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「探究とは、何かをプラスするのでなく好奇心をキープする」TCS初代校長・市川力さんと卒業生たちが語る、探究とは?

最近、学校のカリキュラムや学習塾などさまざまな場で耳にするようになった「探究」という言葉。この「探究」の本質を話していく企画が『探究対談』です。

今回お話を聞いたのは、探究型の学びを行うマイクロスクール・東京コミュニティスクール(TCS)に2004年の開校当初から関わる3人。

TCSの初代校長であり『探究する力』の著者であるリキさん(市川力)、2009年にTCSを卒業した初代卒業生であるたくとさん(久保拓人)、たけるさん(小岩傑)が、当時の学校生活を振り返りながら探究について語りつくします。

TCS開校当時は、「探究」なんて言葉はなかった

—— TCSの立ち上げの時の最初のメンバーが、TCS理事長の息子さんであったたくとさんや、たけるさんなんですよね。

リキ:TCSのカリキュラムの根幹が完成する2008年より前にふたりは入学しているし、その頃って、「探究」という言葉自体も打ち出してなかった。「ゆとり教育が学力を低下させる!」という風潮が強く、探究的な学びに対する世間的評価は冷めたものだった。

むしろ僕の中では何もしてあげられなかった感覚の方が強くて、ともに試行錯誤してきた同志という感じだな。

たくと:TCSで学んでいた頃を振り返ると、楽しかった記憶しかないな。もちろん当時は探究が何かも、大人が目指している授業の目的もわからなかったけど、ただひたすら楽しんで学んでいた記憶しかない。今でも役立っているなと思うのが、あるテーマを調べ尽くす「プロジェクト」というカリキュラム。

たける:確かにプロジェクトは今でも活きているよね。でも、当時はどう進めたら良いかわからず戸惑ったなあ。自分でテーマを決めてプロジェクトを進めていく必要があったから。「こういう段取りで進めてください」と言われないと、何をやったら良いか分からなくて。一番苦しかった記憶はあるね。

たくと:当時僕が設定したテーマは、「我が家にとって最適な車はどれか」。ちょうど家の車を買い換えるタイミングで、いろんな車種を調べたり、駐車場に入る車か確かめるために長さを測ったり。

ディーラーにも行って、どうしてこの車が良いか直接話を聞いたりもした。最終的に「こういう要素があるから家に最適な車はこれだ」って、KAZUさん(TCS理事長)に提案したね。それで、その車を実際に買うことになった。

リキ:たけるは喋らない子どもだったけど、当時のことは覚えてる?

たける:うっすらと覚えているかな。

リキ:たけるは喋らなかっただけで、ちゃんと考えていることは伝わっていたよね。TCSは話すことを強要する環境でもなかった。喋らないこと自体は悪くないし、喋らないたけるがダメだみたいな評価は絶対しない。

反面、「この子は喋れない特性なんです」という言い方や、変なかばい方もしなかった。そうじゃない可能性もあるし、「今はたまたま喋らないんだ」と考えていた。そういう意味で、TCSは将来の可能性を早期に限定せずに、今を受け止めていたと思う。

たけるは、すごく面倒見がよかったよね。下の学年の子が気分が悪くなって吐いちゃったとき、すぐにその子のもとに駆けつけて汚れ仕事をさっとやっちゃう。

たける:そんなことあったかな?

リキ:あったあった! ある意味で一番嫌な仕事でもあるのに、そういう風に体が動くのってやっぱりすごいなと思うから印象に残っているわけ。「私がやります」みたいなことは言わないけど、いざというときにすぐ行動していたよね。

得意を突き詰めるのでなく、広く浅くジェネラルに学ぶ

リキ:当時、理事長のカズさんは、「たくとはなんでも器用にこなすタイプだから、好きなことがないんじゃないか?」と心配していたこともあった。でも、突出したものがない状態で小学生時代があっても良いじゃないかと。

その代わり、いろんなテーマを子どもたちに触れさせていた。あれもやってこれもやって…みたいな。それで、子どもたちに合うものが残れば良いっていう考えがカズさんにはあったと思うよ。

