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倉敷で『夜景』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode37〜 岡山編 ”

前回のあらすじ


新浦安で『10年』を走る

“ 自分では認めたくなかったが、本当は震災に遭う前にすでに私の人生は狂いはじめていたのだ。そして今振り返ると、私にとっては震災がスイッチとなり人生のギアを変えることに成功したのだ、と感じる。”

倉敷で『夜景』を走る

2019年5月半ば、私は遅めのゴールデンウィーク休暇を取り、岡山に向かった。瀬戸内6県を本拠地とするアイドルグループ『STU48』の劇場公演を観覧することが、この旅の主たる目的だ。

40代になってから突然AKB48にハマってしまった私は、仕事の隙を見ては全国各地にある常設劇場に足を運び、彼女たちのパフォーマンスを鑑賞することが至上の楽しみとなっていた。
しかし、ある事件をきっかけにこの趣味から足を洗おうと決意し、各地の劇場に最後の一回づつ、お礼参りをしていたのだ。私が最も通った難波の劇場を皮切りに新潟・博多・栄と回り、このたび瀬戸内の劇場に別れを告げることになった

とはいえ、今回足を運ぶ劇場が他の劇場と違う点が2つある。

ひとつ目は、STU48が最も歴史の浅いグループであるために、私がこの劇場を訪れることが初めてだということ。
そしてふたつ目は、この劇場だけ地上に存在していないということ。
STU48は瀬戸内6県に渡る広大な本拠地を持つため、エリア内のどこでも公演を行えるよう、劇場は船の上に造られた。劇場船は主に瀬戸内海上を移動しながら、あちこちの港に停泊し、各地で公演を開催する仕組みだ。
そして、私が休暇に合わせて申し込んだ公演が、岡山県宇野港で開催されるのだ。

お目当ての劇場公演は日曜日の夕方にある。私の休暇は金曜日の午後からだった。直接岡山に飛んでも時間を持てあますだろうと思ったので、まずは広島に入りいろんな場所を経由して、徐々に宇野港に近づいていく旅程を組んだ。
金曜の夜に広島空港に着き、バスで広島市街に出た。ここで一泊し、土曜の朝早くに尾道へ移動した。

尾道に来るのは、この時で3回目だった。まずは、初めて尾道に来た時の思い出を、ここで語ろう。

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初めて尾道を訪れたのは2016年12月のこと。人生で一度も中国四国地方に行ったことがなかったので、休暇を利用して訪れたという経緯になる。そして、中国地方に行くのならば真っ先に寄りたい場所があった。その地が尾道だったのだ。

尾道三部作と称される『時をかける少女』『転校生』など、大林宣彦監督が製作した映画の多くでは尾道が舞台となり、尾道の街並みや尾道水道がそれは美しく描かれている。子どもの頃から大林作品を愛好していた私にとって、尾道の地は『聖地』であったのだ。
特に好きな作品は、尾美としのり扮する主人公の自立と成長を描いた『さびしんぼう』(1985)だ。尾道に着いたら、まずは『さびしんぼう』の聖地巡礼からスタートしようと、心に決めていた。

広島駅から各駅停車の電車に揺られて、ついに私は尾道の街に足を踏み入れた。

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さっそく、駅からほど近いアーケードの商店街に向かった。
『さびしんぼう』では、歳末大売り出しの場面が描かれており大盛況の様子だったが、それから30年以上経った今、目の前に広がる光景はそれとは比べものにならないほど寂れてしまっている。

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シャッター街と化し、人通りもまばらだ。残念ではあるが、これが地方都市の現実なのであろう。

続いては、千光寺に向かって坂を上る。というより、ほぼ登山に近い傾斜がひたすら眼前に伸びている。初老の私は徒歩でのチャレンジをあきらめ、ロープウェイ乗り場へと向かった。しかし、そこには衝撃の事実が! なんと、「終日運休」との表示が出ている。

あきらめて、徒歩で登ることにした。

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頂上に向かってひたすら階段が伸びていく。まっすぐな階段もあれば、らせん状に伸びているものもある。

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人がすれ違うのがやっとの道幅だ。道の両脇には古民家が密集している。しばらく寄り道しながら進んでいると、唐突に三重の塔が現れた。

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三重塔は、1388年に建立された五重塔を、1692年に傷みの激しい上二重を取り払って三重に改造したもの。

立て看板に記載されている内容によると、ここは天寧寺が管理する塔らしい。ついでなので天寧寺にも寄ってみることにした。
本堂の脇に小屋が立っている。入口の立て看板には『五百羅漢』と書いてある。入ってみよう。

