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十七歳

 朝、明るい光。
 眩しい空。


 私、春が好き。


 学校に向かう道の脇にたんぽぽがいくつもいくつも咲いている。
 緑の草が萌えている中にばら撒かれた小さな光みたいにパチッ!と、くっきりと、春の野原を彩っている。

 紫がかったピンク色のカラスノエンドウ。控えめなヒメジオン。蜜蜂と仲良しのシロツメクサ。緑濃いよもぎ。笛になる名も知らぬ草。オオイヌノフグリ。ぺんぺん草。カタバミ草。

 たくさんの花の咲く雑草と呼ばれている植物が春の野原に散らばっていて、春の日差しに照らされながらひたむきに咲いている。

 それを見ているだけで心が励まされて温かな気持ちになれる。

 小さく儚い花々が放つささやかな香りが、空気に溶けて風に乗り、人々に春を伝えてくれている。

 花の放つ香り。
 草の放つ香り。
 地面の放つ香り。
 木々の葉の放つ香り。

 自然が放つ春の香りが空気に溶けてどこまでも広がっていくことで、季節を感じ取れてることに気づけたのがいつだったのか、私はもう覚えていない。幼い頃から好きだった、身近な自然を見つめることに意味も理由も何もないけど、季節や自然に向き合うことで寂しさや不安な気持ちを忘れることができていたのは事実だったし、柔らかな気持ちを受け取れてもいたような気がしている。

 優しい春の香りのする空気を吸い込み呼吸して、朝の日差しに照らされながら学校に向かうのは本当に気分がよくてしあわせなことだと自然に感じられた。

 春が好き。

 真新しい白のソックス。
 丁寧に磨いた黒いローファー。
 乾いたアスファルトの道路。
 柔らかな春のそよ風。
 明るい日差し。
 明るい気持ち。

 学校に向かう足取りが速まって軽くなり、スキップを踏みそうになってしまう。恥ずかしいから我慢するけど。

 春が好き。
 絶対に春が好き。
 一年中で一番好き。

 これから何かが始まるような気分が溢れている季節。


 私、春が好き。

 本当に春が好き。




 お弁当箱が新しいのに変わってた。
 昨日ちょっと喧嘩しちゃったのにママ、優しいな。パパがいないから気にしてくれてる。多分そう。

 私がまだ小さかった時、パパは事故で死んでしまった。一緒にいた頃のことを私はもう思い出せない。そのくらい前にパパは私の前からいなくなってしまっていて、あとはずっとママと二人きりで暮らしてきた。

 本当は寂しかった。
 不安だった。
 でも言えなかった。

 ママだって多分、同じ気持ちだと感じていたから。寂しいなんて言えなかった。

 心配かけたくなかったから、勉強も学校も頑張ったし休まなかった。
 休めなかった。

 寂しくて辛かったけどママのこと守りたくて頑張った。辛いのに頑張っているママに心配かけたくなかったし、励ましてあげたいと考えてたのかもしれない。もう思い出せないけれど。

 玉子焼き美味しいな。
 柔らかでふんわりしてて、甘くって。

 ママみたい。  
 私のこと一番に考えてくれて、疲れていてもいつも優しい。

 昨日の喧嘩、私のわがままだったと思う。それなのにママ、ちゃんとお弁当作ってくれた。お弁当箱新しくして、ナフキンも新品で。

 お弁当を食べながらママのことを考えた。優しい顔しか浮かばなかった。

 使い慣れたマグから温かいお茶をちびちび飲むと身体も気持ちもふっと緩んで思わず大きな息を吐いてしまった。

 ふわー。

 一緒にいたさなちゃんとけいちゃんが笑った。私も釣られて笑ってしまった。

 なんだか気持ちが楽になってまわりが明るくなったように感じられた。
 私、多分、しあわせなんだ。

 不意にそう思った。

 友達っていいな。

 そういう人がいてくれて本当によかった。 
 お弁当箱を片づけながらしみじみそう考えた。

 教室の窓から見える春の空は少し靄って明るく晴れてとてもとてもきれいだった。


 
 さなちゃんとけいちゃんと3人で帰る途中、ママと喧嘩してしまったことを話したら、二人はそっと慰めてくれた。なんだかすごくホッとして気持ちが軽くなった。

 夕方の空は青が白く薄まってゆきオレンジ色が混じり込み、少しずつ暮れてゆく。

 一日が終わりに近づくこの時間が小さな頃は苦手だった。寂しさが込み上げてきてどうしようもない気持ちになってしまうから。

 学校の行き帰りの道の途中で見る植物に目を向けるようになったのも寂しさを解消するための何かを探し続けていたせいだったのかもしれない。

 小学生の初めの頃の目線の先に春の小さな花々が自然に存在していたのも、それらに目がいくきっかけになっていたような気もする。

 春の小さな花たちは幼い私の友達だった。

 夕空はオレンジ色に染まって行き家々や地面や木々を赤みの強い光で照らしている。

 恥ずかしがっているみたい。

 私はいつもそう感じて、その時間の町をなんとなく優しい気持ちで見ることができた。

 寂しさと優しさと悲しみの入り混じったその時間の風景はいつだって私の心に強い印象を与えて、静かに消えてゆくのだった。

 それぞれの家に向かう曲がり角で二人の友達と別れて、私は一人で家路を辿る。

 夕空が暮れてゆく。
 今日が終わりに近づいている。

 私はそっと空を見上げた。
 濃いオレンジ色の雲が私を見下ろしていた。

 


 

 

 







ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。