こういうオルタナティブな学校だとさ、「得意分野を伸ばしましょう」って何かを際立たせるように言われることも多いよね。でも、TCSはそういう学校じゃなかった。そういう意味で、TCSの学びはジェネラル。この学びのスタイルはTCSの伝統として残っていくのかなと思ってる。

「広く浅く」ってどちらかというとネガティブに聞こえる感じがするじゃない。何かひとつを突き詰めることの方が良さそうな気がするんだけど、僕らは「広く浅くで何が悪い」と思っていた。

だから、子どもを急かさなかったよね。「この子はすごく宇宙に関心があるから、将来宇宙の研究者になるんじゃないか」「この子は昆虫が好きだから、この好きを伸ばして昆虫学者に」というアプローチではなくて、「いろんなことをしましょう」っていう方針だった。小学生時代にいろんなものを見せて、体験させて、多様な蓄積をしてほしいという思いが強かったな。ちょっと欲張りすぎたかもしれないけど(笑)。

たくと:探究という言葉に対して、「何かひとつを突き詰める」というイメージを持っている人もいるけど、僕にとっての探究は「いろんなものに触れること」。TCSでの学びみたいに。

リキ:そうだね。

たける:広く浅くいろんなことに触れることで、将来何か生まれる可能性があるよね。

リキ:TCSの授業では、子どもを観察して待つんじゃなくて、ジェネレーターとして子どもと対等な立場でともに試行錯誤していくことを意識していた。「僕はこうだと思うよ」「それは違うよ」と自分のアイデアや意見を率直に言うし、「こうしちゃえ」と引っ張っちゃうこともあったな。

そうすると、子どもも「おっちゃんが言っていることわからないよ」「もっとこうした方がいいかも」と負けずに素の意見を返してくる。さらに、このやり取りを見ていた他の子もジェネレートされて、お互いにジェネレートし合う連鎖が生まれていく。それで、どんどん面白いアイデアが生まれていくんだよね。

「おっちゃん」は、ジャッジメントしない関係性

リキ:TCSにいたから身についたと思うことはある?

たくと:自分の場合は小学校の途中で転校してきたから、人生の中の4年間しかTCSで過ごしていない。だから自分のすべてがTCSでつくられたとは思っていない。何かしらの基盤はできたと思うけど。

たとえば、誰かに物怖じせず発言できるようになった。今も場所や相手を問わず、ロジカルな視点を持ってどうしてその考えに行き着いたかを説明できる。発言することへのハードルは、一貫して全く感じないかな。たけるは、どう?

たける:TCSに行って、自分の根本にある深層心理的なものがつくられたと思うし、社会人になった今もそれが活きていると思う。何に活きているのかと言われると、ちょっと自分ではまだよくわからないけど…。

リキ:今たくとやたけるが言ったことって、語られているようで語られていないポイントだよね。普通、”小学生時代にこういうことをやってこんな力が身について、それが今こんなふうに役立ってます”っていう綺麗な話になっちゃうじゃん。だけど、そんなもんじゃないよね。

たくと:小学生で探究型の学びをしていても同じような大人になるわけがないよね。今だってたけると自分では別の道を歩いてるし、それが当然だと思う。

—— 保護者はつい学校選びに力をいれてしまいますが、学校での学びよりも、その子どもの元々の性質や家庭環境が、子どもの育ちに影響するかもしれませんね。

たける:TCSに来ている子たちの中には、親子関係が悪い家庭って多分いないと思う。親子で話ができる家庭が多いイメージがあるかな。

リキ:僕が校長をしていたときの率直な印象は、子どもの将来を先回りして心配してあくせくできる余裕のある保護者が多いように感じたね。

校長というよりはおっちゃんとして、「そんなにあくせくしなくても良いですよ」「カリキュラムもどんどん変わっちゃうのは健全。良い意味でいい加減にともに成長してゆきましょう」と話していた。そうすると、保護者の方が「今まで肩に力を入れすぎていたかも。そんなふうに考えなくても良いんですね」とゆったりしてくる。

