「手に職」を履き違えるな

現代では、会社に入ったからといって一生安泰ではないと言われている。

特に最近はコロナウイルスの影響で仕事を失った人も多く、よりいっそう「手に職」が叫ばれる世の中となった。


私の母は、手に職をつけることが大切だとよく言ってきた。

母の家系は薬剤師が多いが、母自身は薬学部に進学しなかったばかりに手に職がつけられず、仕事がキツい上に低収入のパート労働者になってしまったことをひどく後悔しているらしい。

高校時代には薬学部や看護学部への進学を勧められた。
母としては、難関大学の役に立たない学部に進学するより、歯科衛生士や理学療法士などの専門学校に進学して資格を取る方がずっと賢いと思っているらしかった。


確かに、手に職を持つのはとても大切なことだ。

手に職があれば、育児や介護などでブランクが出来ても、まともな仕事にありつける確率が格段に高くなる。

特に発達障害の人にとっては、社会で一般的に必要とされる能力が生まれつき低い分、それを補う技能を身に着けることが特に重要になってくる。



しかし私は、「手に職」を曲解してしまったばかりに、えらく遠回りをしてしまったように思う。

「手に職」というのは、必ずしも「仕事に直結する資格」だけを指しているわけではない。


私の母は、他にも臨床検査技師や医療事務など、とにかく医療系の仕事を勧めてきた。

医療系の仕事はほとんどが国家資格で需要も高く、1度取得すれば一生食いっぱぐれない職種も多い。まさに手に職の代表格であろう。


しかし医療系の職種は、発達障害者に向かない仕事の代表格でもある。

医療系の仕事は人の命がかかっているだけあってミスが許されないため、ADHDの不注意が多い特性は致命的である。

私の偏見かもしれないが、医療系の仕事に就いている人は怖い雰囲気の人が多いように思う。人の命に関わる仕事なのでピリピリするのも当然だろうが。
その上、薬剤師や看護師など女性が多数を占める職種も多い。経験上、発達障害の人は同性が多い環境だと人間関係でつまづく可能性が段違いに上がる。


結局私は、プライドのために難関大学に進学したいという執念と、理科の実験が嫌いだという理由で薬学部への進学を断念した。


傍から見ればしょうもない理由かもしれないが、今思えば薬学部に進学しなくて本当に良かった。

まず、学校のクラスのような環境で特定のメンバーと6年間も人間関係を良好に保ち続けるのが私には不可能だ。

実習などの共同作業になると、何をすればいいか分からずうろたえ、ゴミのように扱われるのが目に見えている。実習で私と組みたいと思う人はまずいない。

私が薬学部に進学していたら、99.9%卒業できなかっただろう。



結局私は、うっすら興味のあった学部に進学した。

学部で学べることを直接生かす仕事に就く気はなかったが、ある程度興味のある分野ではあったため、まったく授業が分からなくて困った、とはならなかった。


とはいえ、何かしら仕事に直結するスキルが無いまま就活に臨むのは不安だった。

そこで、IT系のスキルは需要が高く、辞めてもフリーランスで働けそうという理由でWEBデザインの専門学校に通った。しかしまったく手ごたえがなかった。

新卒では同じ理由でシステムエンジニアとして就職したが、やはりまったく合わなかった。


「まったく興味がなくても、仕事だと思えばどうにかなるだろう」と思っていたのが甘かった。

実際、周りには「プログラミングやITにはまったく興味がないが、仕事のために割り切ってやっている」という人はかなり多かったが、私は普通の人とは違うのだ。


定型発達で器用な人ならどの仕事に就いても60点くらいは取れるのかもしれないが、発達障害の人が向かない仕事に就くと本当に0点を取ってしまう。

「資格を取れば一生食いはぐれないのに、そんな理由であきらめるなんて」と思われるかもしれないが、発達障害の人の進路選択においては、好きとか嫌いとか、できそうとかできなさそうとか、素直な興味や動物的な直感がとても大切になってくる。

さらに厳しいことを言えば、好きだとかできそうだと思っていたのにやってみたらできなかった、ということは十分あり得るが、発達障害の人が最初から好きでもなくできそうでもないと直感的に感じたことをしても、まず99.9%うまくいかない。


システムエンジニアやWEBデザインに関しては、自分のキャラクターと方向性が違い過ぎるわけでもないので必要な失敗だったと思っているが、大学時代に特別支援学校の教員免許や税理士免許を取ろうかと迷っていた時間は100%無駄だった。

