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2つの米中危機はなぜ起きたのか? キッシンジャーと中国

米国の著名な元外交官であるヘンリー・キッシンジャーは先月、次のように語りました。

「アメリカと中国はいま、ますます衝突に向かっており、対立的な外交を展開しています。危険なのは、なんらかの危機がレトリックを超えて、実際の軍事衝突に発展するかもしれないことです」

バイデン大統領の下で米中関係は改善するとの見方があります。しかし、米シンクタンク(CSIS)の調査によると、「米国にとっての最大の脅威」として、「中国」を選んだ米国民は54.2%に上ります。つまり、米国世論の対中認識は悪化しており、引き続き、米中の緊張関係は続くでしょう。

核兵器を保有する米中が全面戦争に陥らずとも、中国周辺で危機が発生する可能性はあります。実際に今まで米中は幾度となく軍事的危機に陥ってきました。今回は、米中の軍事衝突の歴史について投稿します。

米中の歴史とキッシンジャー

今回は前出のヘンリー・キッシンジャーの著書「中国」を主に参考にします。内容は中国寄りの印象ですが、実際に第一線で対中交渉を行ったキッシンジャーの言葉には重みがあります。米中関係に関心を持つ人にとっては必読書です。

2つの米中危機

今回は2つの米中危機を取り上げます。「朝鮮戦争」と「第一次台湾海峡危機」です。約70年前、中国は米国と比べ遥かに弱い国でした。米中の戦争など考えられない時代です。しかし、それでも米中は軍事衝突しました。キッシンジャーは次のように述べています。

「北朝鮮が南に侵略する前には、国共内戦からようやく脱したばかりの中国が、核武装した米国と戦争をするとは想像もできなかった。」

当時、なぜ脆弱な中国は米国との軍事衝突したのか。現在の米中関係を分析する上でも重要な問いです。

囲碁と孫子

キッシンジャーは著書の冒頭で中国の外交戦略の根底に「囲碁」と「孫子の兵法」があると指摘しています。

・チェスと囲碁

中国と米国の戦略思想の違いは、両国のゲームに現われています。チェスは短期決戦で完全な勝利を目指します。他方で囲碁は長期戦で相対的な優位を追求します。中国の戦略は囲碁的な発想に基づいており、一回の衝突に全てを賭けるのではなく、何年もかかる巧妙な戦術を好みます。

・孫子の兵法

中国の戦略思想の根幹には「孫子の兵法」があります。西欧と孫子の戦略思想の違いは、西欧が純粋に軍事的な事柄を重視するのに対し、孫子は心理的、政治的要素に重点を置いている点です。キッシンジャーは「彼(孫子)の教えに無知だったことが、米国がアジアでの戦争に苦しんだ大きな理由であると言ってもいいだろう」と述べ、孫子の兵法の重要性を指摘しています。

毛沢東とスターリン

・二大共産主義大国の関係

米中の関係を語る上で、まず中国とソ連の関係を理解しておく必要があります。1949年、毛沢東は国共内戦を経て、中華人民共和国の成立を宣言しました。その二ヶ月後の1949年12月16日、毛沢東はモスクワに旅立ちました。共産主義大国のソ連と同盟を形成するためです。しかし、毛沢東のモスクワ訪問は失敗に終わります。スターリンと毛沢東という二人の共産主義の独裁者が、簡単に協力関係を結ぶことはありませんでした。

スターリンは同じ共産主義者だからといって毛沢東を信頼していませんでした。ユーゴスラビアのチトーの離反を忘れていなかったからです。そもそもスターリンは国共内戦で毛沢東が勝利すると想定しておらず、国民党政府との外交関係を維持してきました。実際に毛沢東が同盟を提案しても、スターリンは蒋介石との条約あるので、新たな同盟条約は不要だと伝えました。しかし、毛沢東は新たな条約の締結を訴え、一ヶ月の論争の後、スターリンが譲歩し、同盟条約に合意しました。こうして二大共産主義大国である中ソの関係は不安を残してスタートしました。キッシンジャーは二人の出会いを次のように喩えています。

「二人の共産主義の巨人の出会いは複雑でゆったりしたメヌエットの踊りのように終わり、六ヶ月後には中国と米国を直接巻き込み、ソ連をも代理として巻き込む朝鮮戦争に発展した。」

朝鮮戦争

・金日成と中ソ

1949年6月に韓国から米軍が引き揚げました。そこで北朝鮮の金日成はスターリンと毛沢東に対し、南への全面侵攻に賛同するよう説得を開始します。

当初、スターリンは金日成に対し、毛沢東と話すよう勧めました。スターリンは「ソ連からの支援や支持を期待」しないよう告げ、「毛沢東にすべての支援を頼まねばならない」と、毛沢東に責任を負わせました。

