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多摩川で『外部』を走る " 旅先で『日常』を走る ~episode 6~ 神奈川編 "




前回のあらすじ 


別府で『ふたり』を走る 

"『場所』と『私』の二者に『誰か』が加わり三者関係になることによって、世界が立体的になるのだ。私と誰かの関係性は『場所』という共通項を媒介にして深まっていく。"


平日は『夜』走る


4月に入り、仕事を終えてから夜の地元を走るようになった。もともと今から1年半ぐらい前、走り始めた頃に行っていた習慣である。
なぜこのタイミングで再開することにしたのか、それは私の暮らしている場所に緊急事態宣言が発令され、日々の生活それ自体が非日常に侵食されつつあると感じたからでだ。

ランニングは運動不足解消の名目で認められているが、その一方で「不要不急の外出は控えるように」との強い要請がされている。
この状況下でもあえて走り続けるために、自分自身の中に走ることそのものの『要』と『急』を持たなければと、強く感じている。

私にとって走ることは、非日常な環境を『ちょっと変わった形の日常』に変換させるための装置なのだ。そして『日常』のバリエーションを増やし、日常そのものを豊かにしていく。これが私が走る最大の目的だ。
とにかく、私にとっては以前と同じように走ることそれ自体が、日常を営む上で可及的速やかに必要な行為だった。

しかしながら、夜の非常に人通りが少ない時間帯を狙っているとはいえ、走っている間に誰ともすれ違わないということはない。一部の報道では、飛沫を避けるために必要な距離は10mともいわれている。
さすがにマスクぐらい装着しないといかんなと考えていたところ、姉から誕生日プレゼントが届いた。

包みを解くと、中身はなんと2枚の布マスクだった。アベノマスクならぬアネノマスク 笑。
姉さんありがとう。このマスクを付けて走るよ。そして、帰ってきたら忘れずに風呂でマスクを手洗いする丁寧な暮らしをすることで、自分の中の『ちょっと変わった形の日常』を補強することにしよう。


週末は『昼』走る

上に書いたように、平日は気まぐれに5kmほどの夜ランを始めたが、休日には『健康のため』という大義名分で白昼堂々、地元を10kmくらい走破するのが習慣化されつつある。
しかし普段から同じコースを走り続けることが大の苦手で、どこを走るか悩んでいるうちに日が暮れかけることもしばしばである 笑。さすがにこれでは走ることを楽しむどころではないので、一計を案じた。

『近所の銭湯をゴールにする』ことである。

私の地元である城南地区(大田品川港目黒)は、全国でも有数の銭湯激戦区である。このあたりは、100年くらい歴史のあるベッドタウンだ。また、高度成長期に『金の卵』と持て囃された、地方からの集団就職組が独り暮らしをしていたアパートが多数残っている。築年数が古い建物には、いまだに風呂なしのところも残っている。

しかも、この一帯は『黒湯』と称された温泉がそこかしこから沸きだしており、470円でそれが楽しめる温泉銭湯が多数存在しているのである。緊急事態宣言下、どこの銭湯も閑古鳥が鳴いている。助けなければ! という自己正当化も叶う一石二鳥。俺って天才。

かくして、このあたりの銭湯では毎週末、『初老の元ラガーマン』みたいないでたちの汗だくなおっさんが、頻繁に目撃されるようになったのだった。

ゴールデンウィークは『どこ』走る?

2020年5月2日。ゴールデンウィーク休暇も絡んで今日から5連休。
こんなにまとまった連休が取れることは仕事柄あまりなく、普段ならさっそく旅に出て、旅先で走るところである。その積み重ねがあってこそ、この連載が成り立って来たのだ 笑。

しかし今は移動の制限がある。近場を走ることにしよう。とはいえ内心は旅をしたい気持ちと、このご時世で旅に出られないストレスでいっぱい。せめていつも走っている地元のルートからは少し外れたいところ。

今日は天気が良いし、5~6km走って多摩川にでも行こうかな。いつもは多摩川のこちら側、つまり東京都を走り抜けるのであるが、せっかくのゴールデンウィーク、たまにはいつもは渡らない多摩川大橋を渡り、向こう岸すなわち神奈川県の遊歩道を走ってみようか。

私は、東京都大田区で生まれ育ったとはいえ、ほぼ品川区な場所に居を構えていたので、直線距離では大したことのない神奈川県川崎市にはあまり縁がない生活を送ってきた。

中高生の頃は遊び場といえば蒲田だったのだが、電車で一駅、多摩川一本を越えて神奈川県にわざわざ入ることはほとんどなかった。   
川というトラフィックジェネレーター、わかりやすい境界に無言の圧力を感じていたのだろうか?

