本のカバーを外しました。
本屋さんで本を買った時、私は大体ブックカバーをつけてもらいます。
持ち帰るときに本が痛んでしまわないように、そして電車の中で本を読んでいる時、ブックカバーがかかっていた方がなんとなく安心できるからです。
けれども昨日、本にかかっていたブックカバーをたくさん外してしまいました。
その理由は、なんとなくなのですが本の装丁の美しい色を隠しているのがもったいないと思ってしまったからです。
本の装丁の美しいデザイン、色、そして手触り、そういうものを感じ取りながら読みたいと思ったからです。
そうしてみると1冊1冊、手触りが違い、本の内容に合わせた美しい装丁がされていて、手に持って読んでいるだけで心が豊かになるような気がしました。
本は素敵です。
幼い頃家に置かれていた何冊もの本達。
何回も何回も繰り返して読んだその内容は今も私の記憶の中に残っています。
その時に思い出すのは本の手触りや紙の匂い、描かれていた挿絵や表紙の色、何回も読んだのでページが外れてしまったり、折り目がついてしまったこと。
そーゆーいくつものささやかな思い出が全部含めてその本の記憶になっています。
私はいつも夜寝る前布団の中に本を持ち込んで。同じ本を何回も何回も繰り返し読みました。
そうして気に入った場所を読み返し、それが私の記憶の一部になってしまうほど染み込んでいます。
本を読む事はその頃の私にとってご飯を食べるのと同じくらい必要なことでした。
現実の世界の中ではただ毎日学校と家を行き来するだけのような感じだったので。本で読んだことに憧れながら暮らすのか私にとっての唯一豊かな音だったように感じています。
そして私は、いつか物語を書く人になってみたいと言う憧れを持つようになりました。
けれども何気ない気持ちでそれを母に伝えたら、烈火のごとく怒って否定されてしまいました。
その頃の母は、今考えてみると、眠っている時以外は働いている状態で、心にも気持ちにも全く余裕のない状態だったと思います。
けれどもまだ幼かった私はそのことを考える力がありませんでした。
そうしてただ自分自身を、頭から否定されてしまった、そういうふうに思いました。
人と人との行き違いってそういうものなんですね。
忙しすぎるという事は怖いことだと思います。
母のそういう状況からくる少し極端な激しい態度はずっと変わりませんでした。
それでいろんな悲しいことが沢山起こってしまいました。
それを救うことができた人はいたのかもしれないけれど、母はそれにつながることができませんでした。
本当に残念です。
けれども私に夢を見る原因になった本というものを与えてくれたのも母です。
中学生位になってからは毎月詩と物語が描かれている雑誌をとってくれていました。
すばらしいイラストレーターの方が一般の方が応募した詩や物語に笑をつけてくれているのを見てされましたか、応募することが出来ませんでした。
それ以外のことで、深く悩むことが多すぎて余裕がなかったからです。
今考えてみるととてももったいなかったと思っています。
けれどもその雑誌に載っていた詩や物語のいくつかはまだ記憶しています。
そこに描かれていたイラストも一緒に。
そういう豊かなものを母は働いたお金の中から工面して私に与えてくれていました。
そのことが今の私を作ってくれています。
だから私は母に対して誠実でなくてはいけないと思います。
もっといろんなことをしてあげたかった。
けれどもできないまま時間が過ぎてしまいました。
とても辛いです。
それでもやっぱり私自身は、前を向いていきたいと思っています。
私は本当の意味で初めて自分を生きようとしているのかもしれません。
がんばらないと。
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。