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今日も届かない手紙をそっと抱きしめて



これは人生のどん底から私たち家族が
復活するまでの物語。

***

私と私の家族が背負った、
人生最大の後悔。
 
それは、あーちゃんの死に目に
会えなかったことである。

あーちゃんの死は突然、
何の前触れもなく訪れた。
 

あーちゃんとは、私が約22年間
共に暮らした祖母の愛称だ。
あーちゃんは共働きの両親に代わって、
私と妹の世話を一手に引き受けた。
よって幼いころの思い出の大半を
“あーちゃん”が占めている。

朝は、あーちゃんの歌声で目が覚める。

「おっはよ、おっはよ、あっさがきた〜♪
チックタックチックタックボーン、ボンッ!」

歌いながらあーちゃんがカーテンをひく。
優しい朝の光が部屋に差し込んで、
自然と瞼が持ち上がる。  

ぼやけた視界が徐々にハッキリしていき、
一番初めに目にするのは
「よく寝れたか?」
と私を覗き込むあーちゃんの優しい顔。

「おはよう、何かいい夢見てた」

こうして私の1日は幕をあける。


保育園へ行く時間になると、 
自転車の前後に私と妹を乗せて
送ってくれる。

保育園が終わり、私たち姉妹を
迎えに来るのもやっぱりあーちゃんで。
帰り道の途中にある小さな公園に寄り、
三人でよく一緒に遊んだ。
家に帰れば、大好きなあーちゃんの
手料理が待っている。

でも小学校に上がると、
時々あーちゃんのことが
面倒くさいなぁと感じることも出てきた。

小学生時代は本当に遊ぶことが毎日の
仕事で、学校も友達に会うために
通っていたようなものだし、放課後や
土日はご近所に住む同級生と
その兄弟姉妹たちがワラワラ集まって、
一緒に色んな遊びを開発した。

中でも「探検隊」と称して、
穴という穴に潜り込んだり、チャリで
行けるとこまで突き進んでみよう!
みたいな今思えば訳が分からない遊びが
当時の私達にはすごく面白くて、
泥だらけになったり、かすり傷を
彼方此方つけることになっても平気だった。

だけど、家で私の帰りを待っている
あーちゃんはそうではなくて。

まず、家に帰ってきた泥だらけの
私の姿を見て発狂する。

きれい好きのあーちゃんからすると
耐えられなかったのだろう。

またあーちゃんは、とにかく心配性で。
5時に帰るって言って、5時を少しでも
回ると玄関前でソワソワしながら
私の帰りを待っていた。

「5時には帰ってきなさいって言ったのに、
遅いやないの!心配したんやから!」

ってすごい剣幕で言われるんだけど
その時、5時5分とかで本当にちょっと
過ぎただけなの。

当時はどうしてこんなに怒られるのか
分からなくて、すごくモヤモヤしていた。

でも今なら分かる。
両親が共働きで二人とも朝早く出て、
夜も遅かったから1日の大半は祖父母と
過ごすことになる。

祖父母は親代わりとなって私を育ててくれた。
親の責任を一手に引き受けていたからこそ、
あんなにも心配してくれていたのだろう。

それでも変わらずあーちゃんの
温かい手料理が大好きだったし、
シワシワの手やプニプニした二の腕、
お腹周りをスリスリするのも
日課であったし、当時飼っていた犬、
クロの散歩を一緒にする時間も楽しかった。

高校生になり、朝早く家を
出るようになってもあーちゃんは
一番に起きてお弁当を用意してくれていた。
決して文句も言わず、自分のことは
後回しにして、いつも家族の幸せを
最優先に考えているような人だった。

そんな神様みたいな人だったから、
自分の最期を家族に
見せたくなかったのかもしれない。

ある日あーちゃんは、
たった一人でそっと旅立ったのである。

突然の別れは、私たちをどん底に突き落とした。

「ただいま」と家に帰れば、
「お帰り」と温かく迎えてくれる。
そんな優しい日常が突如、消えてしまった。
かつては誰かがいるぬくもりが
感じられた家であったのにあーちゃんの
存在が消えてからは真っ暗で冷たい
無機質な建物に恐怖すら覚えるようになった。

家族一人一人が深い傷を抱えていたが、
それでも明日はやってくる。
いつまでも落ち込んではいられない。
私と母と妹は、努めて明るく過ごした。
たとえ空元気であったとしても、
家族以外の人たちにいらない心配を
かけたくはなかったから。
何より、明るくしていないと
悲しみの闇に囚われそうだったから。

