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からだのかたち からだのこえ

【あらすじ】
 宮森夏希は母を亡くす。
 その頃仕事のストレスで増えてしまった体重を減らすことに挑戦し始める。
 それは母が生前「『しあわせ』になってほしい」といったことにも起因しているが、それ以上に夏希のからだの内側から湧き出してきた『変わりたい』という声に従ったためだった。
 夏希はその減量に成功するが、心は満たされないままだった。
 病気の母を亡くした夏希は『しあわせ』になれるのか?

 夏希の『しあわせ』とは如何に。

 夏希は心の声に従って自分自身の生き方を見直して変えていく。

 それは両親を亡くして一人ぼっちになってしまった夏希のこれからをどんなふうに変えていくのか。

 宮森夏希という人の自立への物語です。





 食べないと死んでしまう。
 けど、食べ過ぎても、からだは壊れる。

 中庸が良いに決まってはいるけど、意外とそれは難しい。
 宙ぶらりんな気分でいると余計にそれは難しい。
 生活がしっかりとして地に足がついている時は意外ときちんとできるものだ。だから太っていることをだらしないと感じる人がいるのかも知れない。ちゃんと働き続けていても太っている人はいる。地道に生きていても、太ってしまう人もいる。痩せていることが必ずしもいいこととも思えない。

 私もそう考えていた。
 だから自分が二年ほどで人生で一番くらい太ってしまった時も、そのことを深刻に考えることはあまりなかった。

 その頃別の悩みがあって頭の中がぎゅうぎゅう詰めで、自分が太っていることを気にする余裕がなかったので太ることに歯止めが利かなくなっていたのかも知れない。私はその頃人生で一番太っていたような気がする。そして太り続けていた。どうすることもできないままに。


 私はある日突然、痩せようと決めた。
 その決意は堅く、強く、ゆるぎないものだった。

 まず、パンと麺を食べるのを止めた。
 そして歩いた。
 きりなく歩いた。

 暑い日も寒い日も、風の日も雨の日も。

 とにかく沢山、どんどん歩いた。
 その間、頭の中で繰り返し、子どもの頃に読んでいた物語を思い出していた。可愛いお話だった。迷い込んできた女の子がお姫様なのかどうかを確かめるために何枚も何枚も重ねた敷布団の下に豆粒を置いておくという物語。
私はその物語の本を繰り返し繰り返し何回も読んでいたような気がする。私の子どもの頃なんてそれくらいしかすることがなかったから。だから。

 物語の中のお姫様は、何枚もの敷布団の下にあった豆粒が気になって眠れなかったと翌朝言って、お城に帰っていくのだけれど、今考えるとよくわからないお話のようにも思えてしまう。お城の外を彷徨ってへとへとなのに眠れないとは?それよりも本当は、知らないおうちで眠ることが怖かった、という方がまだ今の私には納得できる理由のような気がする。それとも彼女いは本当に、恐怖の気持ちで目が冴えて眠れぬ夜を過ごすうちにふかふかの敷布団の下の豆粒に気がついたんだろうか?損のことあるわけがないような気もするけれど、事実は小説より奇なり、という言葉のように本当に気づいたのかも知れない。

 どうしてその物語が歩いていた私の頭の中に浮かんできたのかなんてわからないけれど、とにかくその頃の私の頭の中はその物語に占領されてそのことばかり考えていた。

 そうしているうちに空を見上げることが習慣になった。
 朝起きた時、外に出る前、ついつい空を見上げてしまう。
 選択は晴れた日にまとめてするようにしていたから、曇りの日や雨の日はただほかの火事に集中していればよかった。買い物も晴れた日にまとめるようにしていたので問題はなかった。

 けれども今はどんなお天気の日でも外に出る。だからまず空を見てきていく服や傘やカッパや、陽射しの強い日は日傘や帽子の準備をしなければならない。ストールや、日焼け予防の腕カバーも必要になることもあった。日焼け止めを塗る必要も。

 私は天気予報だけではなく、その日の朝の空模様を気にするようになった。空の色や雲のかたちや、風の向き、風の強さ。そういうものを毎日気にしているうちに、なんとなくその日その日の天気の移り変わりや気温の変わり方を予測できるようになっていった。

 そして天気には流れというかつながりがあるんだということに気づけるようになっていった。雨の降る前に雲が集まってくる時の不穏な感じ、その雨が止んだ後に風が吹くこと、その風が止んだ後のしんとした静かさを自分がとても好きだということ、仕事をやめて家にいるようになってから私は自分が自然の中の一員なのだということをそれまでよりも強く感じるようになった気がする。

 特別に田舎と言われるような地域に住んでいる訳ではないけれど、それでも、例え都市部に住んでいても、自分も自分の周りの人も気象現象という自然の中に住んでいる小さな小さな存在なんだということを意識せずにはいられなかった。痩せるために外を歩きだしてからその気持ちは私の中で大きく大きく膨らんでいった。その気持ちが膨らんでいくのと同時に、私は少しずつ痩せて体の重みは減っていった。

 一番太っていた頃は靴下を履きにくくなってもいたような気もする。
 そのくらい私の体は脂肪をつけてまんまるになっていた。
 確実に動きにくくなっていたし、実際あまり動いてはいなかったような気がする。このままではいけない。そう思いながら、なんとなく日々は過ぎて行った。日常なんて大体はそんなものなのかも知れない。

 そんな日常を変えようと思ったのは自分自身の内側から『変わりたい』という声が聞こえたことがきっかけだった。

 『変わりたい』
 その声は私の意識を覚醒させた。
 今まで薄目で見ていた景色をぱっちりと両目を広げてありありと現実を直視させたのだ。

 私はまず、体重計に乗った。
 65.0㎏
 体重計のデジタルの表示に現れた数字を見て私は愕然とした。
 こんな数字、初めてだった。
 これまでの測定でこの数字を見たことは一度もない。これに近い数字を目にしたこともない。私は以前の測定で見た数字より15以上も増えている数字に驚愕しうろたえた。そしてそのショックを自分のこれからの減量への決意の理由の一つにすることを心に誓った。

 『変わりたい』
 自分自身の内側から湧き出してきた声に従い、私は体重を減らすべく、すべての生活を減量、ダイエットに向けていった。

 前述のように食べるものを変えた。
 炭水化物を減らして、こんにゃくや野菜を食べた。
 そして歩いた。
 とにかく歩いた。
 どんな日も休まずに外に出て歩き続けた。