しかし、中国は国共内戦を終えたばかりで、軍隊も脆弱でした。北朝鮮が韓国を侵攻すれば、核兵器を持つ米国が介入する可能性があります。普通に考えれば、中国は米国との戦争を避けようとするはずです。しかし、毛沢東は違いました。中国にとって北朝鮮は戦略的に重要です。もし米国介入の結果、北朝鮮が崩壊すれば、中国は米軍と国境で接することになります。毛沢東は、そうなれば米軍は中国国内へと歩を進めるだろうと考えていました。

他方で、スターリンは米国を欧州ではなくアジアに縛り付けておきたいと考えていました。しかし、米国との直接対決というリスクも回避する必要があります。そこでスターリンは毛沢東に「ソ連のアジア国境に米国がいても自分は気にしない、なぜなら自分はすでに欧州での分割ラインに沿って米国と対峙しているからだ」と冷たく伝え、リスクを毛沢東に負わせました。最終的に毛沢東は朝鮮半島で米軍と対峙することを決定し、ソ連が後方支援します。

・朝鮮戦争勃発

北朝鮮が南へ侵攻し、米国が韓国へ軍を派遣しました。前線を中国国境目前まで押し上げます。しかし、中国が介入し、前線を南へ押し戻されます。結果、38度線で硬直し、1953年7月27日に休戦合意が結ばれました。米国は休戦合意よって北朝鮮の侵略を防ぐことに成功しました。しかし、他方で明快な軍事的成果のない戦争は米国の国内で論争を引き起こしました。このジレンマは10年後のベトナム戦争で再発します。

中国は米国という最強の国家に挑戦したことで、「アジアの革命の中心」として自国を確立させることに成功しました。他方で、中国とソ連の関係は朝鮮戦争終結以降、悪化します。スターリンが毛沢東に責任を負わせたことで不信感が募ったからです。

・現在の朝鮮半島

朝鮮戦争における米中露北の戦略観は現在でもほとんど変化していません。中国は北朝鮮を米軍に対するバッファー・ゾーン(緩衝地帯)として捉えています。米国にとっての韓国も地政学的に重要です。ロシアは当時と変わらず北朝鮮に対し間接的な影響力を行使を好む傾向があります。その中で北朝鮮は大国のパワーバランスを巧みに利用し、自国のプレゼンスを発揮しています。

第一次台湾海峡危機

・国民党と共産党

国民党から見ると、台湾は中華民国亡命政府の一時的な本拠地でした。共産主義者に大陸の権力を簒奪されているものの、本来のあるべき地位を担うために大陸へ戻るはずでした。他方で共産党は、台湾は反乱地域であり、大陸から分離して外国勢力と同盟することによって「中国の『屈辱の世紀』の最後の残滓」となっていると考えていました。

米国は中華民国が「真の中国政府」という台湾政府の立場を支持し、国連の常任理事国のポストは台湾にあると認めました。したがって、当時の米国にとって共産党の中華人民共和国は法的・外交的には実在しませんでした。

・金門島と馬祖島

台湾海峡危機は朝鮮戦争の1年後に起きました。原因は台湾本島ではなく、中国の沿岸に近い金門島や馬祖島です。国民党が大陸から退却した際に金門島と馬祖島を占拠し、要塞化していました。台湾本島は中国大陸から約130キロ離れていますが、金門島は約2キロしか離れていません。大陸から肉眼で見える場所に位置し、砲撃の射程距離に入ります。

米国ではトルーマンに代わり、アイゼンハワーが大統領に就任しました。アイゼンハワーは台湾海峡における第七艦隊のパトロールの終結を宣言し、台湾との相互防衛条約の交渉を開始しました。結果、米中の対立は先鋭化します。

・第一次台湾海峡危機勃発と核兵器

1954年8月、毛沢東は金門島と馬祖島に対し大規模な砲撃を命令しました。すぐに米国は3つの空母戦闘群を台湾海峡付近に再配備し、国民党軍による大陸への報復砲撃を是認しました。そして、危機がエスカレートした場合に備えて、核兵器使用の可能性について計画を練り始めました。1955年3月15日には国務長官のダレスは、「共産主義者による戦術核兵器で対応する用意がある」と記者会見で宣言しています。

しかし他方で、毛沢東は米国の核の脅威に動じないと明言しました。

「中国人が米国の核による脅迫で屈服させられることはない。わが国には6億人の人口と、960万平方キロの地域がある。米国は原爆を山のように持っていても中国を全滅させることはできない。」

金門島と馬祖島をめぐり、核戦争の瀬戸際まで追い込まれました。しかし、米中双方ともに軍事対立を公言しながらも、実際には互いを抑止することを目的に危機を一定程度コントロールしていました。1955年4月23日には周恩来が休戦を提案し、翌週には中国が砲撃作戦を終結しました。

・なぜ中国は米国を挑発したのか?