だが、父はそれができなかった。
あまりみも深く傷を負ってしまっていたのだ。

あーちゃんは、父方の祖母だった。
母親を亡くし、しかも死に目に
会えなかったそのことが父を大変苦しめた。
当時、父はまだみんなが寝静まっている
時間帯に家を出て、夜中に帰ってくるという
めちゃくちゃな働き方をしていた。
そのため、あーちゃんとゆっくり話す機会が
ほとんどなかったのだ。

父は、ひどく沈み込んだ。
夜は眠れず、ついには会社にも行けなくなった。
もともと気分に波がある人だったため、
あーちゃんが亡くなってからは、
とことん落ち込み、笑わなくなった。

私たちは何とか父を励まそうと色々と試みてみたが、上手くいかなかった。
その場では、少し笑顔を見せても
気がつけば、暗い目をする。
その寂しげな表情がたまらなかった。

そんなある日、思いがけない出会いが
父を救うことになる。

六月に誕生日を迎えた母を祝うため、
久しぶりに母と出掛けた父。

出掛け先は、京都だった。

「京都に行くならさ、天狼院寄ってきなよ!」

私のお気に入りのお店を二人に紹介する。
元々本と書店が大好きな私は、
お気に入りの書店を見つけるべく、
学生時代より津々浦々旅をしていたのだが、
小さいながらも店主が拘って
よりすぐりの本たちをセレクトしている
素敵な街の本屋がたくさんある京都は、
とくに好きな場所であった。

そしてその中でも「日本一、話しかけに来る書店員がいる本屋」と謳っているこの書店は、コンセプトがとにかく斬新で初めて知ったときから、何か強烈に惹かれるものを感じたのである。


「あ、そこいつもあんたが話してるところやろ? 一回行きたいおもててん。ちょっと覗いてみるわ。ね、パパ」

 




天狼院書店
天狼院書店が提供するのは、
「READING LIFE」という新しいライフスタイル。
「本」だけでなく、その先にある「体験」までを提供する次世代型書店です。


実は、このちょっと変わった書店が
後の私の初めての就職先となるのだが、
その話はまた機会があれば。


そして京都へと出かけていった両親は、
その日初めて天狼院書店に足を踏み入れた。
その時、救世主となって父の前に現れたのが当時、まだオープンして間もない頃の京都店で働いていたある女性スタッフさんだった。

何かおすすめの本がないか尋ねた父に、彼女が紹介したのが川口さんの『コーヒーが冷めないうちに』であった。

『コーヒーが冷めないうちに』


実は、父は小説を全く読まない。父が読む本と言えば、専ら専門書やビジネス書の類だ。父は小説に対して、「現実離れしているもの」だという偏見をずっと持ち続けていたのである。

だがこの時、彼女はこの本がいかに良い本であるのかということを父に力説したのである。その熱心さに心を動かされた父は、初めて自ら小説を購入するのであった。

その次の日、小説を真剣な顔で読んでいる父の姿を目にした私は、仰天した。さらに驚いたことに父は、購入したばかりの小説を僅か数日で読み終わったのだ。

「すごいよかった。こんなにええもんならもっと早く、読んどきゃよかったな」

『コーヒーが冷めないうちに』は、何かしら後悔を残した登場人物たちが過去に戻って、奮闘する物語なのだが、母を亡くした自分に重なったことも相まって、余計に感動したのだろう。

そのことがきっかけで父は、小説を読むようになった。それに伴い、家族の中に今まではなかった文脈の会話が生まれるようになったのだ。小説が話題の中心となって、弾む会話。

あーちゃんがいなくなって失ったものもあるけれど、その後の出会いがまた新たなものを与えてくれる。

生きていれば辛いこともあるけれど、
楽しいこともたくさんある。
新しい出会いのきっかけを
提供してくれた彼女は、
私たち家族のヒーローなんだ。

***


あーちゃんがいなくなってから、
6回目の初夏を迎える。


改めて今の素直な気持ちを貴女への
手紙に託して此処に残しておこうと思う。


親愛なるあーちゃんへ

貴女の死は、私たち家族を
どん底に突き落として苦しめたけれど、
新しい出会いも運んできてくれました。

今、お元気ですか? 
足はもう痛くないですか?