我ながら呆れた話だが、教員免許や税理士免許に関しては、国家資格が取れて収入も高そうというだけで、業務自体には一切興味がなかった。

まず教員免許に関しては、自分が人を直接支援する仕事に就くイメージが全くわかない。実際私は教育系の学部だったが、同じ学部の学生とはかなりカラーが違う、強い言い方をすれば人種が違うことを実感していた。

税理士試験は合格するのがとても難しい上、運良く受かったとしても、大金がかかった手続きを扱うのに不注意が多いとなるとやはりまずいだろう。
経営者の方などと直接お話しする機会もあるだろうが、口下手で頼りない印象を与えてしまう私にはどう考えても向いていない。

教職の授業を取ったり、20万円ほど払って税理士試験の講座に申し込んだりしたが、すべて無駄だった。

中途半端なモチベーションで得られるものなど何もないのだ。
今こうして思い返してみると、自身の浅はかさが本当に恥ずかしく思う。


結局今になって、大学時代から興味はあったものの、将来性がなくあまり収入も得られないと思い込んであまり手をつけなかった翻訳を勉強し直している。

確かに大きく稼げる仕事ではないかもしれないが、バイトレベルの収入でも最低限食いつなげればいい。私の会社員としての能力がゴミだと気づいた今では、一応インテリっぽい仕事で収入を得られればそれでいいと思うようになった。障害年金や副業も組み合わせれば、どうにか食っていけるくらいの収入にはなるかもしれない。


今思えば、私が卒業した大学には珍しい言語の授業も多くあり、学部が違っても学び放題だった。珍しい語学の授業なら少人数だろうし、友達もできたかもしれない。

にもかかわらず、語学を直接生かせる道は限られているため、勉強しても役に立たないかもしれないと思うとモチベーションがわかず、結局1度も授業を取らなかった。

素直に興味があった語学を大して役に立たないと勝手に思い込み、いくらでも学べる環境があったにもかかわらずまったく生かせなかった。



WEBデザイナーの道を諦め、大学4年生になる直前にプログラミングにトライしてみたくなったが、就活前でプログラミングの授業を取る余裕はなく、向き不向きが分からないまま新卒カードをシステムエンジニアで切って失敗した。紆余曲折しきって本当に自分に合う仕事を見つける前に就活が来てしまった。

資格職は資格さえ取れば学歴に関わらずその仕事に就ける場合が多いが、新卒の時点でその業界に入れないと一生その職に就くのは難しいタイプの職種もあるだろう。早稲田大学卒の新卒カードを持っていた時点で、そういう道に進めるチャンスがあった。親に勧められた教員免許や医療系の仕事に向いていないくらいで卑屈になっていたあの時、他にいくらでも道はあったのだ。

どうでもいい税理士試験や教員免許に余計な時間をかけていなければ、もっと自分に合う方向で新卒カードを切れたかもしれない。職種とは直接関係が無くとも就活で自身を持って語れるエピソードさえあれば、早稲田大学卒の切符を持っている時点であらゆる業界の優良企業に就職できるチャンスがあった。しかし新卒カードを失った今では、それはもうかなわない。


大学生だった当時は、何の資格も持たないまま生きていくのが怖かった。

その不安から、資格が取れるというだけで大して熱意の無いことに中途半端に時間を費やして、結局何も得られなかった。気づけばアラサーにもなって、職無し彼氏無し友達無しの本当に何も無い人になっていた。


一番恐れていたことが、現実となったのだ。



私の母のように、「やりたいことよりも、とにかく確実に役に立つ資格を取っておけばよかった」と言う人もいるだろう。

先述した通り、何でも60点を取れる器用な人にはそれも言えるだろうし、実際に自分の興味とは関係なく「一生食いはぐれが無い」というだけの理由で資格職を選ぶ人もかなりいるだろう。


しかし発達障害がある人は、安定しているとか食いはぐれがないというモチベーションだけで仕事を続けることはできない。繰り返しになるが、発達障害の人が向かない仕事に就くと本当に0点を取ってしまう。無理なものは無理なのだ。


今回の話はすべての人にマッチする内容ではないが、自分が器用な方ではないことを自覚している人には刺さる部分もあるのではないかと思う。

私のように「手に職」を「仕事に直結する資格を取る」ことだと曲解して選択肢を狭めないでほしい。


国家資格が必要な仕事だけでなく、漫画家やイラストレーターも立派な手に職である。

教師や看護師など、いかにも有名な仕事だけで社会が成り立っているわけではない。世の中には、自分が思っている以上にたくさんの仕事があるのだ。

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