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「補習を減らして、偏差値が上がった」武蔵野大学中学/高校校長・日野田直彦さんに、学校を元気にするコツを聞いてみた。

「今の学校教育はダメ」と批判するのは簡単だけれど、じゃあ学校を元気にしていくにはどうしたらいいのだろう? そんな問いに向き合い、挑み続けてきたのが、日野田直彦さん。全国最年少の公立学校校長を経験し、現在は武蔵野大学中学/高校の校長として活動しています。

「フラットに議論ができない」「オーナーシップや自信がない」などの典型的な日本型組織であったという学校を、どのように変えていったのでしょう。

さまざまな探究賢者とQ責任編集・炭谷俊樹が対話する『探究対談』第2回目では、前編・後編に分けて、学校を元気にする秘訣を紐解いていきます。

日野田直彦
1977年生まれ。帰国子女。帰国後、同志社国際中学・高校に入学し、当時の日本の一般的な教育とは一線を画した教育を受ける。同志社大学卒業後、馬渕教室入社。2008年奈良学園登美ヶ丘中学・高校の立ち上げに携わる。2014年大阪府の公募等校長制度に応じ、大阪府立箕面高等学校の校長に着任。着任後、全国の公立学校で最年少(36歳)の校長。着任3年目に入り、海外トップ大学への進学者を含め、顕著な結果を出す。2018年より武蔵野大学中学/高校の校長に着任。著書『 なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか! ?』がアマゾンベストセラー(学校教育一般)。

炭谷俊樹
神戸情報大学院大学学長、ラーンネットグローバルスクール代表。1960年神戸市生まれ。マッキンゼーにて10 年間日本企業及び北欧企業のコンサルティングに携わる。 新人コンサルタント採用・研修の責任者も担当。デンマークの社会や教育に感銘したことがきっかけとなり、阪神・ 淡路大震災後の1996年、神戸で子どもの個性を活かす 「ラーンネット・グローバルスクール」を開校。1997 年、大前研一氏とともに企業のビジネスリーダー育成事業を創業、2005年よりビジネス・ブレークスルー大学大学院経営学研究科教授(2010年より客員教授)。2010年に神戸情報大学院大学学長に就任。3歳の幼児から 企業のエグゼクティブまで幅広い年齢対象で、探究型の教育を実践している。東京大学大学院理学系研究科修士(物理学専攻)。著書に『第3の教育』(角川書店)『ゼロからはじめる社会起業』(日本能率協会マネジメントセンタ ー)などがある。学びを探究するメディア『Q』責任編集 。


1.人生は逆張りした方が価値があがる

── 箕面高校や武蔵野大学中学/高校での話もあとで聞きたいですが、今日は日野田さんが子どもの頃の話から聞いていきたいです。日野田さんは、帰国子女なんですよね?

10歳から13歳まで、親の仕事の都合でタイに住んでいました。タイでは、ウィークデーが日本人学校、アクティビティがインターナショナルスクール。14歳から18歳は同志社国際という中高一貫校に通いました。日本の一条校だけれども在籍生徒のほとんどが帰国子女で、放牧場みたいに自由な校風でした。

大学も同志社ですが、当時は就職氷河期やった。いろいろあったんですけども、塾に就職したんですよ。「日本の教育を知らない限りは教育現場に立てないな」と思ったのもあります。

── 「教育現場に行きたい」っていうのがベースにあったわけですか?

IT分野に行くか、教育分野に行くかで悩みましたね。インターナショナルスクールへの就職がほぼ決まってたんですが、実はインターナショナルスクールでの教育のあり方が嫌いやったんです。あまりにも自由すぎて、何のサポートもないモヤモヤ感があった。だからすんなり就職したいとも思えず、いろいろ悩んでいました。

すると師匠と慕っている人から「自分と全く対極で、体験したことないことを20代の頃にしたほうがいいよ」とアドバイスをもらって。それで、いわゆる”日本の教育”を経験するために、塾に就職したんです。

── ”日本の教育”を初めて見て、どうでした?