中国は金門島と馬祖島に砲撃すれば、核兵器を保有する米国が介入すると分かっていました。なぜ、中国は核を持つ米国を挑発するような真似をしたのでしょうか。中国が第一次台湾海峡危機で得たものは何もありません。中国はいたずらに自国を危機に陥れたように見えます。ソ連のフルシチョフはそのような疑問を次のように毛沢東にぶつけています。

「もし砲撃したなら、あの島々を取るべきだ。もし島を取る必要がないと考えたのなら、砲撃しても仕方がない。私にはあなたの政策が理解できない。」

核戦争のリスクまで取りながら、中国は第一次台湾海峡危機で何を狙ったのか。毛沢東はフルシチョフには「われわれがやりたかったのは、ただわが方の潜在力を見せることだった」と説明しています。キッシンジャーは別の説明をしています。中国の狙いはソ連による中国の核兵器開発計画への支援でした。毛沢東は核戦争の危機を招き、ソ連が中国の核計画を支援せざる得ない状況を作り出しました。そして、中国は核保有に向けて第一歩を踏み出しました。

・米中外交の幕開け

第一次台湾海峡危機のもう一つの結果は、米中間の公式対話の再開です。誤解による対立を避けるための一種のセイフティ・ネットの枠組みを提供しました。しかし、台湾問題において米国が台湾を「真の中国」として扱っている限り、米中対立の構造は変わりません。結果的に、米中外交はすぐに行き詰まりました。そして、第一次台湾海峡危機が終結したわずか3年後には第二次台湾海峡危機が勃発します。

米中関係の今後

朝鮮戦争と第一次台湾海峡危機から60年以上経った今、米中関係は再び悪化しています。二つの危機の際のように中国周辺で軍事衝突が勃発する可能性もゼロではありません。朝鮮半島や台湾だけでなく南シナ海でも小さなキッカケで、米中によるグローバルな危機が発生する可能性があります。60年前とは状況が大きく異なりますが、米中の伝統的な戦略観は変わっていません。

・キッシンジャーの提言

キッシンジャーは著書の最後に中国の台頭による米中対立の可能性を指摘しています。(いわゆる「トゥキディデスの罠」です。)しかし、キッシンジャーは中国は内政と人口動態の問題を抱えているため、「戦略的対立ないしは世界支配を自ら追い求めようとはしない」と、中国脅威論を否定しています。さらに、米中は「相互進化」すべきであり、可能な限り協力しつつ、対立を最小限に抑えるよう互いの関係を調整すべきだと述べています。

キッシンジャーが提言する相互進化には三段階あります。第一は「大国同士の通常の関係から生じる問題」に関する協議の枠組みです。第二は「危機の根本的解消を目指す包括的な枠組み」です。第三は米中とそのほかの諸国が平和的発展に参加する「太平洋共同体」の設置です。

キッシンジャーは米中関係の今後を次のように述べています。

「米中という、自分たちは特別だとする例外論者の、異なったタイプを代表する二つの社会にとって、協力への道は本質的に複雑である。状況の変化は避けられず、変化があっても生き残れるような行動パターンをつくり出すことは、できないことはないが、現在の雰囲気では悲観的だ。太平洋の両岸に位置する二つの国の指導者には協議と相互尊重の伝統をつくる責任がある。そうなれば、彼らの後継者にとって、共通の世界秩序を一緒に構築することが、そのまま国家的願望を表現することになる。」

・米中関係の今後

キッシンジャーの提言は現在の状況を考えると、「太平洋共同体」の構築は現実的な解決策だとは思えません。しかし、米中協議の枠組みは非常に重要です。ペロポネソス戦争でも第一次世界大戦でも、戦争のキッカケは誰も予想しない場所や状況で起こりました。米中には朝鮮半島、台湾、南シナ海、東シナ海と、危機が勃発する可能性がある4つの地域があります。それ以外の地域でも不測の状況に陥る可能性もあります。不意の危機に対し、相互に誤解を招かないようセーフティ・ネットの枠組みは必要です。

日米は中国の囲碁的な思想に基づいた長期戦略に対応できる体制を構築する必要があります。新型コロナウイルスのパンデミックで混迷する国際情勢の中で、日本も常に万が一を考えた危機管理体制を構築することが重要です。

最後に、キッシンジャーの外交交渉の背景には中国に対する幅広い知識と、米国に対する客観的な分析があります。正に、孫子の「敵を知り、己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」という言葉を体現しています。キッシンジャーはもう97歳です。今の米中関係にとってキッシンジャーという米中の架け橋がいなくなることが、一番のリスク要因なのかもしれません。

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