 単純にそれだけだった。

 体重が確実に減っている実感はなかった。
 けれども最初は苦痛だったウォーキングはだんだん楽しみになってゆき、歩かないといられない、というところまで私は次第に変わっていった。歩くのが楽しいというところまで私は変わった。体がそれを求めていたのだ。

 無我夢中だった。
 焦りではなく、怒りでもなく、ただ淡々と歩く日々。
 私の体は変わっていった。
 少しづつ、少しづつ。


 でも、だけど、私はそのことに気がつくことができないでいた。
 鏡に映る自分の顔はふっくらとしていて、引き締まっているようには全く見えなかったのだ。

 だからある日体重計に乗った時、50.6㎏の数字を見て驚いた。
 
 「痩せてたんだ」
 ・・・それもこんなに。

 考えてみればボトムスがゆるゆるになっていて、ベルトの穴の位置がどんどん変わっては来ていたのだけれど、それでも毎日見ている鏡の中の自分の顔は全然変わっていないようにしか見えなかったし、痩せているという実感は全然なかったのであった。

 ほんとに?
 本当に自分はちゃんと痩せているのか。

 体重計のデジタル表示は確実に50.6という数字を出していたのだ。
 何回も乗ったり下りたりしたけれど、同じ数字が表示された。
 
 ほんとなんだ。
 本当にこの数字、今の私の体重なんだ。
 
 そう思えた時、からだから力が抜けて宙に浮いているような錯覚に襲われた。
 
 「痩せたんだ、私」
 なんだか不思議な気持ちだった。
 嬉しいというよりもどうしたらいいのかよくわからない、という方があっているような気がして呆然としてしまった。

 目標の体重があったわけではなかった。
 その体重になったら何をしよう、なんてことも決めたりしてはいなかった。
 ただただ『変わりたい』という漠然とした言葉に動かされて私はダイエットを始めた。そして多分、変わったのだ。65.0㎏の自分から、50.6㎏の自分に。

 確かに体は痩せていた。何よりも首元がすっきりとしたような気がする。

 なのだけど、そうなのだけれど、自分自身が変わったとはなぜだかどうしても実感することができなかった。

 『変わって、いない』
 それが私の正直なほんとの心の声だった。
 それは何というか、ささやかな悲しみとショックを伴う感覚だった。

 それでも私は確実に痩せていた。
 それは私の生活感覚を変えた。
 行動するのが楽になった。軽やかに動ける。
 でもそんなに嬉しいと感じはしなかった。
 自分が変わることができたとは、どうしても思えなかったからだった。

 
 『変わりたい』
 その声はもうどこからも聞こえてはこないけど、私の心はすっきりしない。
 私自身の実感では何一つ変わってはいないのだ。
 ただ以前よりも痩せた自分のからだがあるというだけだった。

 それは確かに悪いものではなかったけれど、自分自身が用法に変われたとは思えなかった。
 自分は何も変わっていない。
 私自身の中心は確実にそう思っている。

 変わりたい。
 変わりたい。
 変わりたい。
 変わりたい。
 変わりたい。
 ・・・・・。
 ・・・・・。
 ・・・・・。
 ・・・・・。


 私の内側からの声は、私に向かって言い続けているように私には思えた。
 聞こえてくることはなくても、その声は消えてくれない。

 14.4㎏、私は体重を落とした。
 からだは柔軟に曲がり、立ち上がる時も動き出す時も軽やかになった。
 だけど違う。
 変われてはいない。
 私は変われていないのだ。
 私が変わるということは、痩せることではなかったのだ。
 あんなに毎日たくさん歩いた努力を思うとくらくらする。
 健康のことを考えても、美容のことを考えても、痩せてよかったに決まっているのに、そんなに嬉しい気持ちになれない。『変わりたい』という声がほんとに求めているのはどんな変化なのだろう?私はそれを考えてじりじりとし続けていた。


 痩せてよかったと思ういくつかの事柄の中に背筋が伸びたというものがある。太っていた時私のからだは何故だかいつもおかしな姿勢で固まっていたような気がして、自分の体にいつも説明できない類の違和感があった。でも痩せた時、その違和感はいつの間にかなくなって、からだを動かすのが楽になったような気がする。立っている時も歩いている時も、自然に姿勢がよくなっていく。特別意識していなくても。不思議なのだけれど。

 そして呼吸が深くなったような気もする。
 これも自然に。
 特別意識しなくても。

 いいことも確実にあった。
 あったのだけれど、本当に『変わりたい』という声の望む変化は出来ていない気がして私はとても辛かった。『変わりたい』という声は、私自身の奥の奥から湧き出してきたもので、だからこそその声に従って変わらなければいけないと強く強く感じたのだ。

 『変わりたい』
 声は確かにそう言った。
 私、変わりたがっているんだ。


 毎日の生活のどうにもならない重荷のようなものの中で私は生きてる。
 ほかの人がどんななのかなんて私にはわからない。
 私にわかっているのはただ、自分の置かれた立場だけ。

 その立場から抜け出して、なんて想像しては見るものの、実際はなかなかうまくなんていかない。そこにいる自分を受け入れて生きていくしかないんだ。多分私はきっと。


 私は今年一人になった。
 ずっと一緒に暮らしていた母が病気になって亡くなったのだ。
 長い入院生活だった。
 母のこと、まだ、心が痛くて振り返れない。

 母の最期も心の中でそっと封印しているぐらい。
 痛いんだ、心が。
 悲しいと意識する余裕もないまま向こう側に逝ってしまった。
 人が向こう側に逝く時、その周辺にいる人がゆっくりなんてしてられないことを身をもって知った。大変だった。本当に。

 母の入院生活が始まってから私はすごい勢いで太ってしまった。
 普通逆でしょ。
 そう言われそうなものだけど、私は太った。
 ものすごい勢いで太った。

 その頃私はストレス過多で、気がつくと何かを口に運んでいた。
 

 母の病気が発覚して入院することになった時、最初はそれほどその状況を重たくは考えていなかった。
 「ちょっと行ってくる」
 そんな軽い感じで母は自分で用意した荷物を持って病院に向かって行った。
 「うん、わかった!」
 私は軽く受け止めていた。母がそんなに重い病気になっているなんて知らなかった。
 それと同時に、自分自身の仕事がとても忙しい時期だった。
 休むことなんてできないし、残業に次ぐ残業だった。
 私が仕事を始めてから一番忙しかったのだ。