最初の3年間は感動しましたね。日本の教育はシステマチックで、60万人も教員がいる中で、どこに行っても誰がやっても最低限の質が担保できるようになっている。

でも3年ぐらいたって、正直言うと飽きてきたんですよ。何に飽きたかっていうと、まず受験を一点勝負でやってるのがナンセンス。受験と、その人の本質的な賢さや社会貢献度には全く相関性ないよね、と。

── 今の受験で見えないことは多いよね。

それから、気持ちが疲れてて勉強したくない子いるじゃないですか。その子に無理やり勉強させるのは、風邪引いて食欲がない子にいきなり「ステーキ食え」と言ってるようなもの。その強引さが嫌になってしまって。相手の気持ちは無視して、「とりあえずこれやったらいいねん」っていうアリバイ主義がしんどくなってきた。

それで塾は退職しました。その後、「海外進学を目指す学校を作る」という私立の学校に行きました。そこで、4年目くらいから組織と教育のあり方に大きな課題を感じるようになってしまったんです。

例えば、エッセイが書けて社会貢献性が高くないと海外進学は難しいので、自己理解や他者理解、哲学、オープンマインドセットが必要ですよね。インターナショナルスクールでは、授業の最初の10分で自己開示の時間があって、ドラマやダンスや音楽など、生徒が自分が好きな手段で自己表現をするんです。

ある日それを社会科の授業でやったら、周りの先生から「授業中に何を遊んでんねや」って言われたんです。

── 遊んでんねや?

不思議でしょ?聞いたんですよ。「学びと遊びの境目ってなんですか」「遊んじゃダメなんですか」って。そしたら「黙ってじっと座らせて点数とらすのが勉強や」って。

── おお…。

「それはそれで理解はしてるんですけども、そういう子はこれからの時代では対応できませんよ」と返したんです。そしたら怒られまして、とどめに「勉強は勉めることを強いることやから、楽しくなくていい。点数さえとらせたらええねや」って言われて。日本は恫喝社会なのかな?と思いましたね。

他にもおかしいなあと感じることは、いろいろありました。僕は日本の体育祭って、軍隊みたいだと思ってるんです。全員で行進したり、生徒全員を直立不動にして注目させて校長先生が偉そうに喋ったり。応援合戦もよくやってるけど、校長先生に向かってする。校長先生が拍手して、誰のためのイベントなんやろう?

組体操だって、軍事教練だと思うんですよ。するかしないかを議論してるけど、組体操をすることのおかしさに気付いてないのかなぁって。日本的な教育を受けてこなかった自分には、全部が違和感でしたね。

── 日野田さんと初めてお会いしたのは、そういう苦労をされてる頃だったんですね。

ほんまにこれでよかったんかなって、人生悩んでる頃でした。このままこの学校にいれば人生も安定するんだろうけど、絶対違うなって思ってた。炭谷さんが『第3の教育』を出された時に読んで知っていたので、会いに行かないとと思って、会いに行かせてもらいました。そこで背中を押された感じでしたね。

── それで大阪府の民間校長に立候補された。

そうですね。実は当時、公募校長が立て続けにクビになったタイミングでした。だからこそ外部人材としての「校長」が何らかの形で実績を残さないと制度的になくなってしまう。また、当時30~40歳の教員人材が全国的に少なく、今後管理職不足が発生することが見えていました。そのため、30代でも校長はできる、ということを残すためにも、大阪府の民間人校長の公募試験を受けたのが、2013年。当時36歳で、現役の民間人校長で最年少でした。

── やっぱり逆張りなんですね。普通の人が行きたくないところに行くと。

行かないと、インパクトは出せない。「人生、逆張りした方が価値が上がる」というのが、僕の師匠の教えでもあって。僕の人生は逆張りばっかりですね。だいたい宝物はみんなが行かないところに転がってますからね。炭谷さんもそうじゃないですか?

── 僕はどっちかというと、好きなようにやりたいタイプかな。逆張りで戦って行ける人はすごいなって思います。

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2.オーナーシップで、先生も生徒も元気になる

── 箕面高校の校長になってみて、どうでした?

