・・
その時、ふとある一つの思いつきがひらめいた。とにかく電話しなきゃ。
ぼくは次のバス停で、ほとんど飛び降りるようにバスを降りた。
電話ボックスはすぐに見つかった。ぼくは君んちの電話番号を回した。受話器の向こうで呼出音が二回鳴った。三回目が半分鳴った時、受話器を持ち上げる音がした。
「もしもし」
うまい具合に君が出た。
「ハロー、メアリー? ぼくだよ、ジョンさ」
ちょっと安物の二枚目を気取ってぼくは言った。
「もしもし、どなた?」
「メアリー、ぼくだよ、ジョンさ。何度言わせるんだよ」
「もしもし、タクヤ君でしょ。何言ってるのよ」
「タクヤじゃないよ。まあタクヤだけど。でも今はジョンなんだよ。ね、メアリー、ぼくはやっと北極海の上空から帰ってきたんだぜ。だからさ、会いたいんだ。いつもの将校クラブでさ、待ってるからね」
「え、どういうこと。何言ってるのよ。どうかしたの?」
「いいや、どうもしないよ。メアリー、いつもの将校クラブでさ、『テンイヤズアゴウ』でさ、待ってるよ。だからすぐ来てほしいんだ。そうじゃないとまたすぐに、ぼくはシベリアに飛ばなくちゃなんない」
「……」
すうっと息を吸う音が聞こえた。もしここで敵が電話を切ったらおしまいだなと思った。
「わかったわ。『テンイヤズアゴウ』ね、ジョン」
「そう、メアリー。いいコだよ」
いいコだよ、はちょっと余分だったかな。
「じゃあ、ね」
ぼくは受話器を置いてホッとため息をついた。心臓がドキドキしていた。ひどい田舎芝居だ。
電話ボックスを出ると、秋風がぼくの道筋を通り抜けてった。スーッとして、背中がゾクゾクッときた。さあ、とにかく行かなきゃ。ぼくはまたバスに乗って『テンイヤズアゴウ』へと向かったのだ。
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