 職場の中心で働いていた二人の先輩がほとんど同時に出産することになった。そのご主人方二人とも同じ職場。それも一年で一番忙しい時期と重なっていて、普通だったら、え?どういうこと?!ってなりそうなものなんだけど、どちらのご夫婦もとても素敵なお人柄で、しかも私が仕事を始めた時から徹底的にお世話になり続けていた人達だった。そしてどちらのご夫婦も長年の妊活の末のやっとやっとのご懐妊だったのだから、文句なんて言える訳がない。

 私はとにかく仕事にまい進するしかなかった。
 母は数か月で退院できるものなのだと信じて疑いもしなかった。

 でも。
 実際は違っていた。

 そのことが分かったのは仕事を手伝ってくれるアルバイトの人達が仕事に慣れてくれたおかげで週に一日仕事が休める状態になった頃だった。
 それまではどうしても仕方なく、土日も出社していた。半ドンで帰れる時もあったけど、たまった家事(洗濯や掃除、少量品の買い出し等)を片づけたり、たまった疲れをいやすために眠ったりして過ごした。

 母の洗濯物は、仕事終わりに洗ったものを届けて、洗うものを回収してきていた。面会時間には間に合わなかったけれど、事情を知ってる看護師さんに協力してもらってどうにかしのいだ。それ以外どうすることもできなかったので仕方がなかった。

 看護師さんたちはとても優しかった。
 私と母が二人きりの家族だと知っていたからかも知れない。
 だから私に母のことを言わないでいてくれたんだろうか?
 私にはわからない。

 仕事を丸々一日休める日があるようになってからは、母の病院に必ず面会に行くようにした。母は戸ても喜んで私が行くとずっとにこにこしながらいろんなことを話してくれた。私はそれが嬉しくて毎回何か可愛い花を携えていった。

 チューリップ、ガーベラ、カスミソウ、スイートピー、菜の花、カラー、カーネーション。

 わかりやすくて可愛らしくて母が好きな花を一種類だけ毎回買って、母の病院に置いてある瑠璃色の花瓶にたっぷりと水を汲んで花を生けてあげた。

 そのたびに母はとても嬉しそうに笑って、「ありがとう」って言ってくれた。ずっと前に亡くなってしまった父が母の誕生日にプレゼントした瑠璃色の花瓶は美しいフォルムで陽に映えて美しかった。

 その花瓶に合いそうな花を選ぶ時私の心は少しだけときめいてきらきらと輝いていたような気がする。

 毎週毎週母のからだが痩せて小さくなっていっていることにどうして気づけなかったのか私にはわからない。私が面会に行った時の母があまりにも嬉しそうでいつでも笑顔だったから、なのかも知れない。

 でも本当は無意識にそのことに気がついていたのかも知れない。
 あんなにいつでも何かしら食べていないといられなくなってしまったのは、仕事が忙しいことへのストレスだけではなくて母の病状がよくないことに無意識に気がついてしまっていたからなのかも知れない。

 バナナ、オレンジ、グレープフルーツ、イチゴ、パイン。
 仕事の休憩時間に食べるお昼ご飯の最後には必ずフルーツを食べた。
 それ以外にも、仕事の途中の短い休憩にはミックスナッツをポリポリ食べた。帰りの電車に乗り込む前にあったかいタイ焼きか焼き芋かお団子を必ず一つは買い込んでほおばって歩いた。そのうちチョコレートも通勤するとき使っているトートバッグに常備し始めてしまった。グミキャンディーものど飴も、何かしら甘いものが手の届くところに準備されている状況だった。

 心が『さみしい』と悲鳴を上げだし始める前に、私は何かを口の中に入れた。それは入院している母への心配や、どんなに頑張っても片づききらない会社の仕事や、少ない休みに片づける洗濯物や回収日に向けてごみをまとめ上げる作業や、少ない時間で一週間分ささっと済ませなくてはならない買い物の作業や(閉店間際のスーパーマーケットに駆け込んで残っているものを買い込むこともあったが、それだけでは間に合わないので)、時間の余裕がないことや、そういういくつものストレスもその要因ではあったと思うが、それとは全く別に、心が悲鳴を上げていることに私は気づけずにいた気がする。
 もしかしたら今もまだ?

 そう思うけどとりあえず、いつも何かを口にするようになった私は自覚なく、でも確実に体重を増やしていった。頬の肉づきはよくなり、腿はむっちりとし、ボトムスのウエストはきつくなり、パンプスもきつくなり、ブラウスの第一ボタンが留められなくなってしまった。

 そうして確実に太っていったのだけれど、仕事が忙しく休みも動き続けるしかなく、職場では頼れる人がいなくなり、責任が重くなり、充実はしていても気を緩めることがほとんどできず、私は自分の体形や体重よりも気にかけなくてはいけないことに囲まれてうずもれていて、とにかくその場その場を何とか片づけて駆け抜けるようにその時期を過ごしてしまった。

 唯一息が抜けるのは、病院にいる母のところに面会に行く前に花屋によって母に届ける花を選んでいる時ぐらいのものだった。

 季節によって花屋に並ぶ花の種類が変わってゆくのも嬉しかった。
 会社と家の往復でいっぱいいっぱいの生活だったので、季節の移り変わりなんて普段は忘れ切っていたから。

 冬の花から春の花。
 春の花から夏の花。
 夏の花から秋の花。
 秋の花から冬の花。

 花屋で花を選んでいる時だけ私は自分を取り戻せるような気がして、息抜きというよりも深呼吸しているような気がしてほっとしていた。

 花屋はいつもきれいに片づけられ、清潔に掃除が行き届いていて、特別な空間という感じがしていた。

 透明なガラスのケースの中の水鉢に入れられた高級な花も素敵だけれど、透明なセロファンにくるまれた日常使いの新鮮な花も本当いに素敵だった。

 清潔な印象の優しい香りを放ちながら、花々は凛としていた。

 私は母の好きそうな花をゆっくりと物色しながら花の香りを楽しんだ。

 そういえば小さな子供の頃一度、『大きくなったらお花屋さんになりたい』と言って母と笑った思い出がある。母はとても花の好きな人だったので、とても喜んでくれた。そして二人で家にあった花の図鑑をめくりながらいろんな花の名前を覚えた。分厚くて重たくて幼かった私には一人では持てなかった図鑑。その頃の思い出は私にとって本当にかけがえのないものだった。