行ったばかりのときはほんと大変でしたね。着任してすぐ、大阪府の「骨太の英語力養成事業」の指定校になったことを聞かされました。「TOEFLを受けさせなさい」「海外大学へ進学させなさい」「来年から時間割を変えましょう」といったハードな要求が、一気におりてきた。

それを実現するために、すぐに改革に取組む必要があって。でも学校は典型的な日本組織だし、先生たちの平均年齢も54歳で、先生同士の仲も悪かった。職員会議でも議論はできずに、非難や批判ばかりしている状態でした。

── それで改革を進めるって、相当難しいですよね。

なので、まずはヒアリングから始めましたね。先生達1人ずつに、順番に「何か困ってることはないですか?」「最近、大丈夫ですか?」と話を聞きにいって。最初は誰も話をしてくれませんでした。でも僕はしつこいし絶対負けないので、順番に1人1人、お菓子とコーヒーを持って回って。徐々に心を開いてもらって。

── 「いじめられて困ってる」とかそういう話も出てきたわけですか?

10件どころじゃなく、いっぱい出てきました。誰と誰が揉めてるとかもいっぱいあって、それを順番に、丁寧に聞いていきました。

── 先生方同士の関係性の問題って、実はいろんな学校でありますよね。

今の学校に来たときも、最初はほんとに大変でした。優秀な先生がどんどん辞めていくので、先生たちが全員下向いてる状態で、生徒も自信がない。なので、困ってることとやりたいことを個別にヒアリングすることと、サマーやウィンターのワークショップをする所からはじめました。

── やりたいことを、ひとりひとりに聞いていく。

そうです。僕が校長になった理由は、先生方に元気になってほしい、生徒に元気になってほしいだけやった。別に海外進学させることが目的じゃない。ほんとに日本全体が元気がないじゃないですか。ワクワクいきいき元気になってもらうことさえすれば、あとは勝手にしてくれたらええと思ってるので。

子どもたちも、自分の人生の舵を自分で握ってくれる子になってくれさえすれば、結果として寿司屋になろうがハーバード行こうがどっちでもええと思うんですよ。自分の人生のオーナーシップをもっと持ってほしい。日本では生徒達にオーナーシップを持たせないですよね。

── 同感です。ラーンネットでも、子ども達が自分で選択し、自分で納得感と責任をもって人生を歩んでいくことを大事に考えてますね。

現場の先生にも、「失敗したら僕が責任とるから何をやってもOKですよ」と伝えてます。生徒に被害がない限り、何をやってもいい。これも先生たちに、オーナーシップをもって仕事に取組んで欲しいからです。

従来の日本型の組織だと、自分が本当にやりたいことをやると「調子のってる」と攻撃される。それを避けるため、組織の意味のないルールや伝統が仕事をする上での判断軸になってしまう。今の武蔵野では、先生たちも安心して自分たちが必要だと思うことを勝手にやってはりますよ。

── 確かに日本の学校にいると「これまでやってきたんだからやるべきだ」っていう思考が、すごく多い気がしますね。

たぶん日本の特性も関係してると思います。99%の人間はコンサバでいたい。でもそれは、短絡的な安心だと思うんですよ。

聖書に書いてあるノアの方舟と一緒です。「洪水がくる」と警告する先見的な人たちがいて、でも大半の人たちはそれを信じたくない。日本の企業がグローバル化してると言われてても、「そんなことはないはずだ」「自分は逃げ切れる」とまだ思ってる人たちがいる。それは自分が楽な方、安心な方を短絡的に信じてしまってるからだと思うんです。

── 「同じ事やってると安心」という性質があるかもしれないですが、それだと新しいものが生まれないですよね。

あとでわかったことなのですが、Facebook創業メンバーの一人が、高校時代のつながりだったので、身近でその雰囲気を知ることが出来ていたように思います。当時のシリコンバレーでは「ノアの方舟」というキーワードがよく出ていたんです。

30年後にシンギュラリティがくる中で、人類が次のステップにあがるためにはどうするか。それを面白いと思える人間、ノアの方舟に乗る人間を探しまくろうって。それが20代の時から使命でした。

