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ジェンダーの問題(東大の入学式 祝辞)は、小学校ではどうなのか?


「がんばっても報われない社会が待っている。」

4月12日金曜日の東京大学の入学式の
上野千鶴子さんの祝辞が
話題になっています。

「がんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/tokyo-uni?fbclid=IwAR1akVxXeny5jrJ7MWc47j3v7ABvkvSNsTBZg7BELZ6jdmGwrrcDXy53h_c

そのことについて、私の感想を書きたいと思います。

構造差別から生まれる<報われない社会の問題>の1つとして、
上野さんが提示したジェンダーの問題は、

小学校の現場では、どうなのでしょうか?


小学校の段階では、女性の価値と成績の間にそれほどのねじれがあるとは、私は思いません。
「わあい。100点だ」
テストの100点を女の子も大きな声に出して喜びますし、男の子もそれを、素直に受け取ります。

成績については、
男でも女でも、周りの反応はあまりかわりません。
そういう意味で、正当な評価がされているということでしょう。

また、女の子が運動会の応援団長になることも、
そんなに珍しいことではなくなってきています。

けれども
やはり女の子には「かわいい」ことが求められるという傾向は、はっきりあると思います。

それは、異性である男性の意識というよりも、女性の意識ではないかと思うのです。

「お前、女らしくしろよ」
もし、男の子がそう言ったとしたら、
「何いってるの!」と、
女の子たちは黙っていないでしょう。

けれども、問題なのは、女子の中での
「あの子、生意気!可愛くないよね」という
女の子から女の子への
言いたいことをいわない方が女らしい
前に出過ぎない方が女らしいという価値観の押し付けです。

これは、小学校へ入ってきてから形成されたものではないと思います。
もっと幼い段階で、このような考えが当たりまえとして植えつけられているのです。

また、女の子だけでなく、男の子にも、
性別による価値観の押し付けというものがあるのではないかと思います。

「男の子なのに、泣かないで」
「男の子なんだから、外で元気に遊んだら」など、私たちも軽い気持ちで口にすることが普通になってしまっています。

強くて活発に活動するという1つの型にはめ込まれた価値観を男の子にも求めてしまっているのです。

上野さんの祝辞は、
構造的な差別を今すぐ解決しようということではなくて、
頑張っても報われないことが、
今の世の中にあるということに気づいてほしいというメッセージだと思いました。

間違っていることを、世の中の常だと見逃すことに対する警告です。


「フェミニズムは、
女も男のようにふるまいたいとか、
弱者が強者になりたいという思想ではない。
弱者が弱者のまま尊重されることを求める思想です」と上野さんは、おっしゃいました。

社会的構造から生まれた差別をなくすということは、男・女という単純な問題ではなく個人が個人として、そのままで受け入れられるということだと思うのです。

小学校教師の仕事は
男・女の区別のない仕事だと思います。
男性教諭にも、細やかさが要求されるし、
女性教諭にもたくましさが必要です。
ひとりの人間として、それじれの個性を活かしながら子どもたちに接しようとしている。

このような教師の姿を日常見せることで、
子どもたちに男女という観点でなく
人間という視点で周りの人を見ることを、
教えているのではないかと思いました。

そして、
教師自身がそのことを強く意識して
子どもに接して行くことが大切だと感じました。

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