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#記録すること

こだわり

割と大雑把でテキトーな性格をしている自分だけど、文章を書く時はこだわりみたいなものがある。

句読点の打ち方、ひらがな表記にするかカタカナ・漢字に表記するのか
改行や、空白、鍵かっこの使い方、語尾の綴り方

僕は、しっかりと文章の書き方を学んだライターではないから正しくできているかはわからない。
それでも、僕の言葉を僕なりの文字と文章で伝えるようにしたいと思っている。

何度も読み返す、なんか違うな。って思ったら消して
気持ちが乗らない時は、途中でも下書きに保存して。また、気持ちが動いた時に書き始める。

文章を書く

僕は、話すのが好きだし得意な方だと思う。僕は、自分の気持ちを伝える手段として話すことが1番だと思っていた。
そして、今までの僕は話す以外に気持ちを伝える手段を持っていなかった。

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会話では、多くの情報を用いながら相手に気持ちを伝えることができる。

言葉、声色、リズム、表情、動作

多くの情報を使えるからこそ自分の気持ちを表出しやすい。
そして、会話では自分の気持ちを伝えると同時に相手の気持ちを確認することができる。

だから、話すことはコミュニケーションを取る上で1番の手段なんだろうな。

それに比べて文章は難しい。自分の気持ちをちゃんと文章に載せられているのかわからないし
会話と違って、一方通行になってしまう

文書を書くようになって、皆はこの文章を読んでどう思っているんだろう?と考えてしまう時がある。

文書をどれくらいの人が読んでくれているのかわからないのだけど、良くも悪くも思われているだろうな。と思ったらなんだか怖くなってしまう時があった。僕の伝えたいように、この文章の向こう側の人にちゃんと届いているのだろうかって、、

でも、最近はそんな風に考えることを辞めた。今はそんな気持ちや思いを伝える手段として難しいと思っていた文章がとても面白いと思えるようになった。

会話と文章の違い

会話は、 "今の自分を伝える言葉

文章は、 "その時の自分を伝えたい言葉"

だと思う。

全部がそうかはわからないけど、少なくとも僕の中ではそうなっている

もっとよくかわかってもらえない表現をすると、

会話は、"記憶" 文章は、"記録"

なのかなって。

会話をする時、話しては聞き手に対して'求めている受け取り方'みたいなものがあると思うんだ

この言葉を話すことは、こう受け取って欲しいな受け取って貰えるんだろうな。みたいなもの

会話は、キャッチボールって言うよね

でも、文章はキャッチボールじゃなくて。なんだろう、アート(見せ物)かなんかかな?、(しらんけどね)

文章は、文章の向こう側にいる人に対しては受け取り方を求めない。言ってしまえば"どうでもいい"

なぜかって、さっきも話したけど文章は一方通行だから。文章(記録)に対しての感じ方や考え方は人それぞれ
同じ絵を見ても、その絵に関して感じ方は人それぞれだよね

使っているものは、同じ言葉なのにこんなにも違うって本当におもしろい。

文章は自由になれる

僕の文章

今、そしてこれから。口から生まれてきて口だけで生きてきた僕が
文章という、新しい思いを伝える手段に興味を持って挑戦しようとしています。

わからないことだらけで、不安になることがたくさんあるけど

今思っていること、この記録が僕の方位磁針です。

文章を"記録"として

今日、明日、寝る前、お酒を飲んだ後みたいに
その時々で見え方や感じ方が変わって

読んだ後、なにかしら新しい感性が芽生える。

そんな自由な文章が書けるようになりたいです。

夏が来る

朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして、またご飯を食べて、お風呂に入って、寝る

1日24時間あって、大体やることが同じなのが日常

悪くない。楽しいし、それが普通

だけど、明日も明後日も同じって先に思いながら生活するのは少しつまらない

その時々で、気持ちに色がつく。そんな日常で僕は生きたいなって思う。

今日は、海に行った。行く時は夜のひんやりとした空気と寂しい匂いがしたけど
帰り道は、次来る時はもっと暑くなっているかなって楽しみになって嬉しくなった。

僕は、雲のように生きたい。でも、自分の中に方位磁針を持って見失わないように。次行く方向は大体決まったかな!

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