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他人が敷いたレールが最善な生き方ってこと、あるのか?

毎回このプロジェクトを任されると襲ってくる《これが最善だったのか?単なるエゴではないのか?》っていう、後悔と疑問の渦。

「ここがいい、こうしたい」って、当人は言うけど、わたしが有無を言わせないように仕向けたのではないか。

「こうした方がいいだろう」「それよりもこっちがいいに決まってる」って、当事者ではないのに、当事者と同じ立場ではないのに、どうして言い切れるんだろう。

そうするための根拠があるから、なんとしても守らなくちゃいけないから、ってたくさん考えた結果だとしても、やっぱり自責の念に駆られる。

毎回こうなんだ。絶対的な自信があるのに、絶対的に自信がない。

視野を広げる、って自分の意識の問題だったりするから容易いことかもしれないけど、他人の視野を広げるって、こんな難しいことがあるのかな。押し付けてるかもしれない。当人は、本当は嫌かもしれない。


それでも、当人にとって想像し尽くす中で、一番の最善策を見極めて、下調べしてプレゼンして、たくさんの人に協力してもらって、このレールを敷いたの。

だから、自信がなくても『あなたが幸せに過ごせるように、最善を尽くしました。』って胸を張って言えるような気持ちでいたい。誰かに責任を押し付けることなく、みんなで考えて敷いたレールを大切に守っていくように。


あなたが言った「ここがいい」って言葉、何度言い回しを変えても揺るがなかった気持ち、大切にしたかったんだ。

わたしは離れてしまったから確認する術はないけど、どうか元気で、どうか幸せでいてほしい。刺激は少ないかもしれないけど、平和な生活の中で自分の幸せを築いてほしい。

今までありがとう。さようなら。




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