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群青は青を集めた色だから海には青が全部あるのだ(マラソン番外編⑧)

このタイトルはこないだnoteの中でつぶやいたものです。

Twitterを見てた時、子どもさんが色鉛筆を片付けている様子をあきらとさんがつぶやかれていて、それでふっと浮かんできた短歌です。

色ってすごいなってずっと思っています。

そして、あきらとさんに感謝してます💐

そして水野うたさんがコメントを下さったので、書いてみようと思いました。

  ***

走ってる時の気分は最高だ。
天気が良いと尚更だ。

今日はあたたかいし、風もない。
気持ちよく走ることができる。

嬉しい。

こんなふうに毎日走るようになったのはいつからだったろう?
朝の空気は美味しいし、走るために早起きするのも気持ちがいい。

走ることは僕にとって本当に大切な日課なのだ。

  ***

あの日僕は一人で家にいた。

父さんも母さんも仕事で家にいなかった。

とても寒い日だったから僕はこたつに潜り込んで少しうとうととしていた。

とても気持ちがよかった。

学校は卒業式で一年生の僕たちはお休みで、部活もなくて暇だった。

昨夜遅くまで起きていたから本当に眠たくて眠たくてたまらなかった。

「こたつで寝ると風邪引くよ」

いつも母さんに言われて気をつけるようにしてはいたけど、眠気には勝てなかった。


と、いきなり家が揺れだした。

ものすごく強い力で。

ガタガタと音がして、大きく大きく揺れて揺れて、いつまでも止まらない。

こたつの中に潜り込んで僕はおびえていた。

こんなことは初めてだったから。

ガタガタガタガタガタガタガタガタ

揺れはいつまでも続いて止まらない。

そして揺れるのがやっと終わってもすぐにはこたつの中から出ることができなくて困った。

怖かったということもあるけれど、寒いからという理由もあった。

僕は本当に薄着でこたつにもぐりこんでいたから。

なかなか出ることはできなかったけれど、トイレに行きたくなったので仕方なくこたつから出て綿入れを着てトイレに行った。

と、トイレの水が止まらなくなっている。

どうしたんだろう?

とりあえず手を拭いてトイレから出ると水を飲むために台所に行ってみた。

沢山の食器が床に落ちて割れていた。

危なくて入って行かれないような気がした。

母さんに電話をかけようと思って玄関に行ってみた。
受話器を取るとプーーーっという音が鳴っているだけでどこにもかからない。

仕方なく茶の間に戻ってテレビをつけようとしたけど点かなかった。

こたつの中もすっかり冷めて冷え切っていた。

だんだん怖くなってきた。
けれどもどうすることもできない。

仕方なく厚着をして寒さに負けないようにした。

買ってもらったばかりのスキーウェアがあったからそれを着た。

あったかい。

ほっとした。

でも、本当にどうなってしまったんだろう?

父さんも母さんも多分すぐにはかえって来ることはできない。

この頃仕事が忙しくてなかなか帰ってこないから。

ふっと何気なく窓の外を見た。
何も言葉が出てこなかった。

真っ黒な大きな何かが迫ってきていた。

それは本当に、本当に、本当に、本当に、。。。。。。。。。。


そして、気がつくと僕は二階の屋根の上にいた。

「危ないから止めなさい」
何回も何回も母さんに言われたけどやめられなくて。

夏の夜、僕はよくここに上って空を見ていた。

周りにまばらに立っている家々の灯りが全部消えてしまうと、そこには銀河が広がっていて、無数の星々がどこまでもどこまでも、本当にどこまでも存在して、その、ここから見える宇宙の中に自分が飲み込まれているような感じを味わいたくて僕はここに上り続けた。

本当に小さな子どもの頃には考えもしなかったいろんなことが間近に迫ってきていることを感じてはいたけど、何もかも話せて相談ができる人は身近にはいなかった。

どうしようもない心を持て余していた。

その頃の経験がこんなふうに役に立つ時が来るなんて思いもしなかった。

どんなことでも何かの役に立つものだ。

そんなことをのんきに考えている場合ではないこともわかっていたけれど、この暗い冷たい空気の中でひとりでいるということをまっすぐに受け止めてどうしようか?と考えることができるほど僕は強い人間ではなかった。

寒かった。
それだけではなくて考えてみたら朝から何も食べてない。

夏よりも澄んだ空気の中で星たちはまっ直ぐに輝いてその姿を見せている。

心が震えた。

そして涙がにじんだ。

それ以外何もなかった。

何の言葉も浮かんでは来なかった。


まんじりともできずに朝を迎えた。

夜の間にものすごく沢山のことを考えていたような気がする。
けれども夜が明けた時の喜びが大き過ぎたせいなのか振り返ってみた時、何にも思い出せなかった。



その後のことはぼんやりとしか思い出せない。

母さんは泣いていた。
父さんは疲れ切った顔で優しくそっと笑ってくれた。

大きな津波に飲まれずに生きていたことを何人もの人が喜んでくれた。
僕が生きていたことを何日も確かめることができなくて心配してくれた人がこんなにもいたことは驚きで喜びだった。


僕が朝早起きをして、外を走るようになったのはその後一年ほどたったころのことだった。

家を失ってしまった後も母さんも父さんも仕事で忙しくて、引っ越した先の知らない人ばかりの中で心細い気持ちを抱えていることを忙しい二人に心配させるのがつらくて、気づいたら走り出していた。

そしてそのことに救われた。

引っ越しでバタバタとしていた間、その後の空っぽな気持ち。

そういうものが溶けてゆく。

空気の中に。
風に紛れて。

吐く息と、吸う息と、前に前に進んで行く体感と。

走ることは救いで、走ることは必要で。

生きていることを強く感じるための大切なものだった。


母さんが泣いていた。
父さんの背中が小さく見える時があった。


そういうことも全部、走っていると後ろに後ろに流れていく。
重たいものが消えていく。


今生きていることの実感があるから、走ることを続けている。

生きることも続けている。














ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。