“ 新浦安で『10年』を走る ” ( PLANETS SCOOL 2021年3月課題 「執筆前の構成メモを制作する」 )


【仮タイトル】
被災地で『10年』を走る

【全体の概要】
東日本大震災からちょうど10年にあたる2021年。当時私が被災した浦安の町を訪れ、走る。走りながら、この10年での街並みの変遷やコロナ禍による変化にも触れつつ、震災時のこと、それから10年間の歩みを回想する。自らの足跡をたどることによって、当時は「震災で人生を狂わされた」と拗ねていたが、じつは「狂い始めていた人生を、震災を契機に軌道修正してきた」10年だった、と気づく。

【想定する文字数】
7500字

【構成】

① 被災した地に赴く

 ■ 久々に浦安の地に立つ
・2021年2月28日の日曜日、新浦安に足を踏み入れた。2011年3月11日に、私はこの地で東日本大震災に被災した。震災からもうすぐ10年になるので、久々に訪れて、当時を振り返りながら走ろうと思う。
・まずは、10年前に店長をしていた店を訪れる。以前と変わりばえがない。コロナの影響でランチ営業のみとなっていた。
・じつは新浦安については苦い思い出の方が多い。
・当時の会社ではテイクアウト事業のエリアマネージャーをしていた。業績はトップクラスだった。しかしハードな業務を繰り返した結果、私の心身は徐々に蝕まれていた。自律神経がズタボロになり、また極度のストレスで蕁麻疹などを発症していた。
・そんな最中、私は当時のトップと意見の食い違いで関係が悪化し、ジョブローテーションの名目で島流し的に新浦安に赴任したのだった。
 ★被災の記憶を紐とく
・2010年4月に新浦安に赴任した。当時の私は会社からの仕打ちに不貞腐れていた。一方で、この店で成果を上げてさっさと元のポジションに戻ろうと画策していた。そのために店が現状抱えている問題点を一気に改善しようとしたが、店の主力従業員である大学4年生たちの抵抗にあってなにひとつ前に進まなかった。
・そんな最中、2011年3月11日14時46分、店内で震災に遭遇した。厨房の冷蔵庫は倒れ、客席ではスプリンクラーが誤噴射した。
・職務上避難誘導が義務なので、レストラン街にいたお客様と従業員全員の避難を完了してから、自分も避難した。駅ビルの2階出入口の前から、液状化していく駅前広場を眺めていた。
 ■ 駅前広場で黙とうする
・などと思いだしつつ歩いていたら、2階出入口の前で14:46になった。黙祷を捧げる。
・駅前広場に降り、震災で生じた亀裂が今どうなっているか確認した。すっかり元通りになっていた。
・かつてはダイエーだったイオンのトイレで着替え、suicaが使えるようになったコインロッカーに荷物を預け、走る準備を整えた。

② 被災地を走る
 ■海に向かって走る
・駅前広場をスタートし、右折して海に向かって走る。街路樹に椰子が伸び、ちょっとしたリゾート感がある。
・目抜き通りはセレブが住むタワマンやリゾートホテルが目につくが、駅裏の方には公団住宅が山ほどあり、私の店のお客様の多くは公団に住んでいる人たちだった。
・配水管が地中に飛び出たり道路に段差ができたあたりを通る。すっかり元通りだが、道路の段差だけは少し残っている。当時の私は、この辺りに住んでいるセレブな住民にはあまり良い感情を抱いておらず、ライフラインが寸断されて困っている彼らを見て「ざまあみろ」という感情も少なからずあった。
 ★店の復興
・電車も不通になり陸の孤島と化した新浦安で一夜を明かした。翌朝、シフト通りに出勤して来た大学4年生Aに起こされた。しばらくすると出勤予定のない大学4年生BCDも現れた。
・総がかりでテーブルと椅子を外に出し、水浸しの客席の床を掃除した。彼らの歴史もこの店に刻まれており、彼らなりのこだわりもあるのだと今更ながら気付いた。
・震災で物理的に店が破損し、復旧には一週間以上かかった。地域の上下水道の復旧に時間が掛かりアルバイトたちも大変だったが、同じ境遇にあるもの同士での連帯感のようなもの生じた。
・しかし近隣のお客様は外食どころではなく、ディズニーランドも休業中であり、お店の売上は苦戦した。営業部長や担当役員も心配して様々な策を一緒に立案してくれたが、トップの人間にことごとく却下された。彼にとっては首都圏に被災地などないという認識だったのだ。私は「震災に人生を狂わされた」と境遇を恨んでいた。
 ■ 総合公園を走る
・3kmほど進むと、海に突き当たった。浦安総合公園が整備されている。2008年にできたというこの公園の存在を、今はじめて知った。2年以上新浦安で仕事をしていたのに、地域のことを知ろうとする余裕が当時の私にはまったくなかったのだ。
・公園は家族連れやランナーを中心に賑わいを見せている。コロナの影響で休日といえども遠出は憚られるから、特に人が公園に集中するのだろう。芝生にテントを張ったり、凧を上げている人も多い。住民のうち比較的セレブ的な人たちが多数を占めているような印象だ。みんな一様に、日曜日の昼下がりを満喫している。とても楽しそうな光景だ。
・当時は「セレブ系の住民は自分の店とは関係ない」と視界から外していたが、この街では彼らの暮らしが間違いなく営まれているわけで、当時の自分がいかに視野狭窄に陥っていたのか、改めて思い知った。

