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ふがいない僕は (世界平和のために) 空を見上げ、走る “東京そぞろ走り #4“


2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻した。
その前日、私はランニング仲間たちと米軍基地の近くにある港町で遊んでいた。極東の島国でぬるく生活している私は戦争の足音に耳を傾けておらず、それは青天の霹靂であった。

今から30年以上前、私が高校生の時に湾岸戦争が勃発した。ブラウン管越しに「スカッドミサイルvsパトリオットミサイル」の映像が、シューティングゲームのようなアングルで流されていた。画面の奥には大量の死体があるはずなのに、その存在は巧妙に隠されていた。そして多くの視聴者は、戦争そのものよりも戦況を解説している専門家の頭部の虚実について興味があるようだった。
私はそれ以来、TVのニュース番組を観ることをやめた。

ここからウクライナの首都キエフまでは、直線距離で8,200km以上あるらしい。遠すぎて距離感をつかめないが、21世紀の戦争は現地の戦況がインターネットを経由して、リアルタイムで私の手元まで届いてしまう。それも国家に統制されたプロパガンダ映像ではなく、戦地に暮らす市民が撮影した動画によって。素人の手によって撮影された動画群には、たくさんの兵士や市民や敵や味方や生や死や愛情や憎悪や、とにかく多種多様なものが未整理のまま発信され続けた。

戦争が始まると、今までどこに潜んでいたのかというくらい大勢の論客がSNS上に登場し、議論が繰り広げられた。そのほとんどは地に足の着いていないポジショントークばかりで、読むに堪えないものばかりだ。みんながみんな自分の正義を振りかざしているが、「正義」こそが戦争を引き起こす原因なのだ。
そもそも、シリアやアフガンについて無関心だった人が今になっていきなり何かを語り始めても、私はまったく信用を置くことはできない。

とはいえ、戦地とは遠く離れたところからブツブツと文句ばかりつけていても事態は改善しないし、世界は平和にならない。もうすぐ50代に差し掛かる名もなきおっさんの私でも、世界平和のために何か役に立ちたいのだ。なにしろ、幼少の頃には日々戦隊ヒーローごっこに明け暮れ、将来は世界を救う人になりたいと本気で願っていたのだ。
さすがにいまでは「正義」を守るヒーローになりたいなんてことは欠片も思わないが、生まれ変わったらねずみ小僧とか石川五右衛門みたいな「義賊」になってみたいとは本気で願っている。

そんな私に、Facebookがある広告を表示してきた。

" あなたも誰かのチャリティランナー "

何かしたいと願いながらも何もできないふがいない私には、もってこいの企画だった。さっそくその日のうちに、ユニセフのチャリティランナーに登録した。我ながら単純である。もしも住む場所と時代が違ったならば、これと同じ行動パターンでテロリストが生まれるのだろう。

ともあれ、自分が好きなこと、日常的に続けていることを通して戦地で苦しんでいる人たちの役に立つことができるのならば、やってみる甲斐はある。
正義ではなく「義」のために、私は立ち上がることにした。

■ ランニング1kmにつき50円
■ ノルディックウォーク1kmにつき30円

3月一ヶ月間での実走距離に応じてウクライナに寄付をすることに決めた。併せて、この取り組みをサポートしていただける方からの寄付も受け付ける仕組みになっている。まずは、目標金額を10,000円に定めてスタートした。

すると驚いたことに、はじめて早々に寄付が立て続けに集まりだし、

まだろくに走ってもいないのにも関わらず目標金額を達成してしまった。ありがとう、5名の名もなき勇者たちよ。私は心の中の『非常時に方舟に乗せる人リスト』を上書きし、彼らを最上位に置いた。

しかし、目標を達成したからといって、これで終わりというわけではない。まだ私は何もしていないのだ。さっそく目標金額を上方修正しつつ、苦手な花粉舞う季節ながらも土日を中心にせっせと走り出した。

お彼岸が近くなりだいぶ寒さも薄らいできたので、Tシャツ一枚の姿で近所の馴染みのルートをいくつか走る。多摩川を目指して進み土手を駆け抜けるお気に入りのコースや、商店街をいくつもハシゴした挙げ句に銭湯をゴールにするコースなど、気の赴くままに走る。
ある時は運転免許の更新に家から鮫洲まで走って行き、またある日曜日には若いランニング仲間のお誘いを受けて皇居を一周したりもした。

この時期は、走るたびに風景が春に向かって変化していく。まずは茶色から緑色に移ろい、それから足もとに黄色が混ざって、最後には頭上に桜色が花火のように炸裂する。平日は通勤の一部をノルディックウォークにしているのだが、つい寄り道したり立ち止まったりして、写真や動画を撮ってしまう。

視界は、桜の花越しに大空へ抜けていく。この空の先にはロシア、そしてさらに先にウクライナがある。私が気まぐれに撮影している花と、ウクライナに暮らす人たちがyoutubeなどにアップしている動画が捉えている被写体はずいぶん違う。しかし彼らだって、平時は花を愛でフレームにも収めるだろう。

いつも通りに走っているだけなのに、この一ヶ月間は走ることによってウクライナの人たちや寄付をしてくれた仲間たちと一緒に走ったような気分になった。「誰かのために走るなんて『走れメロス』みたいだな。」 ふとそんなことを思ったが、小説の世界のように王様が私の行いを見つけて行動を変えるなんてことは起こらないだろう。
それでも、ふがいない私は空を見上げながら祈り、そしてこれからも走り続けるのだ。

「遠くに暮らす彼らにも、一日も早く日常が戻りますように。」 

一ヶ月を通してなんとか5,000円分の走行距離を稼ぐことができたので、私の分も寄付を済ませた。

わずかな額ではあるが、これがニセ義賊を気取るしかない ” ふがいない日本の私 " にとって、今できる精一杯なのだ。

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