 その後私が中学生になった頃、父が病気になって亡くなって、母はすぐ働きに出た。
 私は思春期の入り口を両親と分かち合えずにおとなしく過ごした記憶しかない。反抗期もあったのかなかったのかよくわからない感じだった。

 父はとても優しい人で母にもとても優しかった。
 母の病室に置かれている瑠璃色の花瓶は、結婚10年目のお祝いに母が父からもらったものだ。

 バッグでもなく靴でもなくアクセサリーでもなく、母が父にねだったのはこの瑠璃色の花瓶だった。

 商店街の中にある古物店の店先で見つけてからずっと欲しかったのだと言ってこの花瓶を買ってもらったのだという。
「特別な時にしか使わないバッグやアクセサリーではなくて、日々家に飾るお花の器が素敵なものだったら、毎日豊かな気持ちになれる。パパも夏希も私もみんな美しいものを見て暮らせる。そう思ってお願いしたの」

 母はいつだか静かな声で私にそう話してくれたことがある。
 そういえば、母は病院に入院する時、この花瓶を自分で持ち込んで、ベッドのわきのテーブルの上に置いていた。今考えてみれば母はこうなることを最初から予測していたのかも知れない。そう考えると涙が出る。どうして話してくれなかったの?母が亡くなってから私は何度もそう言って泣いた気がする。一人になってしまったことより、生きているうちにもっともっとしてあげられることがあったのではないのだろうか?と考えて後悔の気持ちに襲われてしまうのだ。

 会社が休みだったその日、いつものように洗濯が済んだパジャマやタオルの入った大きなバッグを持って私は母のいる病院に向かって行った。

 ふんわりときれいに洗われた洗濯物からは、洗剤のほのかな優しい香りと日向の匂いの残り香がほんのりと漂っていて私の心は癒された。

 そしていつもの花屋に寄って、母に生けてあげるお花をいつものように捜した。

 どの花も美しくていつも迷ってしまうのだが、その日はすぐにこれだと決めた。薄桃色の金魚草だった。

「可愛い」
 思わずそう呟いてしまうほど、その花は可憐だった。
 そして小さなベルのような形の一つ一つの花からは、可愛らしい澄んだ音色のベルの音が聞こえてきそうな感じがした。私はすぐにそれを選んでレジの方に持って行った。

 いつもの花屋のお店の人が透明なセロファンの上に白い薄紙を掛けてくれた。陽に当たると花が弱るかもしれないと、いつでもこうしてくれるのだった。私は花の代金を払って、お礼を言って店を出た。

 よく晴れた日曜日、心地よく風が吹き小鳥が遠くで鳴いていた。
 私は風に吹かれながら母のいる病院に向かって歩いた。買ってきた金魚草はしおらしくセロファンと薄紙にくるまれて可愛らしい姿で私に抱かれている。母のパジャマやタオルの入ったバッグを肩にかけて歩きながら、私は肉づきの良くなってきた自分の体を見つめ直した。

 今のままの食生活ではこの先からだに良くないだろうから、少し気をつけた方がいいのかも知れない。
 そう考えることができたのは、今の生活に少しずつ慣れてきて、今までは意識を向けられなかったことに気づける余裕ができたからのような気がした。私が着られる服のサイズは確実に大きくなってしまっていて、以前着ていた服たちはクローゼットにしまわれたままになっていた。

 そして仕事の合間の少ない時間で慌てて選んで購入した今のサイズの服は、間に合わせと書かれた大きなタグをぶら下げているような適当なものばかりだった。そのことが、辛いことばかりに囲まれている今の私の気持ちを余計に辛くさせていることもちゃんとわかっているのだけれど、あわただし過ぎる今の私にはどうすることもできなくて諦めるしかない状況だった。

 苦しかった。だけれども、どうすることもできなかった。

 母が元気だった頃はこんなことなかったと思うとなんだか悲しくなった。

 私、しあわせだったんだ。
 そう考えた時、ちょっとだけ衝撃が走った。
 今までそんなこと考えもしなかったと、その時初めて気がついたのだ。
 しあわせとも不幸せとも自分のことを考えたことがなかった。
 父が亡くなった時も私は自分を不幸せだとは思わなかった。
 母といる時間が減ってさみしいとは思ったけれど、不幸せではなかった。
 父がいないことをさみしいとは思っていたけれど、そのことを不幸せだと感じたこともなかった。
 私は今まで自分のことを不幸せだと思わなかった。
 そのことに気づくこともなく暮らしていた。
 私はしあわせだったのだ。

 そして今、私は初めてそのしあわせを失うような予感がして怯えていた。
 私はこれから本当の試練を迎えていくのだという気持ちがじわじわと湧いてきて怖かった。私にとっての母の存在の大きさを自覚して打ちのめされてしまったような気分になって怖かった。不安だった。

 その不安を打ち消してくれるものを何一つ見つけることができなくて私は更に不安になった。泣き出したいような気分だった。

 金魚草のほのかな香りも私を慰めてはくれない。
 このままの気分で病院に行くなんて考えられないような気がした。
 
 でもいかなければ。
 母にふかふかのパジャマとタオルを持っていてあげなければ、そしてこの可憐な薄桃色の金魚草をあの瑠璃色の花瓶にたっぷり水を入れていけてあげなければならない。そう気を取り直して、私は病院に向かった。

 病院で、母はいつものように静かにベッドに横になって私のことを待っていてくれた。入院した頃よりもかなり痩せてしまっていたけれど、母の目はしっかりとした強い力を保っていた。私に向ける母の視線は優しさと私への慈しみの心に満ちていて、私は母を本当にとても好きだと今日も思った。

「今日は金魚草だよ」
 白い薄紙にくるまれた薄桃色の花を見せると母はそっと微笑んだ。
 柔らかな笑顔だった。
 私は洗った洗濯物を母のロッカーにしまって、瑠璃色の花瓶を持って給湯室に向かった。

 花瓶の中には先週私が花屋で買ってきた花はもう刺さってはいなかった。
 しおれてしまった花を飾って置くのは悲しい感じがするから、片づけてもらっている。私は花瓶を丁寧に洗って、たっぷりと水を汲み入れ、金魚草の茎の先を水切りして花瓶に生けた。

