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1-17 憧れの存在を見つけたあの頃

ボクが民間会社を退職して教師という仕事を目指そうと考えた頃,「理想の教師像」なんてボクの中にはありませんでした。大学時代,教職課程の単位なんて一つもとっていなかったボクが教師を目指したきっかけは,営業職としてオトナ相手に営業をする傍ら,年に数日,大学生相手にリクルーター(会社説明会の中で実務を説明したり,就職活動の相談に乗る業務)の業務を経験する中で,「オトナ相手より,若者相手に仕事をする方がやりがいを感じる」という理由でした。

「ずっと若者相手に仕事をしたいなぁ。何かを伝えたいなぁ。そんな仕事で思いつくのは,やっぱり学校の先生かなぁ」

そんな具合だったので,「□□先生みたいになりたい」とか「理科の△△という楽しさを伝えたい」などといった目標が何もありませんでした。

●入学したころ

 教員免許状を取得するため,あれこれ調べてみると,平日にキャンパスに通うのではなく,郵送で提出するレポートと,夏・冬に行われる「スクーリング」(通信教育生が教室で講義・授業を受けること)で単位をとれる「通信制の大学」があることが分かりました。説明会に参加すると,「翌年から通信制の理科コースをはじめて開講します。日本発ですよ」とスタッフから説明を受けます。

「日本初! なんてタイミング! ……神様が入学しろって言ってるんだ!」

 そう思ったボクは5年間勤めた会社を退職し,2012年の春,第二の学生生活を,「明星大学通信教育部」でスタートさせたのでした。

 といっても,通信制なので大学に通うことはほとんどなく,主にレポートや試験で単位を取得します。仕事を辞めていたボクにはたっぷり時間がありましたが,通信制という形で単位を取得する経験がなかったので,「テキストの理解や定着はひとまず無視して,まずは単位をとらなきゃ」と思い,レポートやスクーリングを,効率重視でとにかく「単位取得」を目標に勉学に励みました。テキストを読むより科目修了試験の過去問をとにかく解いたり,単位が取りやすい科目を狙って受講したり…といった具合です。もっと根源的な「どんな教師になりたいか」とか,「こうすれば子どもから喜ばれる」というのは,教職科目を勉強していてもわかりませんでしたし,わかるとも思えませんでした。ちょっぴり悩んだりもしたけれど,当時28歳だったボクは

「そういや,理想の社会人は?理想の営業マンは?なーんて考えずに就職したよなぁ…。現場に出てから苦労して探し出していくものなのかな」

と割り切って,それ以上<教育>については考えることもしませんでした。

 一方,入学初期の頃に受けた実験科目の講義の中で「理科の授業方法を提案する」という課題に取り組んだ際,ボクが作った発表資料を振り返ってみたら,「子どもが発言しやすい環境を」「間違いをたのしもう」などと言った資料を作成していました。具体的な手段はないものの,ぼんやりと「子どもの気持ちを大切にしたいなぁ」と思っていたようです。

当時作った資料の抜粋1
当時作った資料の抜粋2

●小原先生との出会い

大学に入学して数か月。夏に受けた「理科教育法1」のスクーリングでのことです。ボクは,「この2日間の講義で単位が取れるぞ~!」と,相変わらず単位取得のことしか考えていませんでした(汗)。

 講義が始まって教室に出てきた先生は,ニコニコしながら「朝から夜まで大変ですね。まぁキラクにやりましょうか」と始めました。その後,おもちゃを使って「自己紹介クイズ」をしたり,手品でアイスブレイクをしたりと,単位のことしか興味のなかったボクも,「あれっ? この講義,なんだかフツーと違うような…」「この人は誰なんだろう? この後どんな講義をするのかな」と,どんどん気になっていきました。その人こそ,現在,仮説実験授業研究会の代表をされている小原茂巳先生だったのでした。

理科教育法のスクーリングの内容はとても刺激的で,「教材配列の話」「自分の主体性vs科学の主体性」「授業とは何なのか」「学ぶとはどういうことなのか」「どうすればたのしい授業ができるのか」etc…。

 講義が始まるまで単位のことしか興味がなかったボクでしたが,一気に脳ミソがフル回転し始めました。

「こんなこと,考えたことなかった!でも,こういうことこそ,ボクが学びたかった内容だ!!」

 そうしてボクは,小原先生含む4人の先生が担当された「理科教育法1~4」のスクーリングから,仮説実験授業を通して「教育とは何か」「教師の仕事をどう考えればいいのか」について,たくさん学ぶことができたのでした。忘れられない,あっという間の8日間でした。

●もっともっと知りたい!