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この狭いスペースに、ぎっしりと526体の像が並ぶ。圧巻の眺め。まさかこんな何の変哲もない場所に、この地の歴史や文化を体現するような素晴らしい場所があったとは。この光景に、私はすっかり魅入られてしまった。

続いて『猫の細道』を進む。曲がりくねった上り坂だ。左手に『尾道アート館』なる建物を発見。入ってみる。

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古民家の離れ的なスペースに、大林宣彦監督作品の資料や写真などがところ狭しと並んでいる。「さびしんぼう」率が高く、充実しているのが特に嬉しい。

すっかり聖地巡礼を満喫している私は、時間の都合で千光寺までたどり着くことはあきらめ、最後の目的地に向かうことにした。

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山の中腹にある広場で休憩して、今度は直線に伸びる階段を下る。すると、地域猫らしき猫たちが次々と現れた。

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そのうちの一匹が、しばらく私の足元に纏わりつきながら、階段を私と一緒に下っていく。

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猫好きの私にとって、至福の時だ。尾道に来て本当によかった。(ちなみに、この時に私が履いていたジーンズは染料にマタタビが使われていたらしく、どうやら猫たちはドラッグパーティ的な意味合いで私に近づいてきたようだ。)

山を下りきったら、駅の向こう側まで20分ほど線路沿いを歩く。ごく普通の住宅街に差し掛かったところで、曲がりくねった坂道を上る。しばらく上った先にあるのが西願寺。『さびしんぼう』の舞台となった寺だ。

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この一帯は30年経っても変わらず、当時の面影をそのまま残していた。柱の陰から白塗りの富田靖子が今にも出てきそうだった。

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すっかり満足して坂を下り、ふたたび駅前まで戻る。今度は線路沿いではなく、海沿いを歩いてみる。目の前には向島という名の島が浮かんでいる。

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ここ尾道を起点とした『しまなみ海道』があり、瀬戸内海に浮かぶ島々を橋がつないで、愛媛県の今治市まで続いている。自転車で橋を渡って四国まで行けるので、サイクリストの聖地となっている。

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そして、この辺りの島々では、独特の形状をした渡し船(簡易カーフェリーみたいな感じ)があちこちで運行されているようだ。そういえば、『さびしんぼう』のヒロインは向島に住んでおり、この渡し船を使って通学していた。今思い出した。聖地巡礼はまだ終わっていなかったのだ。
さっそく乗ってみよう!

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年甲斐もなく張り切って、尾道と向島を結ぶ3路線すべてに乗船してしまった… まあ、片道100円くらいだし、乗船時間は5分くらいだ。たいしたことではない。
結局、向島まで2往復した甲斐もなく、ロングヘアーで自転車を曳いている富田靖子(16)には逢うことができなかった。残念だが旅の先は長い。気を取り直して行こう。

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尾道と『さびしんぼう』に対する思い入れの深さゆえに、ついつい饒舌になりすぎてしまった。時を2019年に戻そう。

尾道駅前には午前10時前に到着した。

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前回来訪した時にはまだ工事中だった駅舎は完成しており、見違えるように立派になっていた。天気予報は雨だったが、曇天模様のままなんとか持ちこたえている。

まずはひたすら長い尾道のアーケードを散策してみよう。右手に『林芙美子記念館』を発見。軽く覗いてみる。

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この2か月ほど前に門司港を散策した時にも、そこにあった林芙美子記念館を見学した覚えがある。どちらも、林芙美子ゆかりの土地であるらしい。

続いて、少し先左手にある「パン屋航路」という駄洒落おつなパン屋さんでカレーパンと英国式メロンパンを買い、歩き食いの朝食を摂った。

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さらにアーケードを進み、今度は甘酒味の手作りアイスキャンディを購入した。食べながら、ひたすら歩く歩く歩く。

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はじめて来たときは寂れた印象だったが、ここ数年でもだいぶ店舗が入れ替わったようだ。千光寺の山も含めて、こ洒落たカフェや雑貨屋、アートスペースなどが増えているようだ。
360° ひたすら絵になる風景だらけ。さすがシネマの街だ。

しかし、ここで時間をかけすぎるわけにはいかない。雨が降る前に千光寺に行こう。

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来訪3回目にして初めてロープウェイに乗ることができた。前回(2回目)は夕方到着したので、運行が終わっていたのだ。土曜日なので観光客が多い。15分おきに発車するロープウェイはほぼ満員だった。

