はじめまして、の意味。多重関係
治療者やセラピストとクライアント関係で長くお世話になった人、教師と生徒の関係でお世話になった人、仕事の先輩と後輩の関係の人、夫と妻の関係、講座の受講生仲間な関係、、、
長く続いた役割関係であればあるほど、同一人物の間で、別の利害関係や、人間関係を持つときに、関係性が白紙になるという経験をしたことはあるだろうか?
勉強したカウンセリングの授業では、セラピーを担当しているクライアントと、ご近所さんやらサークル仲間、恋愛関係やらの別の利害関係を持つことは、セラピーの環境設定として影響力が強いので、クライアントの利益になると判断した関係以外は避けるのが基本と習った。
しかし、もともとヘビーで複雑性PTSDのあるクライアントから、回復の治療プロセスを経てきて、心理やカウンセリングや福祉に関心や探究心を募らせ、勉強した私にとっては、元治療者が授業の先生や学習仲間になったり、クライアント性の強い人がビジネス感覚と起業家精神を発揮して当事者セラピストとして成功したりする、多重関係が錯綜する中で、もがきながら、サバイバルしてきた感があり、サバイバルしてきた末に、今、ごく普通の福祉系仕事生活人に着地している感覚がある。
そんな中で、ガッツリと濃いセラピーを受けたセラピストと別の新たな社会生活で会う時が有れば、あー私、はじめまして、と、言ってしまうかもしれない、、という気がしている。
セラピーは、社会の利害関係から離れた空間で、魂の本質を呼び戻す側面があり、現実の利害とは距離を持って、共に魂の深海を探索するバーチャルな関係性であるからだ。
トリップした深海を共に旅した人と、陸上の?社会生活の場でまた出会って利害が生じるならば、それは、マナーとしても、はじめましてな感覚になる。
そうは受け取らず、何回も出会っているのに水臭いじゃないか、という人には、バウンダリー感覚を持って対応しないと、ややこしやーーになる。
また、現実生活で何回も関わりのあったセラピストさんの、個人カウンセリングに初めて予約した際も、私は、第一声で、はじめまして、と言ってしまい、自分でビックリした。
何度も現実でやりとりや関わりがあったけれども、仕事上の個人セラピストとしての、その人との関係性は、未知の側面だったし、個人セラピストとしての顔は知らなかったからだ。
必要に迫られて、講座の受講生仲間だった女性起業セラピストさんの、カウンセリングを受けた時も、はじめましてとは口に出なかったが、新しい関係性だから、敬語を使った。
長い役割関係を続けたからといって、その人がわかっているわけではない。
関係性が新しくなれば、また、関係性を通じて、新しい私が生まれていくし、消えていく私もいて、それは死というより、自然淘汰のようなもの。
社会生活上の信用とは、変わらない裏切らない役割関係や経済的なやりとりを前提に成り立っている。
セラピーの世界の多重関係の義と、社会生活での信用の両立について、もしかしたら、最近の私のテーマになりつつあるのかもしれない。
高齢者になっていくことは、今までの肩書や役割をおろし、制度の中で、上手に支援される側のクライアントになるプロセスを踏むことでもある、、みたいなことを、最近感じています。
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