 薄桃色の金魚草は可愛らしいフリルを寄せた小さな花をいくつもつけた茎をしゃんとさせて花瓶の中に生けられている。お話を聞いてほしくて母親にまとわりついている幼い女の子みたいだ。
 何故だかそんな風に思った。

 私がその花瓶を母の寝ているベッドのわきのテーブルにそっと置くと、
「小さい頃のあなたみたいね」と言ったので、私はとても驚いた。

「それと同じようなことを私もさっき考えてたの。すごく不思議」
 私がすぐにそういうと、母は、
「嬉しい。夏希とおんなじこと考えていたなんて、私、きっと元気になれるね」
「うん、そうだよ。安心してね」
 私はそう言い返したけれど、心の中はさっきの不安な思いがまた浮かんできて泣きたいような気分だった。母の様子はどう考えても入院した頃と比べて弱っていっているようにしか見えなかったからだった。

 そして私は自分自身がそんなに強くないことをはっきりと自覚していた。w足しが今まで普通に暮らしてくることができたのは母がいてくれたからだった。今この病気ではなくても普通の順番でいったら、母はいつか必ず私よりも先に向こう側に逝ってしまう。私はその時一人になる。本当の一人になる。その時私、本当の不幸をしるのかも知れない。

 そう思ったら思わず涙が流れてしまって私はすごくうろたえた。

 その様子を見ていた母は静かな声でこう言った。
「ありがとう。私、あなたがいてくれたからいつだってしあわせだった。本当にありがとう」
「え?」
「私ね、パパが死んでしまった時もう駄目かも、って思ったの。怖かった、これからどうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまって。でもね、その時に私にはあなたがいてくれた。どんなものより大切な、かけがえのないあなたが」
 そこまで言うと母は少し話すのをやめていき次のようなことをした。
「本当に苦しかった。仕事もなかなかうまくなんていかなかったし、憶病な自分を支えてくれる人も物も何にもなくて怖かった。だけどね、あなたがいてくれた。私には守らなければならない大切なものがある。そのことが私を前に進めてくれた。私はあなたを守るために頑張るしかなかった。だから生きてくることができたの。本当にありがとう」
「ママ」
 私はまた泣いてしまった。
 弱っている母の前で泣くなんていけないと思うのに、涙はどんどん零れだして止まってなんてくれなかった。

 
「私、弱い人間よ。一人でなんて生きていけない。もしもパパに出会っていなかったら、そしてあなたがいなかったら、今まで生きてくることなんてできなかったかも知れない。本当にそう思うの。だからあなたには絶対にしあわせになって欲しくて、そのために頑張ってきました。私が頑張ることができていたのは全部あなたのおかげだわ。私本当にしあわせだったの。それはあなたとパパがいてくれたからよ。感謝してるわ」

 そう言って母は私の涙を柔らかなタオルで優しく丁寧に拭い取ってくれた。私は母の優しさに心が緩んで尚更に泣いてしまった。自分でも驚くくらい私は止めどなく泣いた。

 母は私の頬をタオルで拭いてくれ、私の頭を抱きしめた。
「ありがとう。毎日大変なのにこうしてあなたはここにきてくれる。ふかふかのタオルとパジャマと新鮮できれいな花を持ってきてくれる。私ほんとにしあわせよ。ありがとう。本当に」そう言って抱きしめている私の頭をそっと撫でて優しい優しい表情をした。それを見て私は更にまた泣いてしまった。本当に駄目な娘だ。

「私に魔法の力があったらあなたにあげたいものがあるの。でも私ただの人間だからそんなことできないな。残念だわ」母はそう言うと、「ちょっと寝るね」と言って横になった。疲れさせてしまったんだろうか?そう思って不安になったけれど、目を閉じて柔らかな寝息を立て始めた母の寝顔は安らかでちょっとだけ微笑んでいるようにも見えたのでちょっとだけほっとした。
 
 その安らかな母の寝顔を見ているうちに私も眠くなってしまって、母の横に頭を置いて眠り込んでしまった。そして揺り起こされた。

 面会時間もうすぐ終わりですよ。
 看護師さんに揺り起こされて私は我に返った。
 
 今日の私は最悪だった。
 母の前で泣いてしまった。
 そして居眠りも。 
 ものすごく恥ずかしかった。

 私が慌てて洗濯しないといけないものを大きなバッグに試編みながら恥ずかしそうにしていたら、起こしてくれた看護師さんがそっと慰めてくれた。
「いつもご苦労様です。本当に偉いなってみんな言ってるんですよ。そして心配もしてるの。だからいいんですよ。もっと楽にしても。無理は続かないからね」そう言って彼女は部屋から出て行った。私はそそくさと身じまいをして、母に「またね」と言って病室を出た。

 外には真っ赤な夕焼けがどこまでも広がっていて、私はその真っ赤な空の下をゆっくりと歩いた。いつもよりも時間をかけて私は自分の家に戻った。
そして湯船にたっぷりとあたたかいお湯を張ってゆっくりとお湯に浸かってからだを伸ばして息を吐き、そしてゆっくりと息を吸った。

 自覚なく歪んで固まっていたからだが、緩んで伸びて柔軟性を取り戻してゆく。

 泣いてしまった自分のことを責めないでいられたのは、母と看護師さんの優しさだと感じて私は二人に感謝して久しぶりに時間をかけてゆっくりとお風呂に入るのを楽しんだ。からだが緩んで柔くなり、温まり、息が深くなった。

 その夜私は夢も見ないでぐっすりと眠った。
 次の日、泣いて腫れていた顔は何事もなかったようにすっきりとしていた。


 それから私の日常が大きく変わることはなかった。
 けれどもかなり旺盛だった食欲は少しずつ落ち着いていったような気がする。

 仕事は前と変わらずにとても忙しかった。
 からだもそのままふっくらとしていて以前のようには戻らなかった。
 
 私はバタバタと日々を暮らし、間に合わせで買った適当な服を着て、働いたり、母の元に通ったりしている。

 でも休みなく何かを口に運ぶことからは解放されることができた。
 通勤用のバッグの中に常備していたチョコレートやグミキャンディーや飴玉やミックスナッツを買うこともなくなった。その代わり、私は自分の家のベランダにミニバラの鉢植えを置くようになった。

