ブスは認知よりまず顔を直せ【認知療法は万能ではない】

認知療法とは、問題に対する捉え方の癖を見直すことで、バランスの取れた捉え方ができるように変えていく心理療法であり、カウンセリングにおいてかなりポピュラーな手法である。

ただポピュラーではあるものの、認知療法は万能ではないしむしろ人を選ぶ手法だと私は思う。

先日、Twitterで面白いツイートを見つけた。


醜形恐怖症は、他者からの評価以上に自分で自分をブスだと思い込んでしまう「認知の歪み」が問題なのであり、自覚のあるブスは「外見という一種の能力が欠如しているという事実」が問題でなのである。

醜形恐怖症の人には認知療法が有効だが、自覚のあるブスには認知療法が効かない可能性が高い。

試しに、自覚のあるブスに認知療法を施してみよう。

①「自分はブスである」という認知を変える
ブスかそうでないかの基準は曖昧である。ある人にとってはブスでも、別の人はそうは思わないかもしれない。
しかし、大多数の人がブスだと感じる顔の造形があるのも確かだ。

②「ブス=幸せになれない」という認知を変える
確かにブスでも幸せに生活をしている人はいるし、美人でも幸せになれない人もいる。
しかし、ブスはブスというだけで何もしていなくても悪口を言われやすかったり、条件が良い人との結婚は難しかったり、就職の面接も受かりにくかったりと、あらゆる場面で損しやすいのは事実である。


こうして見ると、認知を変えるより顔を変える努力をした方が早くて確実な気がするのは私だけだろうか。

「認知の歪み」が問題なのか、「何らかの欠陥があるという事実」が問題なのか。問題が違えばやるべき対処も全く異なるにもかかわらず、問題が「認知の歪み」だと決めつけてかかる医師やカウンセラーが非常に多い。

私は認知療法自体を否定しているわけではない。ただ、真っ先に「認知の歪み」の矯正に飛びつくのはおかしいと言いたいのだ。


ブスならまず顔を直す努力をするのが得策である。認知療法が必要なのは、努力ではどうにもならない部分があることに気づいた時だ。

認知療法をするにしても、②のようにブスだという事実は認めつつ、どう対応していくかを考える方がよっぽど現実的である。

①のように、自分はブスだという認知を真っ向から変えるのは非常に難しい。数十年も生きてこれば、自分の立ち位置は嫌でも自覚するだろう。


ところが、①のやり方で攻めようとする精神科医やカウンセラーがこれまた多い。精神医療のプロとはいえ、精神科医やカウンセラーのやり方が必ずしも正しいとは限らないのだ。


精神医療の場では、どうしても「認知の歪み」に問題を帰結させやすい傾向がある。

そういう精神科医やカウンセラーは、「自分は周りの人にバカにされている」「自分はあまりにも仕事ができなさすぎる」など、患者が本人にとってマイナスになる発言をすると、「被害妄想ではないか」「誰にでも失敗はある」など、軽薄なポジティブ思考を押し付けて本人の訴えを否定する。

本当にバカにされている可能性や仕事ができていない可能性をスルーして、とりあえず認知の歪みの問題にしてしまうのだ。

しかし実際は、極端に不器用な人やどこに行ってもいじめられてしまう人は間違いなく存在する。大抵の人は、学校や職場でそういう人を1度は見たことがあるだろう。


実際に認知の歪みに問題がある人もいるだろうとは思うが、認知の歪みにフォーカスしたやり方に違和感を感じる人もいるはずだ。


もし違和感を感じたら、その精神科やカウンセリングには2度と行くべきではない。

初めて精神科やカウンセリングを受診する人は「相手はプロなのだから、ちゃんと信頼して言うことを聞くべきだ」と思ってしまうかもしれない。

しかし実際、精神科やカウンセリングの場は想像以上にいい加減で、技術不足の精神科医やカウンセラーは腐るほどいる。だから違和感を感じたら、自分の勘を信じて別の病院に移った方がいい。



自分の悪いところを自覚するのは決して悪いことではないし、むしろ成長するためには必要不可欠なことだ。それに、マイナスの感情であろうと自分の感情を素直に受け止めないのも一種の自己否定だと私は思う。

何でもかんでも無理矢理ポジティブ思考に変換するより、悪いところは悪いとさっさと認めてしまって、どう対応していくかを考える方がよっぽどポジティブではなかろうか。

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