 理科教育法のスクーリングを受けた後,ボクは,

「仮説実験授業ってナンダ!?」「小原茂巳先生ってどんな人!?」

と,とにかく気になってきました。そのため,ボクは小原先生が書いた著書『授業を楽しむ子どもたち』を読んで,そのヒミツを探ることにしました。若かった頃の小原先生と中学生たちとの授業やその他のやり取りが書かれており,子どもたちが生き生きと授業をたのしんでいる様子にボクは感動して,電車の中にも関わらず涙を流しながら読みました。

『授業を楽しむ子どもたち』

その後,ボクは小原先生にお願いをして,後期の通学生の講義を週1回見学させてもらい,合わせて国立国会図書館で所蔵されている雑誌『たのしい授業』(仮説社)のうち,スクーリングを担当してくれた小原先生・山路先生の記事をすべてコピーしました。数万円かかりましたが,もったいないとは微塵にも思いませんでした。「たのしい教師生活の実際」なんて教員採用試験には出ないけれど,ボクにとっては教員になるための必要な情報だったし,それが採用試験にも生きると思っていました。自分が信じる教育観に出会っていく…とでも言えばいいのかな?

 また,小原先生から「サークルもやっているので興味があればどうぞ」とお誘いをいただきました。といっても,その時のボクはサークルのイメージが沸かず,「サークル?草野球かフットサルみたいなヤツ?年をとっても体を動かすことを大事にしてるんだな…」と本気で思ったのでした(笑)。今思い返すと笑い話ですが,その時のボクは,休日の時間を使って主体的に集まって教育をあれこれ考える人たちがいるなんてまったく想像がつかなかったのでした。

 ドキドキしながら昭島サークルとやらに初参加してみると,たのしく教師生活を送るため,子どもに喜んでもらうためにはどうしたらいいか?そんな内容をお菓子を食べながら笑顔でワイワイ話すような気楽な会でした。本格的な仮説実験授業の記録発表がある一方,「多くの教師が陥りそうな悩み相談」もあったり。サークルもとても学びが多い場でした。

●あらためて考える

でも,スクーリングを受けていた40人ほどの受講生のうち,本を買ったりサークルに参加した人はボクだけでした。なんでかな?と考えてみたのですが,その当時のボクは(今もですが)「たのしい授業」や「子どもとのイイ関係」に対して強い憧れを持ったからじゃないかなと思います。

たとえば, 『授業を楽しむ子どもたち』のまえがきの中で,こんな文があります。

 僕は,子どもたちに,そのままの君で,遠慮なく授業に参加してほしいんです。マジメな子はマジメな子なりに…。不マジメな子は不マジメなりに…。にぎやかな子はにぎやかに…。発表するのが苦手なら,発表せずに…。落ちつかない子もそれなりに…。劣等生は劣等生なりに。優等生は優等生なりに…。できる子もできん子も,それぞれに…。みんな,まず,「そのままの君」でいいじゃないですか。それぞれの持ち味をいかして,1時間1時間を楽しんじゃう。そして,いつのまにか,みんなでかしこくなっちゃう。僕は子どもたちと,こんな授業,こんなつきあいをいつまでもつづけたいのです。

『授業を楽しむ子どもたち』小原茂巳著・仮説社

  せっかく教師になるのだから,特に学校生活の中で子どもたちと過ごす時間が一番長い<授業>の中で子どもとたのしく過ごしたい。だから,小原先生や山路先生の本を読んで「フィクションじゃないんだ!! ホントにできるんだ!」と,ボクはえらく感動したのでした。

また, 中学~高校時代,ボクにとって<勉強>とは,するのが「アタリマエ」で「やらなくちゃいけないもの」であって,「他人に比べて秀でることで自分の存在意義を見出すもの」。でも,それだけでした。「たのしい」とか「つまらない」とかの議論の余地なし。だから,中学~大学まで,偏差値を上げるための参考書は買っても,学んだ内容に関する本など1冊も買ったこともなければ,インターネットなどで調べることもしませんでした。

けれど,いざ教師を目指した際に,そんな「受験や将来のために学ばなければいけないものを効率よく教える」みたいな教師像には憧れを感じなかったボク。そんな学校の勉強に対して,「わかる」だけではなくて,「たのしくできる」ということに感動したのだと思います。

●憧れの存在

また,「授業書(授業を実施するときに生徒に配るプリント)を使ってこんな風に教えたらいいんだ!」という感動以上に強く感じたのは「小原先生のような教師生活を送りたい!」という強い憧れでした。スクーリング時や本の中で紹介される中学生の文や学校の様子を聞いて,「自分もこんな感想文をもらいたいなぁ」「授業でも,それ以外でも,こんな子どもとのイイ関係を作りたいなぁ」と率直に思いました。教師ドラマ(「金八先生」とか「GTO」とか?)に憧れるのと同じ感覚で,ボクはノンフィクションの仮説教師たちに憧れたのでした。それは,ボクが前職の時に「たのしい!やりがいがある!」と感じたリクルーターの業務,「大学生と同じ目線で就職活動を考える」という感覚にも近かったように感じました。