 小さな黒いビニールポットに入っていた時、ミニバラの苗は堅い蕾しかついていなくて、売っていた花屋のおじさんもどんな色の花が咲くのかわからない状態だった。

 200円という価格に魅かれて私はそれをすぐに買うことにした。
 ずっと前にほかの何かが植わっていた鉢が物入れの奥にあったので、すぐそれに植え替えてたっぷりと水を与えて住んでいる部屋のベランダの一番よく日の当たる場所に置いてみた。

 毎朝仕事に出る前に私はその鉢植えにたっぷりと水を与えた。
 濃い緑色のミニバラの葉が水を弾いてその粒が朝日を弾いて光るのを見て、自分の心が拓いてゆくのを静かに感じて嬉しくなった。ミニバラの固い蕾が少しずつ膨らんでいくのを見るとその蕾が花開く日が楽しみで、心が柔く温かくなっていくのを強く感じた。

 小さな小さな鉢植えは、ささやかな希望になって私の心を支えてくれた。
 どんな色の花が咲くんだろう?
 固くて小さかった蕾が少しずつ膨らんでいくのを私はそっと見守った。
 私がかけた水のしずくがミニバラの葉の上で光っているのを見ると私の心もきらきらとしたみずみずしい光の粒が自分自身の内側にまとえたような気がしてとても嬉しかった。生きている。本当にささやかなことなのだけれど、生き生きとした植物を身近に置いておくことの喜びを私は初めて実感した。小さなビニールポットに窮屈に押し込められていた苗を素焼きの少し大きめの鉢にふかふかの新しい園芸用の土をたっぷりと入れて植え替えた時、なんだかとても嬉しかった。解放してあげられた。そんな気がして。
 最初、ミニバラの小さな苗は大きな鉢の真ん中で少し所在なさげにしていたのだけれど、時間とともに葉や茎をのびのびと広げて陽の光を取り込んで美しい花を咲かせようと懸命に生きている。

 私はその姿に励まされて日々の仕事を頑張ろうと思うことができた。
 母を支える苦しさだけに向き合うことからも救ってくれた。

 私は毎朝スマートフォンでそのバラの写真を撮って花の咲く日を待ちわびた。母に会いに行った時見せてあげよう。そう考えて丁寧に苗の写真を撮り続けた。


 次の日曜、私はいつものように洗濯を終えたパジャマやタオルをバッグに入れて花屋に行って花を買い、母の入院している病院に向かった。

 よく晴れた気持ちのいい天気の日曜だった。

 今日の花は明るいブルーのよくわからない名前の花。
 先週ピンクの花にしたので今週はブルーの花にしてみた。
 花瓶と似たような色だとがっかりされてしまうだろうか?
 一瞬そう思ったけれど、とてもきれいな花だったので大丈夫なような気がした。そして訳もなく来週は黄色の花にしようと決めた。ちょうどよく母の好きそうな黄色い花が買えるのかもわからないのにそう決めてしまった。
 なかなか退院できなくてしゅんとしている母のところに毎週花を届けることで私は自分を救っていたのかも知れない。新鮮な切り花は内から明るい光を放って母と私を照らしてくれた。私と母は毎週、その光に励まされて心許ないこれからをそっとかくして笑い合う。優しい時間がそこにはあった。

「今週は青い花にしたよ」
 そういって花の包みを母に見せると、母は静かににっこり笑った。

「きれいね」
 母の声はささやかで空気の中に溶けそうだった。
「気に入った?」
「うん。嬉しい」
「よかった。花瓶の色と同じに見えてつまらないと言われてしまったらどうしよう?って思ってたから」
「そんなことないよ。とてもきれい。涼やかで心地いい」
「そっか、ならいつかまた今度は薄いブルーの花もいいかもね」
「そうだね。きっときれいだね」
 母がそういてくれたから私はすごくほっとして給湯室に行く足取りが少しだけ軽くなった。一週間弱の間、母の枕元を飾ってくれる光の素をす多岐なものにしてあげたくて、花屋で花を選ぶ時私はとても真剣だった。私が会えない間の母が少しでもさみしくないように、心豊かでいられるように、自分にできるだけのことをして母に尽くしてあげたかった。

 こないだ泣いてしまった時に私は今までどれほどの沢山のものを母からもらっていたのかに気がついて愕然とした。母がその小さな体で存在で守り続けてくれたから私は今こうしてここにいるのだし、生きてくることができたのだ。その当たり前の日常を守るために母はどれだけ努力してくれたのだろう?
 その母に私が今してあげられることは、洗濯物を届けることと、花を買ってきてあげることだけだった。その花が母にとっていいものであって欲しい。どうしてもそう思ってしまう。

 給湯室で花瓶にたっぷり水を汲み、花の茎を水切りして私は花を花瓶に生けた。花の柔らかな雰囲気と佇まいは私の心をほっとさせてくれた。きっと今日も大丈夫。そんな言葉が零れ落ちる。私は小さく勢いをつけて母のいる病室に軽やかに向かった。

 ミニバラの苗の写真を表示したスマートフォンの画面を母に見せた。
 まだ花の咲いていないミニバラの苗の緑色の写真を眺めながら母は、「花が咲くのが楽しみね」と言って小さく笑った。ミニバラの花の蕾は毎日少しずつ、でも確実に膨らんでいるように見える。