—— 「おっちゃん」の名付け親は小学生の頃のたくとさんだそうですね。

たくと:そもそもおっちゃんってなんでつけたんだろう。理由はわからないけど、「おじさん」でも「おじちゃん」でもなく「おっちゃん」だったんだよね。おっちゃんは距離感が近いように感じたんだと思う。

リキ:いまだに全国津々浦々でおっちゃんって呼ばれているんだけど(笑)、初めて会った子も「何を話しても大丈夫なんだな」っていう関係性が生まれるマジックワードだね。TCSでおっちゃんと子どもたちという関係性を実感し、おっちゃんという存在に救われる子どもたちがいるということを知ったのは僕の中ですごく大きかった。

—— 「校長」や「先生」だと上下関係を連想させるけど、「おっちゃん」は序列から離れた言葉のように感じます。ジャッジメントしない、されないというような。

リキ:いつ来てもいいしいつ離れてもいい、子どもたちが束縛されない融通の効く関係性なんだよね。ポジションが決まっていない、不思議な位置関係にある。ナナメの関係と言えばそうなんだけど、相手を見ているんではなくて、相手と同じ風景を見ながら、勝手に自分の好きな方に進んでいっちゃう不思議な人。そんな人にはツッコミやすいから安心なんだよ。そういう人がそばにいることが、閉塞感のある今こそ求められているんじゃないかな。


答えがある勉強は、難しくはないが、面白くもない

リキ:TCSを卒業してから中学へ進学したとき、小学校時代のTCSでの環境とのギャップは感じた?

たくと:正直、「TCSではできた探究が、中学ではできなかった」みたいな感覚はなかったな。

たける:自分もなかったと思う。

たくと:「もう探究はTCSで十分やった」っていう感覚だったんだよね。むしろ中学に入学して感じたのは、TCSよりラクだったな〜ってこと。「聞かれたことを正しく答えられたら評価される仕組みだよね、結構ラクじゃない?」って。

リキ:普通、学校で出された問いにはちゃんと答えがある。TCSだと何時間も考えないといけないこともあったもんね。それは、大変だわ。

たくと:中学と高校はテストで点数を取れば評価される仕組みだから、当時は「あれ、TCSで学んだ思考法は要らなくない?」って思った。実際に役立ったのは大学生・社会人になってから。

それまではテスト範囲の内容をしっかり覚えて、それをテストで出し切れば評価された。でも、答えがあるものはそんなに難しくなかったけど、面白いとも思わなかったなあ

足し算型の勉強だけじゃ、探究はできない

—— 今は探究という言葉が至るところで使われるようになりましたね。改めて探究って何だと思いますか。

たくと:僕らが小学生の頃はスマホもなかった。探究の様相は時代によって当然変わっていくものだと思う。だから、その時代に合わせた探究があるんじゃないかな。

当時、僕らはTCSで自由に楽しく学んでいた記憶がある。だから、探究を通して子どもがどういう状態になってほしいかを定めておけばいいんじゃないかな、と。何ができるようになってほしいじゃなくて、どういう状態になってほしいかを定めておけば、そこに向かう方法はいろいろあっていいなと思う。

探究って一言で表せるものじゃないよね。いろいろ動いて初めて、後で探究だったと言えるみたいな感じだと思う。

たける:難しいね。

たくと:探究って教えちゃいけないじゃん。だから、そもそも教えられないものは、自分でやっていくから、個々に差が出て当然なわけであって。でも、国語とか算数とかみたいに探究も学校で評価されることが今は多いから、そこには矛盾があるよね。

探究学習をする意味を考えることが必要だと思う。与えられたものを覚える今の教育だと、おそらく自然に備わっている探究が消されてしまうんだよね。

リキ:まったく同感。僕も「探究しない人はいないんじゃないか?」ってイメージがある。「今日のご飯どうしよう」みたいなことだって立派な探究だよね。

でも、そんな素朴な探究心が教育によって閉ざされたり、消されたりする部分はあると思う。誰もが生きるベースとして作動させている探究心を学校では「動かすな!」と注意されてしまうことも多いよね。それで、どんどん探究心を動かさなくなっちゃう。

