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厨二病の感想

まず、厨二病があった。

私はいつからか厨二病で、以下に厨二病に関する見解、患って生きてきた感想を述べていく。

いくから厨二病なのか、きっかけはわからない。
でも、今も刀を持てば万物を断てると思っているし、頑張れば拳でクマを撃退できると思っている。

それはなぜなのか。以下の三つに分けて考えていく。

1,単純に人生経験が浅い

1について、人と喧嘩する機会は無いし、パワーを測定する機会というのもなかったから、未確定であることに無限の可能性を感じている。
これが大きな厨二病患者の特徴だと考える。

一般人が「わかんないけど多分できない」と思うところに、「いや、もしかしたらそれの才能が俺には眠っていて、、、」と思うかどうか。
しかし、これはある程度社会に生きていればわかることで、大抵のことは平均のちょっと上か下なのだ。
それをまだ身に染みて理解していないというところが人生経験の浅さであり、厨二病発病の原因だと考えられる。

2,努力が嫌い

過去の偶然の成功体験に縋っている。
先天性のものに期待しすぎているのだ。

ライトノベルを(表紙だけでも)見ればわかるが、主人公が長年努力してやっとの思いで最強になった、という展開はメインコンテンツではない。基本、最初から最強なのだ。
初めて触った剣で敵を薙ぎ倒せるし、気がついたら手からでかい魔法が出せるのだ。

それに憧れるのはまだ厨二病では無い。むしろ普通だ。
ここで、自分に適応してしまうのが厨二病なのだ。
「じゃあ俺もなんかでは最強なんだな。」
と思ってしまうのが厨二病なのだ!

これがどうしてかというと、そう考えることで努力する必要がなくなるからだ。
何かで最強ということはその才能が見つかり次第、無限の金が手に入るから何の努力をする必要もないのだ。生きるだけ。

こういう、変にプラスな志向に、努力をしない理由を持っているのが厨二病だと考える。

3,自分が好き

上二つに通づるところがあるが、厨二病というのは結局、自分の嫌なところを見ないように生きているのだ。

過去の成功体験に縋ったり、発現していない才能とか、自分に無謀なほどに期待している。

これらをまとめて考えた時、
見えていない自分に期待して、現在を消費できる精神構造、これが厨二病なのではないかと考えた。

そしてこれが、厨二病のちょっと見ていられない感じの言語化なのではないか。
就活してない大学生とか、勉強してない浪人生とか。目的が確立されているのに、努力を放棄して、しかし根拠のない希望だけはなぜか持っている。


おわりに

ほぼエッセイである。

小学生の時には、昼休みに剥製を見ていたし、高校生の時には傘で戦闘の準備(傘を早く構える方法を考えたり)をしていた。

今は新たな学問を立ち上げたいとか、音楽で売れたいとか、魔法を使いたいとか思っている。

ちなみに何の準備もしていない。
勉強はしていないし、音楽は作れないし、杖は持っていない。




でもまだやったことがないということは、できるということかもしれない。


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