「ああ,ボクもこんな先生になりたい。子どもたちと一緒に学んで・成長して,喜ばれるような教師になりたいな」

会社員を退職しても大学に入学しても目指すべき教師像が見つからなかった自分。それがやっと見つかった気がしたのでした。

●教師になって

その後,ボクは地元を離れて北海道の高校教師になりました(採用試験が北海道しか受からなかった)。当時のボクは,「さぁ!《〇〇》や《□□》の授業書やるぞ~!」というわけではなくて,「小原先生みたいな教師生活を過ごしたいな~」という目標の方が先にあった気がします。

そんな中,週14コマ・3科目(物理基礎・物理・化学)の授業を担当する現実が待っていました。ボクが最初に勤務した高校は進路多様校で,卒業後は就職や専門学校に進学する子もたくさんいました。だから,「大学受験で必要だから,学校の勉強を必死にやれ!」なんてオドシも聞かないし,「教科書に書いてある内容を覚えることが大事なんだ」なんて言っても「え?大人になってからそんな知識使う?」って言われたら言葉に詰まりそう(汗)。だから,「未来のために今を犠牲にしてガンバレ」という発想で教えられないし,教えたくもない。だからといって,高校生の今を充実できる授業方法が自分自身で思いつくわけでもない…。

そんな非力な自分だったからこそ,必然的に本や昭島サークルで紹介されていた仮説実験授業の授業書やプランを実践しようと思いました。自分が気持ちよく実施できる選択肢がそれしかなかったので,迷いはありませんでした。

どのクラスでも,スクーリング時の小原先生のマネをして<自己紹介クイズ>から入り,その後は<見れどもみえず>をやって,1年生たちとは《速さと時間と距離》,2年生とは《もしも原子が見えたなら》.3年生は《力と運動》と,ほとんど道具も資料も少ないままスタートしました。初回の授業でラブレターみたいな感想文をもらったので,一瞬で「ああ,これでいいんだ」と確信しました(単純)。教師1年目は学校の仕事も授業の準備もすべてが手探り。その中で「高校生から歓迎される経験」を持てたおかげで,自分自身を肯定しながら,高校生を「ステキ!」と思いながら学校生活を過ごすことができました。授業運営も,道具もいろいろと準備は足りていませんでしたが,生徒たちの評価はそんなに悪くなかったです。すぐに「転職して良かったな」と思うことができました。

初回の授業でラブレターみたいな感想文

●教師になって気づいたこと

一方,授業しはじめて今更ながら「仮説実験授業って実験道具がいるんだな」ということに気づきました(汗)。授業書なので,それなりに実施はできるものの,「これはマズいな」と思って,当時参加した入門講座・フェスティバルは,全て授業書運営を学ぶ講座に出て,売り場では授業ノートを買い込み,授業書を実施する際に困らない状況にしようと動いていきました。北海道から遠方に何度も参加するので出費はかさむのですが,授業を通して生徒たちとたのしく過ごす時間を作ることができることを考えると,そこはあまり気になりませんでした。自分自身でたのしく教えられる教材研究ができる能力があれば「もったいないから自分で考えよう」となったのかもしれませんが,そんな能力がなかったボクは早々に研究会に頼ることにしたのです(そんな自分も気に入っています 笑)。それに,雑談やゲームで高校生たちとたのしむのではなくて,授業(科学)を通して笑顔になれる…というのが嬉しかった。「あぁ~理科教師やれてるなぁ…」という自分の自信につながった気がします。たとえば,《力と運動》を終えての高校生の感想。

★☆台車から始まり,今日の振り子の問題まで,この世界には様々な物理法則であふれていることが分りました。ものの動き一つ一つ,私たちの動き一つ一つにもしっかりとした法則があり,中々興味深い話も多々ありました。こうした法則を見つけ出した科学者たちは,今なら当たり前のほうに思えても,当時は新しいことを多く見つけ出したことだと思います。こうした人々のことを考えながらこのような仮説実験をしてみるのも面白いと思いました。この仮説実験授業は,ある意味自分たちもその瞬間は物理学者になれるのかもしれません。学者のように考えることの大切さ,面白さを学べた授業でした。(高1・コウヘイ君)

こうやって思い返すと,明星大学で小原先生に出会い,たのしい授業学派の教師教師生活に憧れ,サークルにも参加し始めたあの頃が,ボクのその後の教師生活を決定づけてくれました。小原先生や昭島サークルの人たちに出会えて本当によかった。

そんなボクも教師8年目。迷うこともたくさんあるけれど,子どもの評価とたのしい授業に関わるみなさんの実践を頼りに,たのしい教師生活を送っていけたらイイナと思っています。




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