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限界社会人から幸せニート、それを乗り越え普通の清掃員2 項垂れ躓くも転ばず。
これ、前回の記事。
↓ ここから今回の話。
項垂れ躓くも転ばず
遠慮なく休む
辛いとは思いながらも何も行動できずに時間画ばかりが過ぎた。
そうして春本番を迎えたものの、一向に楽しい気分にはなれない。
何故なら、悪夢のような状況は一向に改善してないから。
とはいえ、慣れとは恐ろしいもので、冬に散歩していた時ほどはつらくない。
未だ希望は見いだせないけれど。
それでもないはずの希望を待ち続けたタンナ。
意見書や会議での発言も欠かさずに行い、改善の兆しを何か見出す日々が続くと思われた矢先!
タンナパパの死!!!
泣きっ面に蜂というか、踏んだり蹴ったりというか。
しかし、不幸中の幸いということわざの通り、ひどいことばかりではありません。
なんと、肉親が死ぬと五日間のお休みがもらえると言うではありませんか!
私はそれに有休を重ねて一週間まるまるお休み!
それまで半年以上、二連休というものを取らずに出勤していましたので、本当にうれしかったです。
父の訃報を聞いた時、真っ先に休日のことを思い出したほど。
父の遺体を葬儀会場へと移動するまでの道のりのことを今でも覚えています。
明日から一週間ほど職場に行かなくてもいい!
なんて素敵な響きでしょう!
今まで我慢してきた、ゲームや読書にアクティビティの数々が私を待っていると思うと不思議と足取りも軽くなっていました。
フワフワと軽い体とネコ科の動物のようにしなやかな足取り、そして満開の桜のように咲いた笑顔。
誰がどう見ても、これから父親の遺体と対面する人間だとは思わなかったでしょう。
そうして、私はルンルン気分のまま父親が待っている葬儀会場に到着したのです。
本当に罰当たりですね。
自動ドアを開けると疲れた様子の母と葬儀の打ち合わせをしている葬儀会社の人が話していました。
すぐさま私もその打ち合わせに参加、値切れるところをすべて値切って格安の葬式をオーダー。
様々な兼ね合いもあり、私たち家族は一泊して翌日に行うことに。
こうして父に対するすべての孝行が終わり、あとは葬儀を行って日常に戻るだけ。
私は安心しきって応接室に体を投げました。
しかし母の悲しみは尋常じゃなくなんとも生気のない表情。
横になりながらそんな母を見たときに「知らない間に年取ったな」と流れた時間を実感。
このまま葬儀に参列させるのも良くないだろうと思い、気持ちの整理をつけるための時間を設け葬儀場の留守は私が預かり、母親は休息の為、夕方まで家で休むことに。
父の遺体を前に兄弟水入らず
母親を見送り、何もすることが亡くなった私はテレビを見ながらごろごろしていた。
平日の昼間だというのに。
少し話はズレるけど、父の死という人生の一大事にもかかわらず、何時でもとれる休息が取れたことに喜びを感じていた自分が怖い。
私がごろごろしていた場所のすぐ横に父が入ってる棺桶がある。
なのに、それには目もくれずソファでテレビを視聴。
今にして思うと、狂気そのもの。
でも、当時はわからなかった。
自分の人間性が消えかかっていることに。
なんだったら「大人になるってこういうことさ」と悦に入っていた節がある。
それを乗り越えたとしても、こういう発信を続けることによって、異常だった自分を認識するってのは滑稽だね。
でも、それが学びの本質なのかもしれない。
さて、再び話を戻して……。
ソファでごろごろしてると、チャイム音が鳴った。
優雅なひと時を邪魔されたことに怒りを感じつつも応対へと向かう。
すると、そこには見慣れた男が。
弟だ。
どうやら父親の訃報を聞いて、東京から帰ってきたらしい。
疲れた様子の弟は挨拶もそこそこに父親の眠る部屋へと向かう。
そして、冷たくなった父親に対面することなくソファに寝っ転がってテレビを見始めた。
私もソファに寝っ転がった。
私たちは両親が嫌いだった。
父親の話をするわけでもなく、お互いの近況を寝っ転がりながら報告していると弟がこんなことを言い始めた。
「タンナさ、顔怖くなったね」。
一瞬意味が分からなかった。
顔が怖くなるなんてありえない、大抵そういう印象を持つのは第一印象を決める時で家族からそんな言葉を投げかけられるとは思ってなかった。
なにより、弟は理系の大学院生で科学的な思考が身についているはず。
「どういう意味それ?」
「いや、とにかく顔が変わった」
「もう26だぞ、顔が変わるなんてありえないだろ」
「科学的にはね……でも事実だよ」
そういって弟はタブレットをいじくり出した。
そして弟はインカメラを起動させ、画面を見せてきた。
そこに映し出された私の顔は、自分が想像している以上に険しい顔だった。
眉間のしわは深くなり、目つきは鋭く、頬はこけた。
我が顔ながら、怖かった。
納得してしまったが故、弟の発言に対して何も言い返せなくなった私。
そんな様子の私を見た弟は私の顔を見ることなく「仕事キツイの?介護だから当たり前だとは思うけど」と聞いてきた。
「まぁ、きついよ。すべての面でね」
「やめないの?」
「考えたこともないね」
「そう……」
開いたタブレットから目を離さず弟は話していた。
私と弟はかれこれ十年ぶりの再会だった。
私は18で家を出て27になる。
その間に私は青年から大人になり、弟は子供から大人になっていた。
とはいえやはり兄弟。
弟が私に気を使っているのがこの会話で分かった。
言いたいことを素直に伝える子供ではなく、相手の気持ちを慮って会話する大人になっていた弟の成長を感じた。
所で私はどうなんだろう。
右肩上がりの成長を遂げている弟に対して、私はこの一年間ずっと停滞している気がする。
それに伴って、徐々に意固地になって感情を抑えて、張り付いた笑顔でイラついている。
大きな差がつけられたような気がした。
ただ、私にも言い分がある。
「やらざるを得ない仕事をしている」ということ。
介護という仕事は社会にとって欠かせない仕事。
しかもその重要度は近年増している。
現状は、人手不足などの問題があるが、やはり必要なことには変わりない。
そんな仕事をしていれば顔だって変化する。
そういうことを伝えたかった。
だけど、口に出してしまっては軽く受け止められそうだったから何も言わなかった。
そんな私を見て察したのか「一人が頑張っても組織は良くならないよ」と弟が言い放った。
それに付け加えて「むしろ現状を悪化させる」と言った。
「あぁそうだね、でも実際問題タンナがしないと誰もやらないって。一番若くて経験も積んできた私がさ」
「いやいや、そういう奴にはいったん現場を離れさせてそれを再現する方法を作るのが組織の仕事でしょ?なんでタンナがずっと働いてるの?意味わからない」
「弟君、確かに君の業界ではそうかもしれないけど、福祉の業界ではこれが当たり前なんだよ、今までもそうだったし」
「で、この現状なんでしょ」
「しかもタンナが全然幸せそうじゃないのも問題だよね、それすら解決できない組織ってことでしょ」
社会人五年目のタンナ、大学院生に論破される。
しかも父親の葬儀会場で。
こうして、私の敗北から弟と兄の戦いが始まった。
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