「どんな色の花が咲くのかわからないの」
「じゃあ余計に楽しみじゃないの」
「うん。そうなの。すごく楽しみ」
 そういって微笑むと、母は苗を植え替えた鉢を見て、
「懐かしい」、とつぶやいた後で、「夏希、これ、覚えてる?」と私に訊ねた。
「ううん」と私が答えると、
「この鉢ね、パパが買ってくれたものなんだよ」
「え?そうなの?」
「うん。私のお腹の中にあなたがいた時、一度ね、流産しかかってしまったことがあって、その時ね、パパがこの鉢にいろんなお花の苗を植えて私にプレゼントしてくれたの」
「そうだったの」
「動いちゃいけない私のために私が好きな色の花の苗を寄せ植えにしてくれたんだけど、ぎゅうぎゅう詰めでお花の苗はすごく窮屈そうだった。だけどパパが私のために一生懸命作ってくれたものだったからそのままで置いてたの。それとやっぱり絶対に安静にしてなくちゃいけなくて植え替えができる状況じゃなかったから」
「そっか」
「ぎゅうぎゅう詰めに植えられていいた苗のこと、ずっと気になっていたんだけど言えなかったのにある日突然目覚めたらもう一つ同じかたちの鉢が出現してちょうどいい感じに植え替えられてたの。どうしてだと思う?」
「え?どうしてなんだろう。わからない」正直にそういうと、
「私がね、寝言でお花が枯れちゃうかも、って言い続けていたんだって。それでパパ、もう一つ新しい鉢を買ってきて苗を植え替えてくれたみたいなの。優しい人だった」そう言いながら母はとても優しい表情を浮かべた。その話、初めてだった。今まで聞いたことのない私がまだ生まれる前の母と父のエピソード。
「そんなことがあったんだ」
「うん、そうなの。もう一つの鉢はね、なんかの時にパパが割っちゃったんだけど、こっちは割れずに残ってくれたから大切にとって置いたの」
「ごめん、そんなこと知らなくて、別のに植え替えた方がいい?」
「ううん。いいのよ。パパのことを思い出せたし、あなたが生まれる前のことも思い出すことができたんだもの。それにこの鉢もきっとあなたの役に立てて喜んでいるわ。だからいいのよ」
 そう言いながら母はスマートフォンの画像を見つめた。
 蕾のままのミニバラが朝の光に照らされて水を弾いて映っている。
「買ってきた時あんまり窮屈そうだったから、大きな鉢に早く移してあげたいと思ったの。入ってたビニールポットの中は真っ白な根っこでぎゅうぎゅう詰めだった。新しい培養土を入れた鉢にそのままそっと入れて、周りに土をかぶせてあげて水をかけてあげたの。そしてベランダの一番よく日の当たる場所に置いてあげたらね、枝や葉がどんどん広がっていって、こんな風に変わったの。すごいって思った。ほんとに」
「ふふっ、楽しそう」
「そうかな?」
「そうだよ」
「ごめんね」
「どうして?」
「だってママ、ここにいるのに」
「そうだね。楽しくはないけど、しょうがない。こんな時もあるよ」
「いや、でも、」
「夏希のおかげでなんとかなってる。本当にありがとう。大変な思いさせて悪いなってずっと思っているの。だからあなたが嬉しそうだとなんだかね、嬉しいの。いいことあってよかったね」
「ありがとう。でも、ママのことちゃんと考えてるからね。いつも考えてるからね」
「ありがとう。でも、息抜かないと駄目だよ。全部が嫌になっちゃうよ」
「そうかな?」
「そうだよ。パパの時、そうだったもん」
「え?そうなの?」
「そうだよ。もしもその時夏希がいてくれなかったら、どうなってたかわからない」
「そうなんだ」
「パパのこと、ほんとにとても好きだったから余計にすごく苦しかったのかも知れない。苦しかったよ。ものすごく」
「そうなんだ」
「本当に、夏希がいてくれたから私、何とか持ちこたえられたの。弱っていくばかりのパパだけに向き合っていたら私はきっと壊れてた。あなたはね、命のかたちそのものだった。眠っている時でさえ生きる力に満ちていて、私の心を動かしてくれていた。私はあなたに救われたのよ」
「・・・」
「バラにお水をあげる時、どんな気持ちになる?」
「なんとなく、嬉しくなる」
「そうでしょう。子どもも花も生きてるだけで人に力をくれるのよ」
「そうなんだ」
「あなたは私に力をくれた。だから私、今まで生きてこられたの。感謝してる。だからね、絶対にしあわせになってね」
「え?無理だよ」
「どうして?私が病気になったから?」
「そんなことないけど」
「ではなぜ?」
 母の目は真剣だった。
 私は答えが見つけられずに口ごもったままでいるしか仕方がなかった。
 そんなこと、考えた事もなかったからだった。

 私は今まで殊更に自分のことをしあわせだとも不幸だとも考えたことがなかったのだ。こないだ泣いてしまった時に初めて自分が不幸になってしまいそうな気がして苦しい気持ちになったけど。
 だからそのことを正直に話してみようと思い伝えた。
 すると母は、「私たち、二人ともずっとしあわせだったんだね」と言って泣いた。
「全部パパのおかげだね」
「え?パパの?」
「パパがいなかったら夏希はいなかった。夏希がいなかったら、今の私は多分いない。全然違う人生を他の人と送ってた。私たち、パパがいたからここにいるのよ」
「そうだね」
「私たち、しあわせなんだね」
 私は母の言葉にすぐに答えることができなかった。
 でも自分を、不幸だと考えてはいないことは確実で、だからと言ってものすごくしあわせだとも思っていない。

 不満を言うよりとにかくいつもしなければbならないことが沢山あって、それを片づけているうちに今に至ってしまったというのが本当のところだ。

 でも母がいなくなり自分一人の生活が始まることを考えた時私は恐怖を感じていた。

 辛いとか、苦しいとかでは決してなくて、ただただ恐怖、その気持ちだけだった。

「私ね、一人ボッチになるのが怖い」
 私は母にそう言った。
「そう思った時に、今までの自分自身の生活がほんとにすごくしあわせだったとわかったの」
「そっか」
「ママにほんとに感謝ができた」
「はは、そんなのいいよ」
「いや、本当に」
「そうなんだ」
「何にもしてあげられなくてごめんね」
「そんなことないよ」
「私、わがままだった。ごめん」
「いいんだよ。みんなそんなもんだから」
「否定してくれないんだ」
「はは、いいんだよ。全然。私だってそんなもんだった気もする」
「そうなんだ」
「それよりも、夏希にはしあわせになってもらわないと」
「え?なにそれ」
「それが私のミッションだから」
「ミッション?」
「うん。インポッシブル」
「言うと思った」

 私たちは笑った。
 こんな風に笑うのって久しぶりかも知れない。
 
 母は少しづつ痩せて、小さくなっていっている。
 それとは逆に私はどんどん太ってしまって前の自分とは別人のようになってしまった。母が病気だというのに、そう思う人もいるかも知れない。でも私はあの頃食べていなかったら、私はきっとその日々を暮らすことができなかっただろう。絶え間なく何かを口に入れることで私は激務を乗り越えた。残ったものは過剰に太ってしまった自分だった。でも今はそれよりも病気の母に寄り添うことを優先させなければならない。母はもう以前のままの暮らしには戻れないかも知れない、そんな気がしてならなかったから。