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5分ほどでロープウェイは山頂駅に到着した。

ここまで登ったのは初めてだ。眺めがいい。

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展望台に上って、周囲をゆっくりと見回す。瀬戸内海の島々をバックに、尾道水道を行き交う船や、向島に掛かっている橋を通行する自動車の動きのコントラストが素晴らしい。これで晴天なら完璧だったな。

ひとしきり眺望を楽しんだところで、名残惜しいが次の目的地に移動する。下りは徒歩でテクテクと降りていく。

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山を下りきり街に出たら、今度はサイクリングに出かける。倉庫をリノベーションした施設「尾道U2」でチャリをレンタルして、向島を周遊するのだ。

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渡し船に乗り込み、自転車ごと向島に渡った。

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向島では後藤飲料水工業所でラムネを飲み、住田製パンでねじぱんと揚げあんパンで軽めのランチを摂った。

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腹ごなしに、自転車を走らせて島を半周ほどした。通りを改めて見渡すと、廃墟となった商店の多さに愕然とする。

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夕方で道路は渋滞しているが、人通りが全くない。これは、かなりのディストピア感だ。

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元々向島には尾道への交通手段は渡し船しかなかったのだが、近年になって橋が掛かった。それまで8ヶ所にあった渡し船乗り場は3ヶ所に減少し、島内の住民を顧客に成り立っていた個人商店群は、モータリゼーションの波に押されて一網打尽になってしまったのだ。

日が暮れる前に渡し船で自転車ごと尾道に戻り、自転車を返却する。
アーケードに戻り、『日の出食堂』でペペロンチーノ風尾道ラーメンのディナーを摂った。

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ここのラーメンがお気に入りで、尾道に来るたびに必ず寄ることにしているのだ。旨辛で、瓶ビールとの相性も最高だ。

移動の電車まで少し時間があるので、DMMで生中継されている『NGT48 山口真帆卒業公演』をipadで眺めながら時間をつぶした。思えば、この事件がきっかけで、私は48グループからすっかり心が離れてしまったのだった。

公演を見終わったところで、駅へと移動した。少し待つと、岡山方面の各駅停車が入線してきた。この電車に乗って、今日の宿がある倉敷に向かうのだ。いよいよ、岡山県に突入する。

電車に1時間ほど揺られる間に、岡山の思い出を記憶の底から手繰り寄せる。

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初めて尾道を訪れた2016年12月に、その足で岡山にも初上陸した。

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到着したのが夜9時すぎだったので予約していた宿に直行し、翌朝に近隣を散策した。
まずは岡山城に登ってみた。

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昭和20年の空襲で天守閣が焼失してしまい、今建っている天守閣は戦後に建て直された物である。天守閣の最上階から岡山の街を一望する。

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お濠を挟んだ向こう側に『後楽園』が見える。日本三大庭園の一つに数えられている名園だ。ちょっと寄ってみよう。
その前に、お城の中にある茶屋でお抹茶とわらび餅をいただこう。

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休憩を済ませたらお城を出て少し歩き、お濠に掛かっている吊り橋を渡って、後楽園に入った。

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なかなかの規模だが、アップダウンが少ないため、全体を容易に一望できる。よく手入れされている。

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なにをするでもなく、園内を軽く一周した。のどかだ。平日の午前中で人が多すぎないのもよい。

茶屋で休憩を兼ねてティータイムを摂ることにした。温かい甘酒をゆっくりと味わって飲んだ。

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すっかりベタな観光ルートを進んでいるが、どうせならベタついでにと倉敷に足を伸ばした。
有名な観光地である美観地区は駅から歩いて10数分のところにあるらしい。そこに向かって進みながら、食べログでちょうど良いランチスポットを探す。あった。ここにしよう。

『いわ国』で豪華ランチが、なんと1500円!

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これはコスパ満点なメニューだ。(ビールは別売です。)すっかり堪能した。

食後は、いよいよ美観地区を散策する。

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空模様が怪しくなり、小雨が降り始めている。箱庭みたいな一角に入り、前後左右に並ぶ白壁のお蔵を眺めながら軽く一周する。美観地区の中心を貫くように川が流れている。

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川端には枝垂れ柳が立ち並んでいる。風流な景観だ。川下りの舟に乗ってみたかったが、雨のため運休になってしまった。残念。

白壁のお蔵が並ぶ様は初めこそタイムトリップしたような新鮮な感覚があったが、じきに飽きてしまった。なにしろ、周囲から隔離されたテーマパーク感が満載で、純粋にこの街の文化遺産として楽しむことができなかったのだ。
この一角だけが進化から取り残されているように感じてしまい、そうなるとせっかく代々維持され続けているこの美観も、ただの遺跡にしか見えなくなってしまうのだ。