たくと:だから、探究は何かをプラスするんじゃなくて、自分の好奇心をキープする学びだと思う

リキ:それはすごく大事なことだと思う。だから、僕は探究を考えるとき「ジェネレイト」という言葉を使っている。自分の中で勝手に生まれちゃうものを大事にしようという思いを込めた言葉なんだよね。

たくと:持っていないスキルを身につけるのではなくて、探究はあるものをあるままにしておくための学習

リキ:まさにそう。

たくと:僕らはTCSでそのままでいれたというか。探究できたからもともとあったものが潰されなかったんじゃないかな。

リキ:それはふたりを見ていて思うよ。小学生時代に自分のベースとして関心を育てて、好奇心を発揮する時間を十分にとっておくと、大人になっても消えない。

どんどん足し算をして身につけさせていくことが教育というイメージがあるけど、すでに身についていることをどう生かすかが実は重要。自由に放置するのではなく、かといって、身につけて対応するのでもなく、身についている力を存分に発揮して試行錯誤するプロセスが「育つ」ということだと思う。

利他や他者評価を意図せず、今、ここの自分に集中する

たくと:何かの力を身につけるために探究をすると考える人が多いけど、実際にどんな人間になるかは人それぞれだと思っていて。実際、僕とたけるって全然違うじゃん。だから、探究でこうなれるっていうのはすごく言いづらいよね。僕はこうなったけど、他の人のことは分からないから参考になるかわからないというのが正直なところかな。

リキ:それを言えちゃうのが素晴らしいね。

たける:何か共通点があるのかな。

たくと:何だろうね。

リキ:TCSの子どもたちは自分がやっていることに対して引け目を感じたりとか、他の子と比べて自分はダメだと思ったりすることがないような印象がある。その辺はどう思う?

たくと:人から見てどうかには一切興味がないけど、自分が何をできるようになったか、自分の成長には結構興味があるな。

たける:人のこととか物事にあんまり興味がないから、とりあえず今生きていければ大丈夫って感じでいるかな。

リキ:ふたりとも同じことを言ってる。やっぱり他者評価を気にしないよね。他の人から言われたことで何かを決めることがないんじゃない?

たくと:人は人それぞれだから。

たける:そうだよね。

リキ:「いま、自分がこういうことをしたいと思っているからやっているだけ」と言い放てるところがすごく魅力的だな。

たくと:もしかしたら自分のやっていることは全然誰の役にも立たない可能性もある。でも自分がやりたいことに集中したい。探究も似ていて、結構盲目的なところもあるかもしれない。

リキ:すごく大事なポイントだと思う。探究って、始めからいわゆる利他を意図しているものじゃないんだよ。他者に興味がないと言っても、困っている人が目の前にいたら率先して助けてしまう。つまり、今起きていることに対して敏感。フットワーク軽く、融通をきかせて行為できちゃう。

「誰かを救いたい」と口では言えても行為はしない人が世の中の大半。そういう場合、同調圧力や他者からの期待に応えているだけだから、いざというときに世の中の流れに対抗できない。そうではなくて、まずは自分ができる範囲のことを着実にこなして、その時々にみつかったちょっとした関心をベースに、変に周囲に合わせずわが道を進む。TCSの卒業生ってそんな感じがする。今みたいに、ポピュリズムや他責が蔓延している世の中において健やかで、難しい道を飄々と歩んでいるんだな。

—— 先生などの評価者がいたら、子どもはその人のことを気にして、関心が外に向いてしまう気がします。「おっちゃん」のようなジャッジメントしない大人がいることで、子どもたちは自分に集中できるのかもしれないですね。
今日は3人揃ったことで、いわゆる学校の先生が語る「探究的な学習」とは違うお話がたくさん聞けたなと思います。ありがとうございました!

文:田中美奈

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