 毎朝ベランダに出てミニバラの鉢に水をあげるようになってから私は早起きになった。そしたら自然に早く眠くなって、早寝早起きを実践できるようになれたのだ。

 以前は夜帰宅してから片づけていた洗濯や炊事や洗い物なども朝起きた時に片づけるようになった。だから閉店間際のスーパーマーケットやコンビニエンスストアーで買い込んできた弁当や総菜をいくつも食べる生活もし野くて済むようになった。朝hあきちんとご飯を炊いてみそ汁と納豆か卵。お昼ご飯のおにぎりも自分で作るようになった。

 忙しさにかまけて手を抜くしかなくなっていた家事を少しずつ自分でするようになると、生活は根本的に変わっていった。何か変わった気がすると職場の人に言われるようになった頃、ミニバラの花が開いた。

 花の色は明るいフューシャピンクだった。
 「可愛い」
 思わずそう言葉が漏れた。そして嬉しくて笑ってしまった。

 その花をスマートフォンのカメラで撮って何回も見直し、今度病院に行った時母に見せてあげようと思った。その時のことを考えて私の心は少し弾んだ。


 

 仕事の忙しさは段々と落ち着いていった。
 あわただしい気分は減っていき、私の異常な食欲は次第に治まっていったけど、それだけで痩せていくことはなかった。『変わりたい』という声は、その頃から聞こえ始めたような気がする。

 

 次の日曜日、私は母の病院に洗濯物と花を持っていつもと同じように出かけた。その日母に持って行ったのは薄いブルーのスイートピーだった。

「珍しい」
 その花を見た途端、私はそれが気になってすぐに購入した。
 涼やかな水色と柔らかなフォルム。白いかすみ草がそっと添えられていたのも好もしく思えた理由だったのかも知れない。

 その花は瑠璃色の花瓶にとてもぴったりで、母はとても喜んでくれた。
 そして私のスマートフォンでフューシャピンクのミニバラの画像を見て柔らかく微笑んだ。

「可愛いね」
「うん」
「嬉しかったでしょ」
「うん」
 あれからいくつも花が咲き、何枚もの写真を撮影したけれど、最初に咲いた花はほんとに格別に嬉しかった。咲ききっていない開きかけのミニバラの写真は可憐としか言えなかった。

 母はその花の写真をいとおしそうに見つめて言った。
「まるで今のあなたね」
「え?」
「あなたはこの花のようだと言ったのよ」
「でも、」
 私は口ごもった。

 私は今人生の中で一番太っている。
 確実に肥満体だ。
 母の入院といいきなり増えた会社の仕事のストレスをいつも何か口に入れて食べることで押しのけようとして異常なくらい太ってしまった。信じられないほどのすおtれすから少しずつ解放されてはいるけれど、一度増えてしまったからだの脂肪は簡単には落ちてくれない。

 短期間で太ったとはいえかなりボリュームのある体格は簡単に元には戻ってくれないだろう。私は急に悲しくなってうつむいてしまった。
 
 そんな私を見ていた母は私の両手を自分の両手でくるんで言った。
「大丈夫、必ず元に戻るから。そして前よりきれいになれる。必ずね」
「そうかな?」
「あなたの目、とてもきれいに澄んでいるわ。心がきれいになっている。だからきっと前よりもきれいなあなたになそうれるはず。必ずね。きっと、きっとよ」
「・・・」
「私が入院した最初の頃、仕事が忙しくて来られないあなたのことを心配してたの。心がね、壊れて荒んでしまわないかって。あなたはいつも時間外に私のために通ってくれた。申し訳ないって思ってた。少しして日曜日に来てくれるようになった時、からだがふっくらとしていて驚いた。あなたの体はどんどんふっくらと大きくなっていったから、そのことも心配だった。そしてこないだあなたは泣いた。私はそれで安心したの。だってあなたはきれいなままの優しい心のままだったから」
「そうかな?」
「そうよ」
「・・・」
「大変だったでしょう。本当にごめんね」
「そんなことないよ。私こそ何にもしてあげられなくて本当にごめんね」
「毎週来てくれてるじゃない」
「でも」
「苦しかったでしょ?だけどあなたは私に一度も辛いって言わなかった。それだけじゃなくて、私に起こったこともない」
「だって辛いのはママなんだもの」
「ありがとう。でも怒りたかったら怒ってもいいんだよ。我慢なんてしないでね」
「怒ったりできないよ。私ね、ママがいなくなったことで自分が今までどんなにママに守られていてしあわせだったかわかったの。ありがとう。でも私まだ、ママに何にもしてあげてない。本当にごめんね」
「いいんだよ。そんなこと。でも私、夏希にお願いしたいことがあるの」
「何?」
「あのね、」
 母はちょっと口ごもった後で私に言った。
「しあわせになって欲しい」
「しあわせ?」
「しあわせになって欲しいの」
「私、今までしあわせだったよ」
「そっか、でも、これからもずっとしあわせでいるために自分のために生きて欲しいの」
「自分のため?」
「うん自分のため」
「・・・」
「私がいなくなったとしても自分のことを守れるように、穏やかに暮らせるようになって欲しい」
「いなくなっても?」
「うん。普通の順番でいったら私の方が先に死ぬわ」
「・・・」
「だからね、その時が来てもいいように準備して置いてほしいの」
「まだ早いよ」
「そうかもね。だけど準備は速い方が絶対にいいわ。備えあれば憂いなし、よ」
「そうかもしれないけど」
「だからね、『しあわせ』を準備して置いてほしいの」
「どうやって?」
「私にはわからないよ。その答えはあなたの中にしかないんだから」
「『しあわせ』」
 そんなこと急に言われても困ってしまう。
 目の前のことに追いかけられてぎゅうぎゅう詰めだった日々から少しだけ解放されつつあるだけのへとへとの毎日なのだから。

「あなたならできるわよ」
 私のスマートフォンに映った小さなバラの花を見ながら母は静かにそう言った。


 

 『しあわせ』
 『私の『しあわせ』』
 今までそのことについて深く考えたことがなかった。今まで全くそのことを考える必要がなかったのは、母が私を大切にしてくれていたからで、その母が私に『しあわせ』になってほしいと言うのだけれどどうしたら『しあわせ』になれるのか全然わからないのだった。

 

   読んでくださってありがとうございます。
 二話、三話もどうかよろしくお願いいたします。


 

 

 

 

 
 
 

 

 
 
















 

 

 

 
 


 


 


 
 

 

 

 
 

 

 

 

 
 

 

 

 

 





 

 

 

 

   

ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。