今もずっとやり続けてるのは、変化を面白いと思える人間になってもらいたいことなんです。「大丈夫、舟に乗っても行けるよ」「変化を怖がらず、乗った方が幸せになれるよ」と背中を押すのが僕の役目かなって思ってるんです。

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3.補習を減らしたけれど、偏差値は上がった

── 先生や生徒に、主体性を持ち直してもらうようなことを、ずっとやられてきたわけですね。

先生たちに「大学進学の実績は僕の方で責任とるから、気にしなくていい。とにかく生徒を元気にさせましょう」と言ってオーナーシップを大事にしてもらったら、成績が倍以上になったし、偏差値もえらいあがって。

学校見学の人数も、えらい増えました。前は月に15人位だったけど、今は月に2000人位は来てくれる。先生たちがキラキラしてて、それを生徒たちが外で宣伝してくれるから、人が集まるんですね。

ついに学校の体験授業も、生徒たちが自分たちで「やりたい」って言いだして。これも、生徒たちにオーナーシップが育ってきているからこそですよ。どんどんやって欲しいなと思ってます。

── それはいいですね。先生たちは、どう変わりました?

一番はっきり変わったのは、仕事が楽しいって思えるようになったことだろうなと。僕が言うと嘘くさいんですけど、職員会議に笑いが出るようになりました。

── 職員会議が楽しそうかどうかって、いい学校かどうかの指標の1つになると思います。ラーンネットも前に取材を受けたとき、「こんなに先生たちが笑ってる職員会議は見たことない」って言われました。

外部から講師を呼んでいろいろなプロジェクトやワークショップなどを開催したり、外の人にも積極的に入ってもらっています。先生たちは「こんなやり方もあるんですね」と刺激になっているようです。

小さな成功体験を先生たちが積み重ね始めているし、クリエイティブに何でも始めてみようというやる気があって、元気です。

── 外部から刺激をもらうというのは、学校内に閉じがちだった先生たちにとって、非常に大事ですよね。でも新しい取組みを進めるには、最初はすごい反発があったんじゃないですか?

もちろん最初はありました。補習や補講もいっぱい入ってたのを全部やめたんですが、親から「勉強の時間が減って大丈夫なのか」っていっぱいクレーム来ましたし、先生方も「これで本当にいいんですか」って不安そうでした。

でも結果をみたら一目瞭然。ベネッセの学力推移調査では、偏差値55の子が3倍以上に増えたんです。「こんなこと起こるんや」ってみんな目が点になってはります。

── 学びの原動力は、やる気や気持ちってことですよね。やらされる時間じゃない。

そうです。偏差値で測った学力と、学びにかける情熱が逆の時もありますね。偏差値で測った学力が高かったら学ぶ意欲も高いとは限らないし、逆もしかり。最初は偏差値が低くても学ぶ意欲が高い子なら、いつのまにか偏差値でも追い抜いていたりします。やっぱりパッションがあると、伸び率って全然違うんやなって。

── 好奇心に火が付くと、グッと伸びる子っているんですよね。

昨日も先生たちと「成績って結局なんだったっけ?」という話をしました。一条校として成績を付けざるをえないので、どうやって成績つけていこうかと悩んでいて。かなりセンシティブな問題ですよね。

今までは履修第一主義で、クラスの中での進捗をもとに成績でフィルタリングするというやり方でした。でも個別最適化されちゃうと、クラスという単位で成績つけることすらナンセンスやないですか。5段階評価でつけると言っても、母集団が違ったら5段階の位置づけなんて全然意味がなくなる。

── 成績って、やっぱりつけなくちゃいけないんですか?

法的にはつけなきゃダメなんですよ。数年間保存しなくちゃいけないというのも決まってます。でも、そもそもそれが是が非かっていう議論からしてかないかん時代がくるなと思います。

あと理想と現実はあると思ってて。やっぱり大学受験の実績を見せない限りは、インパクトは出せないとも思ってるんですよ。本音では、サバイバリティをつけてもらって「宇宙空間でも生きてけます」みたいな子たちになってくれたらいいなって思いますけどね。

後編はこちら




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