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トロイメライと心象風景

 一昨年のドビュッシー、昨年のリヒャルト・シュトラウス特集に引き続き、毎回ひとりの作曲家の作品と、その生涯にスポットライトを当てるコンサートシリーズ『イズミノオト』へ、礼拝後に行ってまいりました。第9回の今回はシューマン特集『詩人ノ恋』です。

 私の祖父はCBS/ソニーレコードから発売されていた “The Great Collection of Classical Music” という、いわゆる「クラシック音楽全集」的なCDを自室の、民謡とか演歌だとかのまじったCDラックに収めている人でした。
 しかし、私が7歳くらいの時分に突然倒れた祖父は、その2ヶ月後に亡くなりました。そして祖父の死後、陶器製製の小面の能面が——おさなごころに不気味でした——壁にかけられていた祖父の部屋を整理していると、なんとこの ”The Great Collection of Classical Music” のCDは、おおかた開封もされていないことが発覚しました。
 それで、私がまだ音楽に目覚めていない時分、ビデオゲームのことしか頭になかった時分に興味本位持ち帰っては、初代プレイステーションで再生したCDはモーツァルトの『レクイエム』が——今では好きな曲ですが——収録されたCDで、再生するやいなや、そのあまりにもおどろおどろしい合唱隊の歌声が飛び出してきたものですから、私も、その時居合わせていた父と母も口を揃えては、

「なんだあ、こりゃ。すごいな」

と、笑ってしまうしかなかったことを覚えてます。
 しかしそんな父ですが、ほとんど開封していなかったとはいえ、曲がりなりにもクラシック音楽のCDを所有していた祖父の子だからか、ことあるごとに

「『トロイメライ』はいいなあ」

と、今では電子タバコを吸っていますが、その当時は紙巻きタバコを吸っていた父が、しみじみとそう口にしていたのも覚えております。

 それから数年後——思春期をむかえ、いろいろな音楽に目覚めはじめた私は、祖父の遺してくれた、くだんのクラシック音楽のCDを聴くようにもなりました。能楽に目覚めたのは、14、5歳くらいの時分に、だいぶ背伸びしながら観た小津安二郎の『晩春』劇中での『杜若(かきつばた)』がきっかけで、2018年に国立能楽堂にて、はじめて能楽を、『芭蕉』を生で観劇しましたが、クラシックのコンサートに行ったり、本格的にクラシック音楽に親しむようになったのは、ほんの4年くらい前のことと記憶しています。
 しかし、祖父の部屋に飾られていて、かつては不気味でしかなかった能面の「小面」とか、父が称賛していたものの、かつては特に何も想わなかったシューマンの『子供の情景』のうちの第7曲である「トロイメライ」だとかが、今の私にとってとても意味深いものとなっており、時には「創作」のインスピレーションともなっていることをかんがみると、私の、小説家「和泉真」、俳人「林想永」としての創作活動のルーツは「祖父の部屋」にあるのかもしれません。手前勝手ながら、三原未紗子さんによる、コンサートの幕開けを飾った「トロイメライ」ふくむ『子供の情景』のピアノ演奏に、私はそうした「こどもの頃の心象風景」を想起しながら聴かせていただきました。

 『子供の情景』のあとに演奏された作品は歌曲『詩人の恋』、『弦楽四重奏曲第3番』、『天使の主題による変奏曲』で、かなりトンチンカンなことを言っているかもしれませんが、バンドネオン奏者のディノ・サルーシつながりで、同じくバンドネオン奏者の小松亮太さんのアルバムを聴いたり、この間『Shall we ダンス?』を観たりした私は、つい最近まで

「マジでタンゴでも踊ってみようかな」

と、割と本気で考えるほどにタンゴにハマっておりまして、『弦楽四重奏曲第3番』の第2楽章の後半には、語弊があるとは思いますが、なんだかタンゴに近い「情熱」というのか、「熱気」を感じました。

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