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ゴーリキー(著)『母』を読む。


この本は市立図書館の無料お持ち帰りのボックスの中にあった。ぱっぱと五、六冊ほど取り出した中の、上下二冊。よく見ると表紙に「岩波版ほるぷ図書館文庫」と表記してある。つまりほるぷ出版が図書館向けに売り出した岩波文庫であろう。有難いことに文庫本なのに赤いハードカバー。1978年の発行だから42年も前の本だがしっかりしている。この時代には本の命についてきちんと考えていた人がいたのだなあと思う。

考えてみれば本の命は長い。私は主に古書を読んでいるので、文字がかすれたりしている本もあるが、かえって味わいがある。物体としての本もそうだが、文字としての本、つまり、その本の精神はさらに長く生き続ける。

ゴーリキーが『母』を書いたのは1907年だった。今からもう111年も前のことだ。だがゴーリキーがこの本に託した強い思いは今も少しも薄れていない。いや、現代だからこそもっと読んでもらいたい本だ。

私はこの本を読んだ理由はタイトルが『母』であったからだ。小説のタイトルが母の一語であるのは珍しい。
作家のゴーリキーは本名ではない。マキシム・ゴーリキーと言うペンネームは「最大の苦痛」という意味だ。上流社会の子孫でもあるトルストイなどとは違って、小学校もまともに出ていない貧困の中で育った。そして様々な職業を転々とした。

「人間をつくるのは環境に対する抵抗力だ」
——宮本百合子(著)『マクシム・ゴーリキィについて』より引用

三十三歳のときに書いた戯曲『どん底』が評判になって彼の名が世に知れた。

この小説は環境を変えるために立ち上がった息子パーヴィルと、その母親の心の動きと勇敢な行動が克明に描かれている。

この小説の断片を少し見てみよう。


人生におけるすべては避けられぬものだと彼女には思われていたし、また、考えてみないで、言いなりになることに彼女は慣れていた。だから今も、心は悲しみとやるせなさに圧しつけられ、適当な言葉もみつからないままに、ただそっと泣きだすばかりだった。
あそこでおれたちの新聞を印刷しているんだ。コペイカ事件がこんどの号にぜひ載るようにしなくちゃいけないんだ。(略)それは息子から彼女に与えられた最初の依頼だった。息子が事の次第を打ち明けて話してくれたことが、彼女には嬉しかった。
母は微笑した。こんど工場でビラが出たら、きっと官憲たちもビラをひろめているのは彼女の息子ではないとわかるにちがいないことが、彼女にはっきりした。そして自分にこの任務を果たせる力のあることを感じて、彼女は喜びから全身をふるわせていた。
みんなは家畜の群と同じようなもんだから、いつも牧夫がついていなくちゃいけない、とまあそう言うんだ! そこでおれはちょっとばかし冷やかしてやった、《狐を森の大将なんかにしたら、羽根ばっかりどっさりふえて、鳥はいなくなるだろうよ!》
あの世には、この世ほど立派な人々はいないのですよ。

私は密かに、この小説は時代の最先端の小説だと思っている。


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