元々社交的だった貴女はきっと、 
空の上でもいろんな人と仲良くなったり、
お節介をやいてまわったりしているのでしょう。

フォークダンスは踊っていますか? 
貴女がダンスの練習に行く時に来ていた
膨らんだ袖のブラウスと
くるくる回る度にふわっと広がる
スカートが昔、すごく好きだったなぁ。
小さいながらに憧れたことを今でも
覚えています。

貴女が居なくなってから、それぞれが
大きな悲しみを背負うことになり、しばらくの間はどうしようもなく辛かったです。


なんの前触れもなく突如涙が溢れてきたり、
何も話してくれなかった貴女に怒りもした。 
仏壇の前でそんな黒い気持ちを
ありったけに込めて吐き出してみたりも
したけれど、当然貴女からの声は届かなくて。

だけど、今。
私たちはたくさんの人たちに支えられながら生きています。ずっと前からお世話になっている人、友人、先輩に先生方、職場の同僚や上司、後輩……。

貴女と悲しい別れをした後も
たくさんの新しい出会いがありました。

会う人、会う人が本当に素敵な方たちで
お一人おひとりが今、私にとって
かけがえの無い宝物のような存在です。

思えば、貴女との別れが
かつてからの縁、新しい縁を繋いでくれた、
手繰り寄せてくれた気がしてなりません。

私達があまりにも現実世界で
悲しんでいたから、
きっと心配性の貴女が
「せめてもの贈り物を」と素敵なご縁を
つれてきてくれたのでしょう。

感謝しています。
こんなにも素敵な人たちに出会わせてくれて
ありがとう。

貴女の死は、私に大切なことを
教えてくれました。

「大切な人には必ず伝えられるときに
直接素直な想いを伝えること。感謝の気持ちを表現すること。次に会える保証はどこにもないから、会えるときにはちゃんと会いに行くこと」


貴女は昔から、
私の一番近くにいる人だったから、
いつだって気持ちは伝えられる、
と油断していたの。

だけど今日、明日何が起こるか分からない。
もしかしたら、不慮の事故に合うかもしれない。
突然、心臓発作で倒れるかもしれない。
明日を保証してくれるものなんて
どこにもないんだってことに気づかされたんだ。

だから、"今"を全力で生きることにしました。
今、この瞬間に精一杯命を燃やそうと
決意したのです。

でもね、今、こちらの世界は誰もが予想を
していなかった大混乱に巻き込まれています。
ウイルスが蔓延して、世界中で毎日
数え切れぬほどの死者が出ているのです。
信じられないでしょう?
 
今までの日常が非日常に変わりました。
マスク生活が「当たり前」になりました。

気軽に出歩くことが難しくなりました。
海外旅行へ行くなんてもってのほか。

少なくとも元の日常に戻るまでに
3年はかかると言われています。
それも確かではないので、もしかしたら
もっと長いお付き合いになるかもしれません。

現実的に「いつだって会える」が難しい
状況になったのです。

だから今は、ちょっと物足りないけれど
オンラインで繫いでお話をしたり、電話したりして、想いを伝えています。

やろう、やろうと思いながら手につけられていない手書きの手紙も今度はちゃんと送ってみようと考えています。

直接会いに行くことは難しい今だけど、
想いを伝えることは可能です。

因みに殆ど(というか全く?)恋愛経験のない私だけれど、もし本気で好きになった人が現れたとしたら、きっと黙っていられないだろうなぁ、と思います(笑)

ちょっと相手を困らせちゃうかもしれないけどね。でも私は結果がどうであれ、伝えない方が後悔すると知っているから。

伝えられなかった言葉を後悔しながら
抱えて生きていくよりも、思っていることを、相手の素敵なところを、大好きなところをちゃんと伝えてから前に進みたい。

とにかく、私が大好きな人たちに
ちゃんとその想いが伝わるように
言葉にしよう。

今まで出会ってきた人たちも
これから出会う人たちにも。


そして、もう少しこの状況が落ち着いたら
今度はちゃんと自分で会いに行くよ。

会いたい人に会いに行く旅

これが実現する日を夢みて、
今はできる限りの最善の方法を探しながら
新しい日常も楽しもうと思います。


いつかこの手紙を貴女に直接渡せる日が
来るまで、この世界で私らしく
生きていきます。

ちゃんと応援してくださいね。
どうかお元気で。

また会えるその日まで。


           

           愛を込めて のん

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