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この記事を書き始めてから5000字ほど費やし、ようやく今回走る場所に到着した。2019年5月の倉敷駅に、私は降り立った。

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時刻は午後10時近い。取り急ぎ宿にチェックインしたら、すぐに着替えて夜の美観地区を走ろうという目論みだ。

宿からのメールに添付されていた地図を頼りに、駅前の細道を進んでいく。どうやら、ここが本日の宿らしい。

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おかしいな。どう見てもBarにしか見えないのですが… 長旅の疲れで認知が歪んできているのだろうか? とりあえずレジに立っている店員さんに話しかけてみる。
「すいません。ゲストハウス◯◯は、この近くにありますか?」
「ゲストハウスはこちらになります。」

なんと、Barの2階がゲストハウスになっているようだ。そのままBarのレジでチェックインを済ませ、『STAFF ONLY』的な扉の奥の階段を登り、2階の二段ベッド×2台が設置されている部屋に通された。

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私のスペースは手前側にある二段ベッドの上段だ。下段には東南アジア系の女の子がベッドに腰掛けていた。彼女は私を一瞥し、すぐにスマホに視線を落とした。
若干気後れしたが気を取り直して、荷ほどきもそこそこに着替えて走りに出掛けた。

宿をスタート地点に、美観地区までの1kmちょっとの道のりを直進する。幹線道路沿いだ。この時間でも、自動車の通行はそこそこある。一方で歩行者はまばらだ。お陰で快調に走ることができる。地方都市あるあるの光景だが、この時間なら人がまばらなのも当然か。

しばらく進むと交差点がある。ここで向かい側に渡り、そのまま左に舵を切ると、そこが美観地区である。

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夜の美観地区を走る。人影は見当たらない。昼間のような観光地テイストはなりを潜めている。街灯から注がれる灯りは温かく、趣き深い。路面に反射した灯りは、お蔵の白壁をうっすらと照らす。図らずも間接照明の効果を生んでいる。雰囲気がある。昼間よりもタイムスリップ感が断然増している。

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ゆっくりと味わうように、美観地区を縦横無尽に走る。数百年変わらないことにより周囲の時空から独立しているこの一帯を、まさに今私は独り占めしているのだ。なんて贅沢なことであろう。一帯を半周回ったところで、橋を渡り川沿いを走ることにしよう。

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「ゴソッ」と、物音がする。人影のような動きもある。なんだ?幽霊か??目を凝らすと、そこには若いカップルがいた。まあ、お盛んなことで。

気を取り直してそのまま川沿いを進む。数百mおきにカップルに遭遇する。まるで京都の鴨川に巣食うカップルたちのようだ。
美観地区をほぼ一周しすると、右手に飲み屋街の灯りを見つけた。まだ走り足りなかったので、そちらの方にも足を踏み入れた。

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裏路地の方にも大きいお蔵がいくつかあり、こちらはまだ現役バリバリのようだ。
倉敷の歴史と文化を今につなぐ、責任重大な建造物だ。積極的に保護していくべきは、観光資源と化した蔵よりもこちらのこうであろう、と感じた。

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気づくと時刻は23時を回っている。明日も早起きして移動しなければならない。そろそろ撤収してさっき来た道を戻り、宿でシャワーを浴びて早めに床に着こう。


今回倉敷の美観地区を走って感じたことは、今まで取って付けたような観光地だと思っていた場所が、そこへの侵入方法を変えるだけで見え方が一変し、特別に面白くなるということだ。
夜という観光地の寝込みを襲うようなシチュエーションによって、より一層その魅力を満喫できたと感じる。

また、美観地区が周囲から隔絶されているだけに、格段に異世界間を感じることになったのだ。

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【余談】

翌朝はがんばって早起きし、四国は香川県に渡った。詳細は次回に述べることにするが、夕方に宇野港に戻りSTU48の船上公演を観覧することができた。

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外部の演出家を招いて作られた、その公演のセトリはしょぼかったが、メンバーは一生懸命に踊り愛嬌を振りまいており、なかなか楽しい時を過ごした。わざわざこうやって、なんのゆかりもない港まで公演を見に来るのも、非日常感があって楽しいものだ。

しかし、この記事を書く数ヶ月前にプレスリリースがあり、劇場船STU48号は、維持費の問題により廃船が決まったとのことだ。

恐るべし、新型コロナウィルスの二次被害…


次回予告

小豆島で『迷路』を走る





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