③ 海沿いを走る
 ■ TDLに向かう
・海沿いの公園を走り抜け、一旦内陸に戻る。道の両側にそびえ立っていたタワマンの姿は消え、工場や倉庫が並ぶ一帯に入った。ハイソな感じは微塵もなくなった。私の地元である京浜工業地帯に似た雰囲気で、気分が和む。
・日曜日なので人影もほとんどなく、快調に走り続ける。新浦安の近辺にこんな地域があったとは気付かなかった。この街に対する心理的な距離感がグッと縮まった。
・コンビニで小休止して、ドリンクを買う。目の前に架かる橋を渡れば舞浜地区だ。
 ★不惑にして自分探し
・新浦安の店は売上がなかなか回復せず苦労を重ねたが、自分で採用した従業員を中心に据えて地道にリピーターを獲得する策を取り続けた結果、翌年1月には前年売上を超える事ができた。
・店長として成果を上げたことを区切りとして、私は会社に辞表を提出した。この会社にいても今まで担当した以外の業務を担当できる見込みはなく、そしてなによりもこのトップと一緒に働き続けるのはごめんだった。
・とはいえ、前途は洋々ではなかった。直近の職務が店長だとほとんど店長職の求人にしか引っかからないのだ。腹を括って一から出直す覚悟で、引き合いがあった中で最も業態の幅が広い会社に転職した。自分の引き出しを広げるために、今までに経験したことがない業態もやってみたかったのだ。
 ■ディズニーシーの周囲、海沿いを走る
・休憩を終えしばらく直進すると、ディズニーランドにぶつかった。左折してしばらく進む。1kmほどで海に突き当たった。
・海沿いの堤防が遊歩道になっている。左手に東京湾・右手にディズニーシーを眺めながら走る。陽が傾いていて、徐々に海に吸い込まれてくように錯覚する。
・ディズニーに建造された偽物の山が、なかなか勢いで噴煙を上げている。しかし私は、ディズニーよりも海の向こうに関心が湧く。この海の対岸にも思い出があるのだ。

④ 10年後の到達点

 ★40代にして「自分」を取り戻す
・転職した会社は大阪に本社を構えていた。ちょうど関東に本格的に進出するタイミングだった。人材の供給が追いついていなかったため、私は入社早々、当時社内で最も売上が高かったお台場の店の店長をいきなり任された。8店舗だったのが3年間で30店舗まで増えたので、私もしばらくは様々な店のオープンを担当し、従業員を育成して店の運営を軌道に乗せることに専念した。前職を超える忙しさで、私生活は一層なくなっていたが、充実していた。
・転職して3年、2015年に転機が訪れた。会社が労働基準法違反で書類送検され、労働環境が一気に改善されたのだ。週休2日とか残業の上限が月30時間とか、今までよその世界のルールだと思っていたことが実現されていった。
・学生時代以来にまともな可処分時間を手にした私は、ひさびさに『趣味』に費やす時間と精神的な余裕を得た。休日は寝て過ごすことがなくなり、映画や舞台、展覧会などを観て回るようになった。また、アイドルにハマって日本全国に遠征したことがきっかけで、暇を見つけては旅に出るようになった。仕事一筋だった時とは違ったかたちで、人生が充実しだしたのだ。
 ■ 右手にディズニーランド、左手に葛西臨海公園
・海沿いを走り続け、道なりに右に旋回する。右手のディズニーは見えなくなり、リゾートホテルが立ち並んでいる。左手には葛西臨海公園が視界に入ってくる。観覧車がひときわ目に付く。
・新浦安に来てしばらく、なにをやっても上手く行かなかった頃、口実を見つけて店を離れ、葛西臨海公園で時間をつぶしていたことを思い出した。なにをしていたかは思い出せないが、ただただ途方に暮れていた。認めたくなかっただけで、じつは震災に遭う前にすでに自分の人生は狂いはじめていたのだ。
・そして、私にとっては震災がスイッチとなり人生のギアを変えることに成功したのだと、今振り返ると感じるのだ。もしあのまま以前の会社で以前のように仕事を続けていたら?と想像するとゾッとする。もう生きていなかったのではないかと本気で思う。
・記憶の扉が開いた。2010年に職場放棄してサボっていた葛西臨海公園で、2019年にはバーベキューを楽しんでいたことを。その10日前に、私は趣味のランニングの途中で転倒し利き腕の手首を骨折し、手術をしたのだ、退院した翌々日にはもうバーベキューに参加し、率先して肉を焼いていたのだ。会社は休んでるのに 笑。
 ■ まとめ
・いろいろと回想している間に、舞浜駅に到着した。シンデレラ城の上に夕焼け空が広がっている。ここをゴールとしよう。一駅戻って、新浦安で荷物を回収しなければならないのだ。新浦安に戻る電車の車中で思う。
・あれから興味の赴くままに、いくつも職を転々とした。今はコロナ禍の影響で飲食業界自体が大打撃を受けている。一寸先は闇だ。ところが、こんな状況でも先行きにあまり不安は感じないのだ。
・この10年で自分にはできることが増えたので、環境が変わっても自分ひとりが食べていくくらいの稼ぎは難なく得られるだろうという安心感があるのだ。
・震災によって多くの貴重な命が失われて、心の傷を今でも抱えている方々も多数いらっしゃる。私にも心の傷は少なからず残っている。今後も被災地と何かしらの関わりを持つことによって、互いの傷を癒やしあっていきたい。
・しかしその一方で、自分にとって震災はネガティヴなことだけではなかったのだなと、今回新浦安を走ったことで改めて実感した。

(了)

* ★は『回想パート』です。

【追記】

完成版はこちらです。
https://note.com/tanpopo1973/n/n323207932a41








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