旅に出ることが憚られるこのご時世、川を渡って神奈川県までぶらり一人旅することにしよう。

縄張りの『外部』を走る

そう決心して身支度を整えている最中、神奈川県民に向けて黒岩知事から緊急速報メールが配信されたとの情報が入った。「神奈川県民は県外に出るな。他の都道府県民は神奈川県に入るな。」という、絶妙なタイミングでの牽制 笑。

だがあくまでも『要請』でしかない事を好意的に解釈し、あえて走ることにした。黒岩ごめん。県境を走るだけなので許してくれ。
では走るとしよう。
いざ、多摩川!いざ、神奈川!!

我が家からほんの600mほど走れば国道1号に出る。そこから6kmも進めば多摩川大橋だ。いつもなら橋を渡らずに東京都側の遊歩道を走るところだが、今日は特別に橋を渡り神奈川県側を走るのだ。

多摩川大橋上でもけっこうランナーたちとすれ違った。同士は意外に多いものだ。

橋を渡り神奈川県に到着。縄張りの外部に出てしまった若干の心許なさがあるが、男の子(47歳)なのでここは気を強く持って行こう!

神奈川県側の遊歩道を走る。
いつも走っている道を遠巻きに右手に携える。川向こうは散歩(with犬だったり)している人たちがやたら多い。
一方でこちら側はランナーとチャリがほとんどである。こちら(神奈川県側)の方が圧倒的に走りやすい。


走りながら風景を見回す。
左手には、昨年の台風による多摩川増水で浸水してしまった一帯がある。

左手である神奈川側は一軒家か低層の建造物が目立つ一方で、右手である東京側にはタワマンが目につく。 


川端という場所は、災害に見舞われやすかったり地盤が弱かったりで、あまり高級なイメージはないが、東京側のバブリーさというかマンションポエム満載感というか… なんともいえない砂上の楼閣感が見るに耐えないものがある。
地名も『蓮沼』とか『沼部』だし。まあ神奈川に渡るといきなり『高津』なのだが。

こんな感じで無責任に、左右のアンシンメトリーさや、いつも走っている場所を客観的に眺められることが、なんだか心地よい。当初感じていた心許なさはすっかり消えていた。今日からここもマイテリトリーだ。

5kmほど走って丸子橋にたどり着いたところで、橋を渡り東京に戻る。


丸子橋は多摩川大橋に輪を掛けて通行者が多い。ちょっとした買い物にも県境を跨いで行く生活習慣があるのだろう。高級タワマン街である東京側には量販店やスーパーが圧倒的に不足しており、川向こうのロードサイドに買い物に赴くのだ。

ここには県境よりも強い日常の『行動範囲』があり、それは県知事の要請くらいでは揺るぐものではないのである。

橋を渡り終え、我がホームタウン東京に戻ったところで、土手に腰掛けしばしの休息。この後は電車に乗り、いつもより空いているお気に入りの銭湯で、ソーシャルディスタンスを維持しながら汗を流すとしよう。


 距離と角度で見え方は変わる

今回、いつもの縄張りを一歩出て走ることで記憶の扉が開いた。

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さっきの続きなのだが、私も大学生になると、通っていた大学が町田市というバグによって、半分東京都で半分神奈川県という変わった立地にあったこともあり、県境を跨ぐ抵抗感はだいぶ薄れてきていた。

そのせいもあってか、川崎のチネチッタまで映画を観に行くことが増えた。当時付き合っていた女性が西馬込に住んでいたので、バス一本で多摩川大橋を越えて川崎まで行けたのが便利だった。

余談だが、家から西馬込まで彼女を迎えに行くために通っていた道のりは、坂道だらけの馬込にしては珍しく平坦であるが故に、今ではお気に入りのランニングコースの一つになっている 笑。

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閑話休題。

そういえば、子供の頃は縄張りを一歩出るのも一大事だった。そして、我々は縄張りの外に出ることによって一歩づつ大人になっていったのであった。
我々は、縄張りの外から内側を見ることによって、今までとは違った視点を手に入れることができるのだ。

緊急事態宣言下で地元に幽閉されていると気が滅入り視野も狭くなりだが、日常を刻み続けながら、いくつもの『視点』を手に入れるために、走ることは有効になると、私は考えている。

視点を増やすこと、それすなわち『ちょっと変わった形の日常』を手にすることであり、それが我々の日常をより豊かにすることではないのだろうか?




次回予告

内原で『一駅』を走る

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